
花が咲いたように美しい蝶
花の季節にはまだ早い森で、美しいチョウが飛んでいるのを目にすることがあります。目の前に、ひらひらと突然現れるのです。とても綺麗なチョウです。よく観察してみたいと思うのですが、結構なスピードで飛び回り、なかなかひとところには落ち着きません。見失わないよう目で追って、ようやく地面に静止したところをのぞいてみます。はっとするほど美しい模様です。鮮やかな紅い地に、水色を含んだ黒い大きな斑紋。それが大きな目玉を想わせます。目玉の周囲を、黄白色の環が囲んでいます。クジャクチョウです。
「孔雀蝶」と書かれる通り、翅(はね)の表面にある目玉模様がクジャクの羽紋様と似ていることからつけられた名前です。孔雀のように美しい蝶という意味かとばかり思っていましたら、違いました。ちなみにアイヌ語では「アパポ・マレウレウ」。その意味は「花が咲いたように美しいチョウ」。雪どけ直後のまだ淡い風景のなか、クジャクチョウがひらりと地上に舞い降りると、そこだけまるで一輪の花が咲いたように見えますから、こちらも素敵な名称ですね。
保護色の意味
英名でも” Peacock butterfly “(クジャクチョウ)と呼ばれるこのチョウは、タテハチョウ科の一種です。地上で休んでいる時、翅をゆっくり開閉しています。翅の表に対して、裏側は黒褐色。よく見ると細かい縞模様がたくさんありますが、表側のような鮮やかさはまったくありません。とても顕著な差があります。枯葉や樹皮といった地味な場所で翅を閉じる(=立てる)と、すぐに周囲の色にまぎれてしまい、どこにいるのか見分けがつきにくくなります。なかなか見事な保護色です。まわりの環境に「擬態」してしまうわけです。
でも、それならなぜ表側をかくも派手なデザインにしているのでしょうか。保護色を主な目的にするのであれば、オモテもウラもどちらも思いっきり地味にすればいいわけで。実はこの目玉模様、鳥などの天敵から身を守る効果がある、と考えられています。大きな目玉で「威嚇」するということですが、はたしてその効果ほどはいかに? 逆にやたらと目だってしまい、すぐ敵に捕食されてしまう気がしないでもないです。しかしもしそうであったとしたならば、このチョウの翅は、きっとこういうデザインには進化しなかったことでしょう。

芸者あるいはイナコスの娘
クジャクチョウは、その美しさから人気あるチョウのひとつなのですが、学名に日本語が用いられていることでもよく知られた存在です。その学名とは Inachis io geisha というもので、末尾の geisha は「ゲイシャ」すなわち「芸者」のこと。華やかな翅の模様を、綺麗な着物姿の「芸者さん」に喩えたというわけです。欧米人に古くからよく知られてきた日本語には「フジヤマ」「ゲイシャ」などがありますが、1908年に日本のクジャクチョウへ学名を付与した Stichel というドイツの昆虫学者は、この「芸者」こそ日本の美の象徴である、と思っていたのでしょうか。クジャクチョウの目玉模様のまわりには、青い色が散りばめられています。この「アイシャドウ」もまた、このチョウの妖艶さをいっそう引き立てているようです。
学名は「属名・種名・亜種名」で構成されていますから、日本のクジャクチョウの学名である Inachis io geisha からは「イナキス」属の「イオ」という種の日本産亜種が「ゲイシャ」であることを意味します。では Inachis io (=イナキス・イオ)という種名にはどういう意味があるのでしょう。英名でもクジャクチョウと呼ばれる種類です。やはりクジャクに関係があるのでしょうか? イナキスとは「クジャクチョウ属」という、このグループに与えられた名称ですが、これはもともとギリシア神話に登場する王イナコス(=Inachus/Inachos)に由来し、種名のイオ(=io)とは、その娘の名前なのです。クジャクならぬ「イナコスの娘」です。これだけではぜんぜんクジャクに関係がないようなのですが、実はちゃんと理由がありました。
イオはアルゴスの地でゼウスの正妻ヘラに仕える神職にありました。絶世の美女であったため、ゼウスはヘラの目を盗んでイオと逢瀬を重ねますが、それをヘラに見つかってしまったゼウスは、イオを牝牛の姿に変えてしまいます(ひどい)。イオはヘラの追手から逃げるため、牝牛の姿で遠い異国をさまようという憂き目にあいます。ある時、哀しみにくれたイオの大粒の涙が膝元にやってきたチョウの翅の上に零れ落ち、その跡が真珠のように光る大きな目玉模様になりました。これがクジャクチョウです。さらに、牝牛となったイオをヘラの命によって見張っていた百の目を持つ怪物アルゴスは、ゼウスの放った使者ヘルメスにうたれます。その時、あたりに飛び散った百の「目」が鳥の羽にかかり、それがクジャクとなりました。イオとクジャクとは、こうした間接的な関係にあったのです。ちなみにアルゴスは、ヒメウラナミジャノメ(姫裏波蛇目)というチョウの学名である Ypthima argus に使われています。ジャノメチョウは目がたくさんあるからでしょう。
学名の意味をさぐってみる楽しさ
しかしながら、ずいぶんと凝った学名です。神話の知識がなければわかりません。その昔、リンネがこのチョウにイオという名を与えた背景を想うとき、時の博物学者はやはり幅広い教養を有した文化人だったのだなあ、と実感します。イオはその後エジプトに渡り、そこでゼウスから元の姿に戻され、後のエジプト王となる息子を産みます。なおゼウスはジュピター(木星)であることから、その衛星にはイオの名がつけられているというわけです。こんなことがわかるのも、学名の意味をさぐってみる楽しさのひとつですね。
ギリシア神話には諸説があってヤヤコシク、ここに紹介したのはそのひとつに過ぎません。学名ひとつ理解するにも、こうした文化的素養が必要だというわけです。人間が、その長い歴史の中で生きものをどのように見てきたか・見ているか。生きものを科学のまなざしだけでなく、そうした文化・芸術の目でとらえてみるというのはとても楽しい視点ですが、ギリシア神話にしてもキリスト教文化にせよ、基礎知識がさっぱりであると、情けないことに、つどネットで「ウィキペディア」をいちいち引かなくてはなりません。とはいえ、クジャクチョウすなわちイナキス・イオの命名エピソードを知る前と知った後とでは、実物を前にした時の印象が、ちょっと変わってきますから面白いものです。
ニンフのイオ
クジャクチョウの学名を Nymphalis io geisha としているものもあります。 Inachis io geisha との学術的、歴史的な前後関係はよくわかりません。学名はいちどつけられたら変更できないと聞きますが、学者によって分類学上の見解が異なれば、違った名称が与えられることもあるのでしょう(これをシノニムといいます)。分類学が整理されて新たな学説に基づいた種名に変わったりすることもしばしばです。しかし、その変遷を一般向けにやさしく解説してくれるものがあまり多くはないようですので、シローとはちょっと困ってしまいます。Nymphalis io geisha の属名 Nymphalis は、ニンフ(妖精)の意味で、分類学的にはタテハチョウのグループを意味するものとなっています。それがいつから Inachis 属になったのかはわかりませんが、ニンフのイオというのは、やはりちょっと想像をかきたてられる、なかなか興味深い名称であると思います。
さて、そんなクジャクチョウですが、里山から高山まで幅広く生息しています(ヨーロッパでも低地から高山まで生息している、なじみ深いチョウのようです)。華麗な装いとは裏腹に、北方系のチョウで関東以西では珍しい存在のようですが、青森県では普通に見られるとされます。奥入瀬においても、数は「多い」とまではいえないまでも、出逢いの機会はそれほど少なくないように思います。
春のほとりで舞う
チョウにはたくさんの種類があり、「芸者」を連想させる華やかな種類はクジャクチョウの他にも少なからずいるのですが、ただこのチョウがひときわ際立った存在感を放つのは、やはり特に花や緑の少ない季節に、活発な姿を見せることにあると思います。まだ緑が芽吹く前の渓畔林で目にする華やかなチョウの姿は、とても美しく、目を引きます。しかしよく観察してみると、両翅がかなりスレていたり、痛んでいたり、破れていたりすることがわかるでしょう。ともすれば、春の昆虫シーズンに先駆け、ひと足早く生まれたものと思われがちですが、チョウの仲間のほとんどは、厳しい冬の寒さを卵や幼虫、サナギで乗り越えます。しかしタテハチョウの仲間には、どういうわけか成虫のまま冬を越すものがいるのです。春になると真先に姿を現し活動を始め、さっそく卵を産んで、間もなく死んでしまいます。他の昆虫がほとんど活動していない早春から飛びまわる姿が見られるのには、そういう生態ゆえのことなのです。

成虫で冬を越すタテハチョウの仲間には、華麗なクジャクチョウやルリタテハ、キベリタテハまたシータテハ、エルタテハ、キタテハ、アカタテハ、そしてヒオドシチョウ、コヒオドシなどがいます。これらが成虫で越冬するようになったのは、野鳥の繁殖期が終わるころに幼虫を出現させ、幼虫期の鳥による捕食を極力避けるため、という説があります。しかし、なぜ彼らだけがそのような選択をするようになったのかはわかりません。また、冬のあいだにどんなところでどのように冬を越しているのかも、あまりよくわかっていないようです。奥入瀬の春のほとりで、躍動の季節の訪れを告げるかのように軽やかに舞い踊るおなじみのタテハチョウながら、実はその暮らしぶりについてはまだまだ謎がありそうです。