コケのはなし(その6) コケのはなし(その6) ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

コケのはなし(その6)

コケにそっくりな前葉体

コケのようなものが、実はコケではない、ということがままあります。コケシノブというコケみたいなシダの仲間がいますが、それの前葉体(ぜんようたい)など、コケにそっくりです。シダ植物というのは、通常、目にしている葉(=胞子体)を形成する前に、前葉体というものになるんですね。コケシノブの前葉体は、その形状からするとジャゴケやゼニゴケといった苔類にそっくりなんです。騙されてしまう人も少なくないと思います。「新種が見つかった」と早とちりする人もいて、後になって「なんだこれシダの前葉体じゃん」というような失敗談もあるといいます。

コケ目線で観察してみる

コケはとても小さな生きものです。観察するには拡大することが必要です。ただその場合、コケだけに目を向けるのではなく、そのコケが生えているところまで、できるだけ視点を落として、「コケ目線」で道路や森、渓流などの風景を見てみるといっそう面白いです。そうすることで、そのコケの生育環境を実感することができます。単に対象となる生きものだけを見るだけではなく「どんな場所でどんなふうに生きているのか」という視点を持つと、相手の好きな場所や生き方などが、だんだん見えてくると思います。写真にしても、単にその種類を図鑑的に撮影して、記録として残す、というだけではなくて、こんなところにこんなふうに生育しているのだな、ということが見る人に伝わる構図で撮影すると、一枚の作品からいろいろなことが語れるようになるのではないでしょうか。少なくともそういう意識を持って撮っておくべきではないかと思います。すると写真に深みや重みが出てくるでしょう。もちろんキレイに撮ってあげることも大事ですが。

三つの繁殖方法

コケの繁殖には三つの方法があります。ひとつは胞子の散布です。極小で軽いので、散布されると空中を飛んでいき、別の場所で再生するんです。こういう力があるからこそ、荒れ地でもなんでも緑化してしまう。二つ目はクローンです。コケは葉っぱがちぎれます。ちぎれたところから再生するんです。葉の先端がどんどん分裂することで増える。三つ目は無性芽です。有性生殖をしなくても増えることが可能な芽です。コケは、こうした強い生命力、繁殖力を持ってますから、荒地を覆って緑化できるわけです。

どういう環境で、どういう生き方をしているのか

どんな厳しい環境でも、まず緑化の第一陣としてコケが生えてきます。火山環境であってもそうです。北海道に昭和新山というところがありますが、そこにもちゃんとコケが生えています。代表種はホソウリゴケという強い種類です。昭和新山の隣に有珠山というのがあります。十数年前に噴火しましたが、しかしたった一年でコケが生えている。ヒョウタンゴケの仲間にも、焼け跡が好きなものがいます。噴火がまだおさまっていない、火山灰が積もったような場所に生えるんです。そういう特殊な生態を持ってるです。焚火後にもこの仲間が現れてくる。また煉瓦にも生えます。なぜなら煉瓦というのは焼き物だからです。庭の隅に置いてある素焼きの植木鉢なんかにも生えてくる。焼かれた場所に生えるという性質がいかに強いものなのかがよくわかります。コケの性質を知っていると、そこがどういう環境なのかが見えてきます。

.

奥入瀬にはエビゴケが多いです。これは火山岩に生える種類だからです。この生態をご存知の方は、「ここにはエビゴケが生育しています」という情報を得たら、すぐに「火山岩があるのだな」ということがわかります。自然を観る、自然を知るということは、単にその種名や色形、識別点といったことばかりに注意を向けるんではなくて、その種がどういう環境で、どういう生き方をしているのか。本来、そこをもっと追求すべきなんですね。その動植物を一見するだけで、その背景にあるいろいろなことが自然に見えてくる、というのが理想です。種名や学名をご存知の方はたくさんいると思いますが、「そこから先」の話のできる人となると、とたんに少なくなってしまうでしょう。

尖った葉の先端が核となる

コケは、普通の被子植物などが生育できない環境で、ひっそりと生きています。そういうことへの認識も不足していると思います。泥の崖の崩壊地一面を、コケが覆っていることもあります。崩れやすい環境で、崩れを防いでくれているわけです。また、エゾスナゴケというコケがいます。直径1センチあるかないか位なんですけども、葉っぱの先端が尖っています。ここに水滴が付きます。コケというのは乾燥すると、完全に細胞の中まで乾燥して、仮死状態になります。反面、雨が降らなくても空気中の水分を捕捉するという力があります。尖った葉の先端が〈核〉となって、空気中の水分が集まり水滴ができるわけですね。コケは単細胞で体を覆う膜がないぶんだけ、強い生命力も持っているんです。

コケも酸素を出している

水中に生息するコケを観察すると、泡がたくさんくっついているのがわかります。この泡は、酸素です。コケは光合成をします。酸素をどんどん出している。ゆえに気泡がくっついているわけです。そこに気づかず「あ、これは〇〇ゴケだ」だけでは、本当に生きものを観察していることにならないのではないか。コケなんて、こんな小さなもの、食べられもしなければ、特に何の役にも立つのかすらもわからない、そんなツマラナイものを観て、いったい何が楽しいの? という人もいます。そんなの無駄じゃないか、と。しかし、こんな小さなコケであっても、それぞれの環境の中でちゃんと生きて、呼吸をしている。酸素も作っている。自然を観るというのは、そういうことを認識することではないかと思います。ヒトも含め、多くの生きものは酸素を吸わなかったら命を繋いでいけません。ごく小さな自然であっても、直接、役には立っていないのかもしれないけれど、少なくとも酸素を作っている存在なんだという、その認識を欠いてしまってはなりません。

自然の美しさを見つける楽しみ

「知らない」というとは「見えてこない」ということになり、「見えてこない」ものは容易に「存在しない」ものとされがちです。意識していないと、見えてこない。逆に、常に意識してると、いろんなものが見えてくる。森を歩くとき、自分がどんな意識を持っているか。それによって森の見え方がぜんぜん違ってきます。「自然愛好家」「ナチュラリスト」を自認する人たちでも、広範囲な分野を押さえている人となると稀ではないでしょうか。自分がまだ気づいていない世界が、実はたくさんある。自然というのはこんなに幅広く、奥深いということ。それを学び、目を広げていくのが自然観察の楽しみであり、また目標であるとすれば、コケに代表される「小さな世界」を知るというのは効果的だと思います。ルーペを持って歩くというのは、そのひとつの方法です。何か気になるものを見つけたら、まずはルーペで見てみる。そこに美しさを発見できたら、幸運です。自然と親しむ楽しさというのは、美しさを見つけることです。もちろん生態であるとか種の識別なども大事なことです。しかし、まずはその前に、自分の目でしっかりと見ることで「ああ、キレイだなあ」って感じ入ることに優るものはありません。

自分の目を開眼させる喜び

知っていることが増えてくると、それまでとは違った視点で自然を見られるようになってきます。自然の中で人気のあるものといえば、ふつうは花だとか、鳥でしょうか。でも、これまで自分があまり知らなかったことを探る、というスタンスの方が、より印象深くなります。「えっ?」と思ってしまうこと、シチュエーションによっては度肝を抜かれてしまうようなことの方が、当然ですが心に残ります。それが忘れられない思い出になるのなら、なお素晴らしい。これまでの経験で知り得たものの範疇から飛び出して、なんとこんな面白いことがあるのかあって、自分の目を開眼させる喜びを感じることができれば最高です。それまで知らなかったことを掘り起こす喜びを得るということ。コケの観察や撮影を通して、そういう体験する人は少なくありません。コケを知れば、コケを通した自然環境のことがわかってきます。見えてくることの喜び、知ることの喜び、自然を多角的に理解するというのは、そういうことだと思います。

一枚の葉にも生まれてから死ぬまでに違いがある

植物観察をするといっても、概ね、識別して種名を知ることが第一で、あとは薬草であるとか山菜であるとか、毒草か否か、といったあたりで関心が途切れてしまうことがほとんどです。例えば、山菜に詳しいという人がいても、食用となる新芽の時期の姿しか知らない、という人もいます。つきあう時期(=必要な時期)が完全に限られちゃっていますから、さもありなんです。しかし植物というのは、春の新芽、夏の成長した葉、秋の色づいた葉、冬の枯れ落ちた葉で、状態がすべて異なります。そんなのアタリマエだと思うかもしれませんが、自分の知っている樹の、その四季の葉っぱの状態を、それぞれパッと頭に思い浮かべることのできる人って、どのくらいいるでしょう。しかも枯葉でも、乾燥してパリパリになっている時と、雨に濡れているもの、沢筋でずっと吸湿してきたものとの違いがわかる人となったら? あるいは、同じ一本の樹でも、上の方と中ほどと下の方で葉の形状が変わることを知っている人は? 枝先に生える葉と、枝の中間、根元近くに生えるものの違い、あるいは日向に生えた葉と日陰に生えた葉ではどう違うか? 黄葉や紅葉はどう異なるか? そういうことを意識して見たことのある人となると、まずいないんじゃないでしょうか。たった一枚の葉っぱにも、生まれてから死ぬまでのあいだに違いがあるし、個体差もあるんだってことが見えていない。知らないからです。意識していないからです。でも、そういう目で観るようになれば、その葉っぱの持ってる幅広さ、深さが見えてくる。まるっきり違ったものが見えて来る。「自然を観る」というのは、こういうことなんじゃないかな、と思うんですね。

ナチュラリスト講座

奥入瀬の自然の「しくみ」と「なりたち」を,さまざまなエピソードで解説する『ナチュラリスト講座』

記事一覧

エコツーリズム講座

奥入瀬を「天然の野外博物館」と見る,新しい観光スタイルについて考える『エコツーリズム講座』

記事一覧

リスクマネジメント講座

奥入瀬散策において想定される,さまざまな危険についての対処法を学ぶ『リスクマネジメント講座』

記事一覧

New Columns過去のコラム