
渓流にたゆたう不気味な泡
奥入瀬渓流の遊歩道を散策していると、流れのところどころ、特に岸寄りの、流速が緩慢になった場所や側岸小湾部のたまりなどに、黄白色~薄茶色の泡のかたまりが浮遊もしくは滞留しているのをしばしば目にします。正体不明の泡で、一見すると、街中のドブ川などでよく目にする、界面活性剤由来の泡のような印象があり、ヤヤ気味が悪く、景観的にも決してよろしくありません。粘性も有しているようで、いろいろな流下物も付着しているせいか、いかにも薄汚れた感じがします。大きなものは観光客の目にも入ってきますので、奥入瀬のイメージを大きく損ねています。
泡そのものは、風による水面の攪乱や水流の激しい落差などによっても発生するものですが、これはどう見てもそういったたぐいのものではなさそうです。もともとは数センチ規模の泡なのですが、それらが流下していくうちに岸辺へ吹き寄せられたり、渦流に乗るなどするうち、泡沫化してだんだん大きくなっていくのです。初めのうちは白乳色ですが、集積した古い泡沫は、やがて黄白色から薄茶色に変化していきます。美観上、実に好ましからざるものです。
初出は2014年の夏
渓流のところどころで見られる(具体的には石ケ戸~玉簾間でよく目につく)こうした泡沫は、いったい、いつ頃から渓流で目立つようになったのでしょうか。それとも、昔から多少なりとも発生していたものなのでしょうか。その実態については詳しい記録がないのでわからないのですが、この現象が『奥入瀬渓流に泡の塊』という記事で地元の新聞に取り上げられたのは、いまから14年前のことです(『デーリー東北』2010年7月13日付)。
記事によれば、泡沫の発生は2009年頃から。特に2010年は発生が顕著であったとのこと。記事が出る前から「あの大きな泡のカタマリ、なあに?」と地元ではチラホラと話題にはなってはいました。記事発表後は注視する人も増え、なんとも不気味な泡沫として、だんだん無視できないものとなっていきました。有害物質が含まれているのではないかとか、源流域である十和田湖で、汚染物質が不正に放流(排水)されているのではないかといった疑惑も囁かれるようになっていました。

人為的な界面活性剤が要因ではない
水質障害の有無、そして泡沫の発生原因の究明が求められる状況となったことから、2010年、県による奥入瀬渓流の水質調査が実施されました。その結果は翌2011年『奥入瀬渓流における泡出現の原因の考察』(青森県環境保健センター研究報告第22号)という報告書にまとめられました。
この報告によれば、泡を採取して分析を行ったところ、最も懸念されていた合成洗剤の成分である<陰イオン界面活性剤>は不検出という結果でした。奥入瀬渓流の泡沫は、洗剤などに含まれる界面活性剤によって発生する人為由来の汚染による泡沫ではなかったことが明らかとなったわけです。不法排水などの疑いがなくなったことから、心配していた多くの人たちが安堵しました。
泡の正体は多糖類
では、この泡の正体はいったいなんだったのでしょう。泡状物質の主成分として検出されたのは、主に<多糖類>と呼ばれるものでした。多糖類とは、河床の砂礫表面の付着藻類や水生植物、富栄養化によって発生した藻類、植物プランクトン、陸域から供給される落葉、山林などからの有機成分の渓流への流出などによって生じる、植物由来の天然糖類です。グルコース、ガラクトースといった単糖類が多数結合したもので、こうした有機物を含む河川水が渦などによって撹拌されると、泡が発生するのです。糖類には、界面活性作用があります。水と混ぜて振ると泡立つ性質があるのです。河川に溶け出した多糖類は、水面の表面張力を小さくします。表面張力が小さくなった河川水が流下すると、瀬や淵などの流路状況の変化によって発泡現象が生じます。それら単体の泡が集結し、集積することによって泡沫が生まれるというわけです。

高知県の四万十川、京都府の宇治川、栃木県の中禅寺湖など、国内各地の河川湖沼で発生している発泡現象の多くが、この多糖類によるものとであると考えられています。よって奥入瀬における泡沫の発生原因も、多糖類に起因ものと推定されるに至った、と報告書にはあります。中禅寺湖についての報告書においても、泡の発生原因は水生植物や落葉からの分泌・分解物を起源とする多糖類によるもの報告されており、水中の溶存糖類の濃度は、銚子大滝での観測値と同程度であるとのことでした。
どうして多糖類が増えたのか
自然由来の泡であるがゆえにそれほど気にする必要はない——水質汚染ではなく、あくまでも自然現象であるとの結論から、その後、この問題は特に追及されることなく現在に至っています。ですが気になるのは、もしこの奇妙な泡が2009年以前にはほとんど見られなかったものだったとするならば、なにゆえに09年から10年にかけ、渓流内に多糖類が増えたのでしょう。しかし この点については、なにも解明されていません。そしてこの泡沫は、新聞記事で報道されてから10年経過したいま(2024年現在)でも、上流域から中流域にかけてチラホラと発生し続けており、流れの側弯部において不気味にたゆたっているのです。
藻類が泡の発生要因である可能性
日本陸水学会の第71回大会の講演要旨集に『河川における泡発生の原因究明に関する調査方法の検討』(尾田敏範ほか2006)という報文が掲載されています。これは岡山県・広島県にまたがる高梁川水系・成羽川において、2003年頃より発生していた泡沫の浮遊・滞留現象について調査したものです。この報告によると、泡の発生原因として藻類の関与の可能性が指摘されています。
成羽川では、その随所で藻類の生育が確認されているのですが、泡の発生地点付近の河床に生育していた付着糸状藻類を採取して純水と攪拌し、表面張力を測定した結果、表面張力の低下がみられ、泡沫が生成される確率が高くなることが示唆されたというものです。この藻類は粘性物質を分泌し、そこから溶出する成分には陰イオン界面活性を有する物質が含まれてることから、泡の発生原因となる天然界面活性成分が含まれることが推測され、付着糸状藻類が泡の発生原因のひとつであるとの仮定に至ったというものです。また、泡の多くなる夏から秋にかけて藻類が活発化し、分泌液を出しやすい時期であることも指摘されています。
近年、奥入瀬渓流では糸状藻類であるカワシオグサの渓流での増加が問題となっていますが、こうした藻類が泡の発生原因のひとつとなっている可能性は否定できないでしょう。
土砂、水温などその他の要因も
渓流での発泡現象には、気泡の「核」となる微粒子の存在も関係しているといわれます。たとえば、土砂の流出についても、その微粒子が気泡核になる可能性が考えられるのです。また、水温の変化による河川水の粘性の変化も影響します。水温変化が、どの程度、実際の発泡現象に影響しているのか、その科学的な検証はまだ報告がないようですが、泡の形成やそれらが長く残存する要因として考慮されるべきものでしょう。この場合、本流のみならず、流入水の水温も重要です。また渓流の河川形態そのものが、泡状物質の発生に関わっているという見解もあるようです。
実際、奥入瀬渓流では川床や流れの変化が進んでいます。ここ数年の間に、これまで見られなかった大きな異変が表面化しています。川底には土砂が堆積し、中州や砂地が新たに形成されています。白銀の流れ手前の「巴ケ淵」では、岸辺を中心に土砂が堆積して川幅がせまくなりました。「雲井の流れ」バス停付近では、かつての流路が土砂と枯れ葉が積もった陸地に変わってしまったり、水中にあった岩が露出する場所も出てきました。こうした渓流景観の異変は、他に石ケ戸、昭和池、「飛金の流れ」付近などでも顕著です。渓流内では、他にも複数箇所で土砂滞留や水流変化が新たに確認されています。
放水量の制限に要因があるのでは
地元のナチュラリストを代表する「八甲田・十和田を愛する会」の久末正明代表は、こうした景観変化の原因は、十和田湖からの放流量の減少にあると指摘しています。というのは、青森県が主催する「十和田湖・奥入瀬川の水環境・水利用検討委員会」の審議によって、2008年以降、観光シーズン(4月下旬から11月上旬までの日中)の放流量が毎秒5.49トンから5.20トンに抑えられてしまったのです(「風致維持」を目的に1930年代から数十年間、十和田湖から奥入瀬への放流量は毎秒5.56トンと定められていました)。渓流の水量が減ることで、土砂が押し流されにくくなったというわけです。
この影響で生じた土砂の堆積が、糸状藻類の増加や水温変化などに影響を及ぼしている可能性はじゅうぶんに考えられます。久末代表は、渓流を管理する青森県に対して定期的な調査や原因究明、対策を講じる必要性を訴えていますが、対する県の認識は2023年の時点で「渓流の状況は確認している。放流量についても、設定を下回らないよう運用されているため、現時点で対策を講じる必要性についての機運は高まっていない」というものでした。
十和田市では2024年度、一帯の保存活用計画の策定に向け、弘前大学との連携協定に基づき、渓流内の土砂堆積状況について調査に乗り出すことを表明しています。一方で、青森県の認識に変化はありません。奥入瀬渓流の管理を担当する青森県の河川砂防課では「流速はさほど変わっていない。土砂の堆積状況は河川管理の支障になるほどではなく、現時点では撤去など対策の必要はない。土砂の堆積が放流量の制限の影響とは考えていない」とし、2008年以降の減水が渓流景観悪化の直接の原因には当たらないと、放流量の減少と土砂堆積などの因果関係については否定的な見解を示しています。
(※参考資料『デーリー東北』2023年10月13日付記事・2024年5月28日付記事・同年7月20日付記事)

モニタリングは必要
人為的な界面活性剤を要因としない、渓流における自然な発泡現象は、河川の流況や水温、汚濁全般が関係する複合的な機序で発生しているものと考えられます。発泡現象の主要因が動植物や微生物由来の天然物質(生体界面活性物質)と判断される場合であっても、人間活動の影響を考えておく必要はあるでしょう。
もちろん、泡の詳細な成分分析や環境への影響については、専門機関による調査に寄らざるを得ません。しかし泡沫の目視観測や写真撮影などによる記録の継続などは、一般市民にもできうる調査です。奥入瀬における泡の発生の顕著な地点はどこなのか。藻類着生地点との関係はどうなのか。年間を通じて発生するのか。特に夏から秋にかけて発生頻度が高まることはわかっていますが、それと藻類や土砂堆積との関連性はどうなのかといったことは、奥入瀬の未来を考える市民レベルでのモニタリングしていくべき重要な視点なのではないかとも考えます。