コケのはなし(その9) コケのはなし(その9) ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

コケのはなし(その9)

オンとオフを繰り返して生きている

植物の祖先たちは、その昔、水中で暮らしていました。そこから陸上に進出していったわけです。水中生活時代、体のまわりは水です。陸上生活になると、それが空気となります。体が空気にさらされるというのはどういうことか。それは乾燥との闘いになるということです。陸上で暮らすということ、それはすなわち「乾燥に対してどう対処するか」ということなんです。そうしないと生き延びることができません。現在、陸上生活を営む植物はたくさんいますが、そのいずれもが見事に陸上に適応しています。というより、適応できなかったものは生きていくことができなかったわけです。

陸上植物は、大きく2つのグループに分けることができます。ひとつは維管束植物。維管束植物にはシダ類と、花を咲かせる種子植物があります。そのいずれも体の中に「維管束」と呼ばれる水を運ぶためのパイプが通している植物たちです。根から水を吸い上げ、陸上で展開している茎や葉に水を送ることで乾燥から身を護っているわけです。もうひとつは非維管束植物のグループです。維管束を持っていません。つまり水を運ぶためのパイプがない、ということです。それがコケ植物です。根を持っていない。ではどうやって吸水しているかといえば、体全体で水を吸っているのです。

維管束植物の、その地上に出ている部分は、表面が水を通さない物質で厚く覆われています。これをクチクラといいます。英語ではキューティクル。わたしたちの髪の毛のキューティクルと全く同じではありませんが、似たような性質です。。そのクチクラすなわちキューティクルが厚く発達しているのが維管束植物なのです。根で吸い上げた水を、体外に出てしまわないようにしているわけですね。しかし体全体を隙間なくクチクラで覆ってしまうわけにもいきません。なぜなら、光合成をするためには空気を取り込み、また放出する必要があるからです。よって、空気を吸う=呼吸するための穴を開けています。それを気孔といいます。コケはクチクラ層を全く持たないというわけではありません。ただ維管束植物に較べると発達していません。であるからこそ、全身を使って吸水できるというわけです。二酸化炭素の取り入れも、体表面を使っています。

ただし、全身で水を吸えるということは、乾燥状態にさらされると、たやすく全身から水分が失われてしまうことにもなります。維管束植物は、体内の水分を常に維持しておくことできますから「恒水性植物」とも表現できます。「恒」は「常に」と同義です。「いつも水のある状態」を維持するわけです。いっぽうでコケ植物は、まわりの湿度によって、また水分条件によって体内の水分量が変わりますから「変水性植物」とも表現できるわけです。体内の水分含量が、外部の水分条件に応じて変化する。すごく湿った状態もあれば、カラカラの状態にもなるということです。

<カラカラに乾燥しきった状態のコケ>

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外部の水分条件に応じて体内の水分含量を変化させて適応する——この荒業のおかげで、コケ植物はカラカラの乾燥状態になっても死にません。体内の水分を失っても枯れないんです。枯死せず、そのまま休眠してしまいます。そして再び水分が供給されると、また呼吸をしたり、光合成をしたりという代謝活動を開始します。こういう生き方を「乾燥休眠」といいます。呼吸も光合成も何もやらない。代謝を一切ストップします。スイッチが切れる。オフになる。そして水が供給されるとオンになる。その繰り返しで生きているというわけです。オンとオフを繰り返して生きている植物——それがコケという生きものなのです。

光合成にとって水分は少なくてもダメ、多過ぎてもダメ

最も光合成を行いやすい水分量というものがあります。最適値です。この水分状態の時に光合成をするのがベストというポイントです。そこから外れてしまうと、光合成量が落ちます。その水分の量(相対含水量)の値を1としますと、1より少なければ少なくなったぶん光合成量が落ち、1より多くなると多くなったぶん光合成量は下がります。1より水が少なくなると光合成量が減少するというパターンは、異なる種においても同じパターンを示します。つまり、どんなコケでもみな同じということです。

たくさん光合成できるということは、すなわち、全ての細胞がきちんと働いているということです。この状態になることで、最も高い光合成量が得られる。乾燥してくるとコケは葉を閉じます。コケは葉が「開いてるか・閉じているか」で、その乾燥度が判断できます。乾きはじめると葉の一部が閉じ、一部が開いてる状態となりますが、乾燥がさらに進むと葉が全体的に閉じてしまいます。
 
乾きはじめると、代謝をストップする組織細胞が出てきます。水分が徐々に失われていくと同時に、組織も徐々に乾いていきます。そうすると活動を休む細胞出てきます。乾燥が進むにつれ、活動を休止する細胞がどんどん増えていき、やがて全ての組織が中止してしまいます。休む細胞の量が増えれば、当然、光合成量は低下します。

ところが水分量が1以上あると、種によってズレが生じます。コケは体表面から吸水しますが、水を吸えば体のまわりについている水分が全てなくなるかというとそういうわけでもありません。野外で実際にコケに触れてみると、濡れている・湿ってるということを触感することができます。体の外側に水が付着しているということです。場合によっては水の幕に覆われてしまっていることもあります。相対含水量1の状態よりも値が大きくなるというのは、そういうことです。体の外側にも水がある状態です。

<水に浸っている状態のコケ>

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植物体のまわりに水が豊かにある時(=植物体に水分がたくさん付着している時)に、うまく光合成ができなくなるというのはどういうことなのでしょう。コケは気孔を持っていません。ですから、空気の出し入れについても、やはり体表面全体を使っています。体表面が水に覆われていると、その呼吸活動が阻害されてしまうのです。二酸化炭素の動きを空気中と水中で比較してみると、水中を動く速度は空気中を動くそれの一万分の一といわれています。つまり、ほとんど動かない。よって、コケは二酸化炭素を吸い込むことが困難になるわけです。含水量が高くなるということは、二酸化炭素の動きが阻害されてしまうということです。植物体のまわりに水がなければ、二酸化炭素をたくさん取り込めます。この状態の植物体は、とてもみずみずしいわけです。

ただし、ひと口にコケといっても、種によって形状が違います。葉のつき方も違えば、枝の伸ばし方も違う。茎と葉の間に、それなりの距離のある構造を有した種であれば、体全体が水に包まれてしまうということにはなりにくくなるでしょう。形状が異なることで、相対含水量の値が1より大きくなっても、その光合成量にはバラつきが出てくることになります。

乾きにくくする工夫

オンとオフの切替を繰り返して生きる、それがコケという植物の生き方なわけですが、問題はその切り替わり方です。いくら乾燥に強いといっても、やはり生きものですから、急激な変化は細胞にとって負担となります。水をたくさん含んだ状態からいきなり乾いてしまいますと、やはりダメージを受けてします。よって、コケはいったん吸収した水分をできるだけ失わないよう、なるべく乾きにくくする工夫をしています。最終的には乾燥してカラカラになってしまうにせよ、そのスピードを可能な限り遅らせているのです。その工夫とは何か。それが密生して生えるという方法です。生え方が密になること、互いに身を寄せ合うように生えることでなるべく水分を保留し、いきなり乾いてしまうのではなく、ゆっくり、ゆっくり乾いていくようにする。そうすることによって、急激な乾燥による個体の損傷を避けている。コケがマットをつくっている=植物体が密に集まっている理由は、ここにあります。もちろん、個体としての努力もしています。それは乾燥したところに生えてるコケの形状をよく観察してみるとわかります。植物体は小さく、ギュッとコンパクトになっています。枝をたくさんつけ、葉を密にしています。そうやって乾燥しくくしているのです。

植物の乾燥休眠を図示した最古の図像

コウヤノマンネングサ(高野之万年草)そしてフロウソウ(不老草)というコケがいます。奥入瀬にも生育しています。コケなのに「草」という名前がついていますね。なぜコケなのに「草」という名がつけられているのか。これらは江戸時代からコケではなく草として認識されていたのでしょう。江戸時代中期に、公家で近衛家熙(このえ・いえひろ)という人がいます。1667年から1736年に存在した人で『花木真寫』(かきしんしゃ)という植物画集を手がけました。三巻本の植物精密画集です。陸上植物123種が描かれていまして、被子植物が120種、シダが2種、そしてコケが1種です。その1種だけのコケがコウヤノマンネングサなんですね。

「萬年草」というこの作品を見てみると、枝についてる葉の開閉状態が違っているのです。左側の二本は葉が閉じてます。右側の二本は葉が開いている。これはつまり乾燥している葉と、乾燥していない葉ということです。葉が閉じてる状態、開いてる状態を描き分けているんです。それを同じ画面上に描いている。コウヤノマンネングサという植物は、他の植物とは異なり、乾燥すると休眠する──この現象を描いているということです。単に珍しい植物のスケッチをしたということだけではなく、このコケがどういう性質を持ってるか、どういう生態を持ってるかということを、画で表現しているわけです。近衛家熙は、葉が閉じたものと開いたものには違いがあるということを、ちゃんと認識していたということになります。もっといええば、この植物は乾燥しても枯死しないということをきちんと理解していたと思われるのです。

<まるで「草」のようなコケ、フロウソウ>

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「乾燥しても枯死しない植物」が科学史的に初めて認識されるようになったのは1837年、イギリス人植物学者W.J.フッカーが著した『Icones Plantarum』におけるシダ類のスケッチ以降とされていますが、この『花木真寫』は1725年から1736年の間(江戸時代享保年間後期)に制作されたものと考えられているんです。1837年より100年くらい前のことです。陸上植物における乾燥休眠を図示した最古の図像は、おそらく『花木真寫』におけるコウヤノマンネングサではないかと考えられるのです。(参考文献/上野健「花木真寫に描かれた「萬年草」の科学史的意味づけ」『蘚苔類研究』10巻9号,2012)

観察にあたって

コケはどこにでも生えています。意識されていないだけで、どこにでも生えています。しかし毎日通ってる道のどこにどんなコケが生息しているのかと問われて、すぐに答えられる人などふつうはいせん。コケそのものの存在に気がついていない人の方が圧倒的多数です。それだけに、足下の小さな存在に焦点を合わせるというのは新鮮な体験となるでしょう。コケを意識して風景というものを見るようになると、それまでとは全く違ったものに映るでしょう。視点を変える、というのは新たな発見、新たな認識への第一歩です。コケに注目するという行為には、そういう意味もあるのです。

コケ植物はどんなに小さくともちゃんと光合成をしていますから、光がない環境では生きていくことができません。暗くてジメジメした環境を好むというイメージが強いのですけれど、案外と明るい乾いたところにも生えています。ただ、そういう環境のコケはいつもたいていカラカラに乾いています。見た目があんまりよろしくない。なので、初めてコケを観察するという方をそういう場所にご案内する際には、必ず霧吹きを持参して、ちょっと吹きかけてお見せする方が印象がいいです。ビフォア&アフターで、水分を得る前と後の状態を比較してご紹介できれば最高です。水を得たコケが、しばらく時間が経つと葉を開いて綺麗になる。このことをご存知の方はほとんどいません。それを見せてあげられたら、参加者の方は喜んでくれるでしょう。

<携帯霧吹きで水をかけてコケ観察>

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コケは舗装道路の脇にも生えています。人に踏まれても、雨が降ったら、ほぼ元通りになります。なので多少踏んで歩く程度は、コケに対するインパクトはそれほどでもないのです。もちろん、毎日踏みつけにするようなのは論外ですが。ちょっと剥がしても、剥がした部分にそのまま押し付けておけば、またくっつきます。しかしそれも種類によりけりなところもあって、スギゴケのようなタイプだと、ちょっと難しいかもしれません。マット状になっているものについては、ちょっと強めに押しておくと、またそのまま枯れずにそのまま生存し続けます。

コケは仮根で張りついているだけなので、摘まみ採る際にはちょっと注意しないとバリバリッと、いきなり大量に剥がれてきてしまいがちです。コイン1枚くらいの量があれば観察にはじゅうぶんですので、採集する際には、コケのまわりを他の指で押さえ、必要なところだけを摘まみ採るようにしまそう。剥がされた跡が可哀想な感じにならないよう、細心の注意が必要です。ともすれば景観破損につながりかねません。

ヒメジャゴケにはたくさんの無性芽がついていました。葉の先にくっついていた小さなつぶつぶです。これ、いろんなコケにもついています。雌雄間での受精が行われなくても、この無性芽からどんどん増えることができるのです。京都のコケ庭によく使われるホソバオキナゴケは、葉がポロポロ取れやすくなっています。それを靴で踏むと、靴底にくっつきます。そうして移動するうちまた落ちて、そこからまた次のコケが生えていきます。コケはこんな方法でも子孫を絶やさないよう努めているんです。そういうところにも目を向けてみると、ますます観察も楽しくなってくるでしょう。

ただ、コケの分類は難しいものです。室内で葉の切片を切り取って、顕微鏡で細胞を拡大観察し、その種を同定するといったレベルになると、興味の有無は人それぞれです。しかし野外観察の方は、単純に目の前のコケを10倍とか20倍に拡大して観察するだけなので、手間がかからない割には新鮮な体験です。それまでコケとはまったく無縁であった人たちが、時間を忘れて観察に没入してしまうということも、珍しくありません。ただしいきなり20倍で見てしまうと、肉眼で見た時の印象とはあまりに違い過ぎてしまうので、違和感を覚えてしまうかもしれません。まず肉眼で見て、次に10倍のルーペ、そして20倍の携帯顕微鏡といったふうに段階を踏んで観察していく方がよいと思います。

そこらへんでごくふつうに見られる種については、定点観察をしてもらうと、とても面白いと思います。地方によって同じ種類でも表情が違ったりだとか、成長具合が違ったりすることがあります。胞子体を出す季節とか、残っている期間の長短とか。こういうことは現地の観察者が定期的に観察を続けなければ得られない情報です。研究者の人でも、こうした地域的な差についてはまず答えられないと思います。身近なコケをじっくり見ることで得られた知見や情報を、ゲストに伝えていくことで観察会にも深みが出るでしょう。

観察会でコケの魅力を伝えようという時に、最も重視するのは、やはり自分がコケ好きのニンゲンだということです。「このガイドさん、よっぽどコケが好きなんだな」という。この気持が伝わらないと、相手もちゃんと見てくれません。「見分けが難しいからヤダな」という気持で紹介していたら、やっぱりそいうことが相手に伝わってしまう。ガイド自身がコケというものをどう捉えるか、どう感じたか。コケはこんなふうに生きていますよ、こんなにも面白い生き方をしていますよ——よきガイディング(案内)とは、そういうことをを「自分の言葉」で伝える。それに尽きるのではないかと思います。

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