渓流のよどみに浮かぶうたかたは(その二) 渓流のよどみに浮かぶうたかたは(その二) ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

渓流のよどみに浮かぶうたかたは(その二)

水生菌なるものの存在を知る

 2024年6月、東京大学大学院理学系研究科教授の塚谷裕一先生と渓流沿い遊歩道を歩いていた時のことです。流れの中に滞留していた、大きな泡沫に塚谷先生が気づきました。かなり流速のある場所でしたが、大きな倒木があり、そこで水流が渦巻いています。そこへ泡のカタマリが引っかかっていたのを目にされたのです。

 塚谷先生から「あの泡が何によってできたものか、調べられていますか?」と尋ねられました。「当初は人為的な界面活性剤によるものではないかと心配されていたものですが、水質調査の結果、多糖類によるものという報告書が10年前に出ています」とお答えしたところ、思いがけず「あれ、もしかしたら水生菌によるものかも知れませんよ」といわれ、びっくりしました。恥ずかしながら水生菌という存在を、この時、初めて知ったのです。

 水生菌とは、水生不完全菌(Aquatic hyphomycetes)とも呼ばれる、水中生活に適応した菌類のことです。主に、渓流に沈んだ落葉の上などに生育している菌類で、その多くは腐生菌。落葉などを分解して栄養を摂取しています。水中の物質循環にとって重要な役割を果たしている存在であり、河床の落葉を食べている水生昆虫などの栄養にも寄与しています。水生菌の生長に伴い、水中の落葉の窒素含有量が増加することも知られています。水温や溶存酸素、有機物の種類と季節的増減、菌類間の競争などにより、水生菌の種類と分布は変動するといわれています。

 水生菌の大きな特徴は、独特の形状の分生子(ぶんせいし=子嚢菌類や担子菌類がクローン生殖のために形成する無性胞子のこと)を持つこと。テトラポット型に分岐した放射型のものや、長い突起をもつもの、枝を複雑に伸ばしたもの、ねじれたような形のものや三日月型など、実にさまざまな形状が知られています。海洋プランクトンにも多様な形の突起や枝を持つものがあり、これは浮力維持のためと考えられていますが、水生菌の場合には、浮力効果よりも水中の落葉に付着しやすくするための適応と見られています。

 渓流環境は水生菌の生息に適しており、多くの種が見られます。反対に、止水域での種の多様性は低いようです。落葉の表面が泥で覆われてしまったり、また藻類が繁茂したりすることが多くなるためでしょう。単に水の中の落葉といっても、落葉広葉樹の葉に多くの種が見られ、常緑広葉樹の葉ではやや種類が少なくなり、針葉樹の葉にはほとんど生育していません。
 不完全菌であるがゆえに、分生子によって無性生殖しているわけですが、有性生殖が確認されている種類もあり(子嚢菌類が多い)、それらの多くは水際の枯木などに小さな子実体を作ります。

東南アジアの原生河川でも発生

<大きなものは、ただの”あぶく”とはいえ、かなり存在感があります>

 塚谷先生曰く「おそらく、あの泡の一部を採取して顕微鏡で見てみれば、たくさんの水生菌の分生子が見られのではないかと思います」。そこで、さっそく泡の一部をすくって、少量のアルコールの入った小さなサンプルケースにおさめてみました。透明だったアルコールに、すぐに濁りが生じます。顕微鏡で観察してみると、やはり大量の水生菌の分生子が見つかりました。枝が四方に出る典型的なタイプが大部分で、ときどき螺旋状のものもあります。
「この濁りは、やはり水生菌によるものですね。したがいまして、この泡の発生原因は水生菌によるものだといっていいと思います」という塚谷先生の説明に、驚きを禁じ得ませんでした。

 塚谷先生は、ボルネオなど東南アジアでのフィールドワークを行っている際、汚染源の全くない原生河川の上流域で、よく大量の泡が発生する現象を観察されていたとのこと。その泡沫を調べてみると、やはり大量の水生菌の分生子が見つかるそうです。その経験から、奥入瀬の泡沫の成因にも、水生菌の存在が関与しているのではないか、と思われたとのことでした。

「ボルネオなど、熱帯の深い森を流れる川では、泡沫がたくさん流れているのをよく目にします。季節によってはあぶくだらけといってもいいくらいで、高さが数10センチに達するような泡塊もあります。何も知らないと、上流で大量の洗剤でも流したのか?などと思ってしまいそうな眺めなのですが、水量ある川があぶくだらけになるほどの洗剤の濃度といえば、かなりの量になるはず。工場から直接、大量の合成洗剤が廃棄されでもしない限り、そういうことは起きません。そもそも、そのボルネオの川の源流域は、ほとんど人跡未踏の盆地です。おそらくまだ誰も人が入ったことがないというくらいの深い森で、しかも東京都23区ぐらいの面積がある広大な原生林です。そこから流れてくる川なのですから、合成洗剤等による人為的な汚染というのはありえないわけです。

 そこで、この泡を顕微鏡で分析してみました。すると案の定、ふだんずっと水中で暮らしている水生菌の分生子がたくさん見つかりました。これらは<枝>を立体的に伸ばし、特殊な形を作るのが特徴です。川では飛沫が上がる際に泡が生じますが、そういう泡はふつう瞬間的に消失します。ところがそこに水生菌がたくさん生育していて、その分生子が一斉に放出された状況下では、それらが泡を<枝>でキャッチします。すると泡が安定化します。ごく小さな泡でもたくさんキープしていくうちに川面が泡だらけになっていき、それらがくっつきあうことで、やがて大きな泡沫が形成されるようになるわけです。特に川岸のよどみや倒木の隙間など、水が滞留する場所に大きな泡のカタマリが見られるようになります。

<奥入瀬の泡沫に含まれていた水生菌の分生子>

 では、なぜ水生菌は、わざわざ複雑な<枝>のある分生子を作り、瞬時に生まれる泡をつかまえては安定化させ、泡沫を形成するのでしょうか。それは胞子の拡散を狙っているからです。水底の落葉で育ち、流れに胞子を放出すれば、当然ながら、胞子は下流へ流されていきます。すると水生菌の分布域が、河川の下流域に偏ってしまいます。しかし実際には、水生菌は河川の全域にあまねく生育しているわけです。上流へも分布を広げるための方法が何かしらあるはず。それが泡沫の形成であると考えられます。泡をつくってそこに混じっていれば、川面をわたる風を利用して、より遠くへ移動することができます。泡に乗って水面を漂いながら風に乗り、移動先でまた増殖する——そういった分布の拡散戦略をとっているというわけです。

 森の中にあるきれいな渓流で泡沫が確認された場合には、合成洗剤であるとかそういった原因を心配するよりも、まずは川の中に住んでる変わった菌類が胞子を大量放出したことで泡が安定したんじゃないかな、と疑ってみてください」

菌類好きには知られた存在

 この指摘には驚かされました。水生菌の存在を認識していなかったことは、地元のネイチャーガイドとしてまことに不勉強であり、たいへん恥ずかしく感じました。さっそく調べてみると、水生菌の情報はそれなりにあがっています。それどころか、奥入瀬渓流館で販売している、きのこのオリジナルアクセサリーなどの作品を制作されている菌類アクセサリー作家であるkinoko-monoさんは、「水生菌の分生子(水中のカビの胞子)」と題した観察記事を、既に7年前(2017年)にご自身のブログにあげておられました(※現在閲覧不可)。

 彼女は、渓流や小さな水の流れの途中にたまった泡だけをすくってきて顕微鏡で観察しており、「透明でちょっと複雑なかたちをした物体が目的の菌類の胞子。水生不完全菌と呼ばれる水中の落ち葉などに生育するカビで、水面に浮かんで流れに運ばれ拡散する不思議な形の分生子を作ります。テトラポットみたいに四方向に伸びたタイプはだいだいどこでも見られるのですが、名前までたどり着けません。骸骨の手みたいなのと新体操しているみたいな2種が今回初めて同定できました。カタチが美しくて顕微鏡さえあれば観察が簡単で宝探ししてるみたいで楽しいのです。水生菌は小川で泡を探して採取して持ち帰り、水になったものを1滴たらして顕微鏡で見るだけ。スケッチさえ描いておけば実寸が分からなくても形状から同定できる。ついでに泡にまじった他の生き物を見るのも楽しい。そのうちこいつでも何か作ってやろう」と書かれていました。さすがは不思議で楽しく美しい菌類のカタチを追い求めておられる造形作家さんです。
 水生菌の分生子の形状の多様性は、種の識別における重要ポイントとなっているようです。胞子を見れば、ある程度の同定ができるというわけです。むしろ陸生菌より研究対象としては取っ付きやすい部分があるといわれるほど。それくらい、菌類に関心のある人たちの間では身近な存在だったというわけです。このようなものをこれまで知らずにいたとは、嗚呼、まさに痛恨のきわみ。

地元で根強いサポニン説

<初めのうちはこのように小さな泡沫ですが、やがてくっつきあって大きな泡の塊となっていきます。
魚が泳いでいるので、この泡が魚毒性の強いサポニンによるものではないことが考えられます>

 前稿で紹介した多糖類説にしても、その報告書の内容をしっかり掌握していた人は地元ガイドでさえそれほど多くなかったように思います。むしろ、渓流の泡の原因は多糖類というより、トチノキの実から生じるサポニンに起因するものと考えてる(信じている)人も少なからずいました。この説は結構、根強い人気(?)があります。実は無理からぬ話なのです。なぜならば、秋の雨の日の奥入瀬国道では、落とされた大量のトチの実が車に引き潰され、その成分が路上の水たまりに溶け出してぶくぶくと泡立っているようすを毎年のように多くの人たちが目にしているからです。

 さらに東北地方には「トチ水」文化があります。トチの実を焼酎に浸したものを薬にしたり、実を漬けた水で子供がしゃぼん玉をつくって遊ぶといったものです。また天然シャンプーとして利用されたとも聞きます。ゆえにトチの実=泡という連想は、特に地元の古い人達の間では、今でも根強いものなのです。多糖類といわれようが水生菌といわれようが、奥入瀬の泡の原因はサポニンと考える思考からなかなか脱却できないのもさもありなんです。
 しかしながら、トチの実の殻は「浮き」の役割があり、川岸から水流に落ちた実の多くは水中に没する前にぷかぷかと浮いて流されていきます。トチの実は、そうやって種子散布をしているのです。一ケ所に集中してとどまる(沈水している)ことはほとんどありません。

 また、殻が割れた中身が水底にとどまって浸漬され、成分が流出したとしても、川面に泡が立つほどの濃度になるのにはいったいどのくらいの量が必要となるでしょうか。もとより、サポニンには魚に対する毒性がありますから、もし泡沫をつくるほどの濃度となっていた場合、魚類の生息は難しくなるのではないでしょうか。しかしご存知のように、奥入瀬渓流にはイワナやヤマメをはじめ、各種魚類が通年生息しています。このように考えていくと、サポニン説はあまり現実的ではなくなってしまいます。

多糖類と水生菌の相互作用の可能性も

<時間がたつにつれ、さまざな流下物をからめとってどんどん薄汚れていきます>

 ただ、水生菌の存在が渓流河川における発泡現象の主要因となっている、ということについて指摘した報文は、目下のところ見つけることができませんでした。むしろ「水面の泡に群がるため、水泡菌とよばれる」「水中に放出された胞子は、水面の泡に吸着されやすい。泡が溜まったところをすくえば、多くの分生子を観察することができる」「泡の堆積地で泡を採集し、顕微鏡下で観察すると、ここに水中の微小な顆粒が捕らえられており、特に水生不完全菌の胞子が多量に見られることが知られている」といった記述は散見されるものの、泡沫形成の主要因というよりは、群がる・吸着される・捕らえられるといった表現の通り、発生している泡にキャッチされるものという印象を持ってしまう記載が主となっていました。
 その一方で、放線菌や糸状菌が生成する疎水性物質が蓄積すると発泡し、このとき発生した泡には粘性があり、散水しても消えない性質がある、という記述も目にしました。河川水中には、天然由来のさまざまな有機物が存在しています。界面活性作用を示す天然物質(天然界面活性物質もしくは生体界面活性物質)は、植物由来の多糖類だけでなく、動物や微生物由来のものもある、ということなのでしょう。有機物に含まれる懸濁状、微粒子状のタンパク質もまた、多糖類同様に生物由来の界面活性物質です。奥入瀬で、水生菌が波や風で水中に引き込まれた気泡の<核>となり、界面活性作用で安定した泡が形成されること。あるいは近年の水量低下と土砂堆積によって増殖している糸状藻類からの多糖類によって生じた泡(前稿参照)が、水生菌によってさらに発達している可能性も考えられるでしょう。いわば多糖類と水生菌の相互作用による現象です。

 いずれにせよ、奥入瀬の川面に漂う泡沫の表面には粘性があり、水中のさまざまな有機物を吸着・濃縮しながら水面を浮遊しています。見た目にも薄汚い印象はぬぐえません。ボルネオのような原生河川でも生じる自然現象である、ということならば仕方のないことかもしれませんが、たどっていけば最終的にその原因は十和田湖からの放流量低下にあった、ということなのであれば、やはりこれは忌々しき問題であり、真面目に向かいあわなければならない課題ではないかと思います。奥入瀬の流れに浮かぶうたかたは、あくまで「かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」であってほしいものです。

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