たった一層の細胞から成り立っている
「植物」としてのコケ(蘚苔類)を考える場合、そのどういった性質が、コケというものをいちばん特徴付けるのか——第一に上げられるのは、その葉っぱが、たった一層の細胞から成り立っている、ということです。ふつう、植物の葉の表皮はクチクラというもので覆われていて、ツルツルになっていますよね。なので、よく水を弾くようになっているのですが、これは水を弾くためというよりは、葉の内部から水分が蒸発しないようにするための工夫なんです。葉っぱというのは、その内部にかなり複雑な柵状組織や海綿状組織、そして気孔があります。そこから空気を取り入れて光合成を行い、不要になった酸素を排出しています。
なおクチクラ、というのはラテン語読みです。英語読みではキューティクルです。これはシャンプーの宣伝などで、よくご存知じの言葉かと思います。髪の毛を保護するという、アレですね。植物のキューティクルは、葉っぱの表面を覆って保護しているバリアというわけです。

しかしコケの葉っぱには、そういう保護組織がありません。顕微鏡で覗いてみるとすぐにわかります。半透明なんです。緑は緑でも、向こう側が透けて見えるような薄い緑色なんですね。スカスカです。ひとつひとつの細胞、葉緑体のツブツブまでが、すべて見えています。一方、ふつうの草木の葉を顕微鏡でのプレートに乗せてみたって、向こう側なんて見えません。厚いんです。ところがコケの場合は綺麗に見えてしまう。細胞が見えるということは、複雑な階層の構造ではなく、ただ単純に細胞が一列に、シート状に並んでる薄い膜のようなものだということです。ただし、それだけでは構造的にあんまりにも弱い。そこで機械的にいくばくかにせよ強くするために、真中に軸が設けられています。しかし他のほとんどの部分は、たった一層の細胞のみ。ですから、コケは自分の葉を乾燥から守ろうとしても、守る手立てがないわけです。表皮がなく、一層しかないわけだから。
身を「守る」のではなく「任せる」方向に進化した
植物にとって水は生命線です。ものすごく大事です。酵素の反応というのは、水に溶けた状態じゃないと進みません。ですから、内部から水が失なわれてしまうと、光合成も何もできない。全ての反応が停止してしまう。水が内部から出ていくのに任せていたら、死んでしまう。ゆえに植物は、乾燥から身を守る——内部からむやみに水が出ていかないようにする。内部に水を溜めこむしくみをつくらなくてはなりません。それが外側に施された強固なバリアです。しかしコケの場合、それができない。朝露に濡れて、しっとりとしていたコケも、陽が差しはじめて、午前十時くらいになると、あっという間にパリパリになってしまう。構造的に、それはもう防ぎようがない。では、どういう方法で生命を維持しているのでしょう。コケが取った選択は「身を任せてしまう」という、ちょっと投げやり的な手法でした。つまり乾燥時、水が内部から出ていくことを、あえて防ごうとしない。「もうええわ、出ていくんなら、勝手に出ていけ」と。つまり、抗わない。どんどん水が出ていくのに任せてしまう。その代わりに、コケは仮死状態になることにしました。自ら生命活動を中止してしまい、そのまま休眠しちゃう。そういう独自の生命維持方法をあみだしたわけです。乾燥から身を「守る」のではなく、乾燥に身を「任せる」という方向に進化していったわけです。では、仮死状態になってからはどうするのか。ただ、待つだけです。次の機会を。新たに水が与えられる起死回生のチャンスを。


水分を失いやすいということは、逆にものすごく受け入れやすいということでもあります。よって、霧吹きでちょっと水をかけたくらいでも、コケはすぐに葉が開きます。カラカラに乾いてる岩の上。水を吸い上げる根もないのに、なぜこうした環境で生きていられるのでしょうか。それは朝露を利用してるからです。早起きした朝、植物に触れてみると、しっとりとしていますよね。それは朝露がおりていたからです。乾燥したコケは、そのわずかな朝露でもって体を元に戻して(乾燥ワカメが水で戻るように)、そして太陽が高く上がる前までに——直射を浴びて再び乾燥が始まるまでの早朝の時間帯に、どんどん光合成をして一日分の栄養を「稼ぐ」わけです。なので、午前十時くらいになると、もう乾燥してクシャクシャになって「お休み」している。あとは、次の朝までずっと寝てるだけ。翌朝、再び陽が昇る前に体を開いて、光合成をする。稼ぎきる。陽が高くなると、寝て、次の朝を待つ。あるいは雨の日を待つ。そういうことを繰り返している。それがコケの生き方です。全然、他の植物とは違いますよね。こうした特徴を持つがゆえに、石垣などの環境にも生えることができるわけです。

コケと動物との関わり
コケはすごく不味いといわれています。だから食料としてあまり食べられてない。というよりも、人類は歴史上コケを主食としたことが一度もありません。ごくまれに、北欧など寒い地方の人が、小麦が不足した時に混ぜものとして、ミズゴケか何かを乾燥させたものを混ぜて、増量材として使ってパンを焼くという話があるくらいでしょうか。しかしそれは主食でも副食でもありません。コケは「食」の対象にはならない存在なんです。人間が食べないだけじゃなくて、動物も食べません。

皆さんがよくご存知のゲンジボタル。あのホタルが産卵するのはコケの上です。必ず川岸にあるフカフカしたコケのマットに卵を産みます。それも同じところに集中して産みます。ピンポン玉みたいな黄色い塊がいっぱい付いています。また、コケあるいは地衣類を巣材として使う鳥はかなりたくさんいます。その理由は、まず得やすい材料であること、同じものが採取しやすいこと、固まって生えているため量を確保しやすいこと、などが考えられます。

実際に口に入れてみると、コケというのはごく嫌な味がします。あの嫌な味には理由があって、殺菌作用のある物質を含んでいるからです。抗菌性ですね。コケはなかなか腐りません。コケをビニール袋に入れて、口をしっかり縛っておけば、一ケ月くらい放置していてもしっかり生きてます。すごく簡単な温室みたいなものが、ビニール袋を結ぶだけでできるわけです。もしこれを高等植物でやったら、大変なことになります。すぐドロドロに腐ってしまいます。もともと付いていた雑菌によって分解されることもあれば、自身で分解してしまうのもあります。コケは抗菌性に優れているので、密閉した状態でも大丈夫なわけです。ただし、条件としてはコケだけ、コケ単体のみでの保存です。別のもの、例えば紙などを入れたらダメです。紙は、すぐカビます。ところがコケだけだと、ずっと大丈夫。これもう十分に実験して検証されています。皆さんも、いちど試して、コケの抗菌性の高さを実見してみてはいかがでしょうか。