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産霊―コケのある風景

冬枯れの森の中、緑を保っているのがコケの仲間。林床や大きな岩、樹齢ある巨木、そして小道の縁や沢筋の石の上など、そのつもりで目を向けると、いたるところにコケの緑があることに気づきます。一種独特のおもむきがある「コケのある風景」。日本の森の内部景観がしっとりとした「潤い」に満ちているのは、この「コケの豊かさ」によるところも大きいのではないでしょうか。

「コケ」というと、どうしても陰湿地──じめじめしたところに生えるもの、という印象が、おそらく一般には強いのではないでしょうか。コケと聞いて、何を連想しますかという問いに、「苔庭」という答えと、「日陰」あるいは「裏庭」といった答えとがあります。ところが実際のコケ類の生息環境は多様です。直射日光の当たる明るい場所にも、意外なほど生えています。そればかりか砂漠と海中以外であれば、ほとんどどこにでも見られる植物です。富士山の山頂、ヒマラヤ山脈、はては南極にまで生育することが知られています。

コケは根ではなく、体全体の表面から水分を取り込み、光合成をして暮らしている生きものです。一般の植物のように、土壌から養分を吸収することがほとんどないといわれています。ゆえに樹の幹や岩の上など、他の植物が育ちにくいところでも生きていけるというわけです。地味ながら、実にたくましい存在。おそるべきパイオニア。その反面、イメージどおり乾燥には弱いというのも本当です。十分な空中湿度がなければ、生きていけません。

森は空中湿度の高い環境なので、こと水分には不足はないのでしょう。でも、盛夏の薄暗い森の底を思うたび、首を傾げてしまいます。光の点では、はたして大丈夫なのだろうか、と。奥入瀬や蔦の森の、そのあちこちで目につく倒木や岩のかずかずは、たいていコケの仲間たちに、みっしりと覆われています。ただよく見ると、コケが広がっている部分と、そうでもない部分とに分かれているところがあります。木洩陽のよくあたる倒木の「表」側には広がっていても、完全な日陰となってしまう「裏」側には、ほとんど姿を見ることがないように。暗い森の底でも、わずかな「光」を求めているということなのでしょう。森が裸になる晩秋から春にかけても緑のままなのは、落葉期の森こそ集中して光を得られるがゆえなのでしょう。いずれにせよ、コケは湿度と光の微妙なバランスの上になりたっている、大変デリケートな生きものなのです。

コケの存在を意識しながら森をランブリングしてみると、思いがけない美しさや驚きに出逢えるものです。倒木や岩の上に広がる緑のマット。雨のあと、たっぷりと水を含み、輝く水滴を無数にしたたらせているさま。その上にぽつんと落ちたタネが発芽し、やがてやわらかい緑の敷布の上で元気に育っているさま。そういう小さな緑の風景に目を向けていくうち、しだいに心魅かれていくのではないかと思います。大きな森を育てているのは、実は小さなコケの森なのです。少なくともそんな一面を持つことに気づくことができたなら、それはきっと小さな感動を与えてくれることでしょう。

日本には「苔むす」という言葉があります。国歌にも歌われています。もともとは『古今和歌集』の詠み人しらずであった「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」に拠ったものです。「苔が生える」というよりも「苔むす」という表現のほうがずっと印象的ですし、実際のイメージにもぴったりです。この「むす」という言葉は、「生す」「産す」と書かれます。万物を産する神霊であり、その霊妙な力のことを「産霊」(むすび)といいますが、おそらくはここからきた表現なのでしょう。

後世になって「産霊」を「結び」と関連づけたところから「結びの神」すなわち男女の仲を取りもつ縁結びの神という概念が生じます。男女が結ばれることによって、新しい生命が生まれる。世にいう「息子」「娘」という言葉も、もとは「生す子」「生す女」でありました。「むす」は、単に苔や草木の広がりという意味にとどまらず、結ばれ、生まれ、そして悠久の生へとつながっていく生命の流れを表している言葉なのです。

森とコケの関係に思いを馳せるとき、いつもこの「産霊」という言葉が脳裏に浮かびます。これもまた、人がコケに魅了される理由のひとつであるのでしょう。森のなりたちの、その「根源」には、コケや菌類という存在が深く関わっている。それを意識することによって、森の見え方が、少しずつ変わっていきます。

もちろん、そうした「縁の下の力持ち」的な、生態的な「役割」だけでコケに魅かれているわけではないでしょう。コケという生きものは、たいへん美しい存在であるからです。高校時代の修学旅行の際、集団を離れ、ひとりきりで訪れた嵯峨野の祇王寺で、庭一面に広がるコケに目を奪われたことがあります。思えば、それが「苔庭の美」に開眼した最初の体験であったように思います。ただ、その静かな感動と、奥入瀬の森の底に広がる「苔庭の美」とが結びつくようになるまでには、カメラを持ち、森を撮り歩くようになるまでの時間を経なければなりませんでしたが。

深いU字型の谷の底を流れる奥入瀬渓流。緑陰の季節には、鬱蒼とした森にさえぎられ、陽があまりダイレクトに差し込みません。こうして空中湿度の保たれた環境は、コケやシダといった「隠花植物」たちの王国となっています。岩や倒木の上、石垣や巨樹の幹、そして流水の水際までがびっしりと緑のコケに覆われています。コケとシダをぬきにして、奥入瀬の景観は語れません。そこに目が向きさえすれば、木の葉とはまた別の緑の豊富さに、誰もが目を見張らされることでしょう。まさに「隠花帝国」。奥入瀬の遊歩道は、「苔の道」でもあるのです。

かつて奥入瀬渓流には200種類以上のコケ(蘚苔類)が生息する、といわれていました。しかしそれは詳しい調査に基づいたものではなく、その根拠となるデータは不明のまま、言説だけが伝えられてきたのが現状でした。奥入瀬渓流の蘚苔類に関する最も古い文献は1935年のもので、約90年前のものです。ここで記録された蘚類は55種類。その後1976年(約50年前)に実施された生態調査での記録種は、蘚苔類70種です。以後、奥入瀬のコケ(蘚苔類)の実態については明らかにされてきませんでしたが、2012年に全域での蘚類相調査が実施されたことで、現在では300種に近い蘚苔類の生育が確認されていますが、このデータはまだ一般には未発表となっています。

<岩の壁面を覆うように繁茂するエビゴケ>
<エビゴケの群落を拡大。こうすると名称の由来がわかる?>

遊歩道沿いでよく目につくうえ、あまりコケを見慣れていない人にもわかりやすいコケに、エビゴケとネズミノオゴケそしてジャゴケがあります。これらは一箇所にまとまってたくさん生えていることが多く、デザインが個性的なので、コケ観察の初心者にもやさしい種類です。特にエビゴケ(海老苔/蘚類)は、岩塊の「壁」から垂れ下がるように、それも大量に生えているようすが圧巻です。また、肉眼で眺めている時と、ルーペを使って覗いてみた時とでは、その印象がまるで違うことにも、ちょっと驚かされます。ルーペで拡大してみると、このコケがなにゆえに「エビ」という名を冠しているのか、その理由が(得心できるかどうかはともかく)きっとおわかりになることでしょう。さらさらした手触りも、ことのほかよいです。ぜひお試しを。

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