雪氷の造形を楽しむという感性のレッスン(その二) 雪氷の造形を楽しむという感性のレッスン(その二) ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

雪氷の造形を楽しむという感性のレッスン(その二)

倒木の上に張り付いていた氷。降り積もった雪がいちど融け、それが再び凍ったもののようです。薄茶色の樹皮の上に、薄く盛り上がるような格好で固まっていました。表面にレンズを近づけてみます。白い気泡のきらめきが、まるで装飾品のよう。

<倒木の上の氷塊>

華麗な氷の塊なんて、そこかしこにあるものです。でも、ふたつとして同じものなどありません。肉眼で、ただぼやっと見ているだけでは、さほど面白いとも思えないもの。それがカメラのレンズを通して見ると、大きくその印象を変える。そんなことが、ままあります。なんとなくユーモラスであったり、そこはかとなく不気味であったり。

<「氷の血管」とでも題したくなるようなオブジェ>

歩道沿いの、路傍の崩れ。ちょっとした崖のような感じになっています。こうしたところには、水の滴りが凍って氷柱(つらら)がよくできています。「氷の芸術」を楽しむのに、もってこいのポイントです。また、岩壁から滲み出した湧水も、とてもよい素材となってくれます。透明な氷壁の内部に現れた、琥珀色の美しい色あい。クリオネふうの、深海の生物っぽいイメージ。いや、むしろオバケといった印象でしょうか。

<深海生物のイメージ>

「説明」をすれば、これは氷の壁の後方にある粘土状の土壁から一筋の泥水が流れ込み、それが凍結したもの。泥水が透けて見えているという、ただそれだけの(つまらない)こと。でもこうして写真を見ると、なかなか面白くはありませんでしょうか。どうということのない土の色が、琥珀のごとく幻想的な色の変貌して、不思議な感じがしませんでしょうか。

もちろん、こうした抽象芸術まがいのアプローチには、見る人によって感想にもかなりのちがいが生じるかと思います。「ナニコレ?」と、まったく気持が動かないという人だって当然おられるでしょう。ただ自然散策においては、その「デザイン」を愛でるという視点も大きな楽しみのひとつでなのです。想像力を楽しむということです。

<琥珀色の氷塊>

ふだん携行するカメラを単に記録用・記念用のツールだけにとどめず、ぜひ「自分が面白いと感じたもの、不思議に思ったもの、よくわからないけどなにか心ひかれるもの」といった対象に向ける「表現用」「作品用」にもお使い頂くことをおススメします。そう、他愛のない「芸術ごっこ」です。ですが「カメラを向ける」という行為が、対象をよりよく観ようというキッカケとなるのです。

面白いものが撮れれば、もっと撮ってみようかと思うようになります。すると、より興味深い対象を探して、これまではあまり目に留めなかったような小さなものにも、だんだん目が向くようになっていきます。散策が、よりいっそう楽しいものになってきます。自分の嗜好する色や形やデザインがどのようなものなのか、また同行者のそれを知るよい機会でもあります。

<シダ氷>

ごく限られた範囲で、抽象的な写真を撮ってみる、というこころみもよし。広い範囲を歩き廻りながら、自分の心の袖を引くものを選んで撮ってみる、ということでもよしです。直感的にやってみてもよいし、じっくり探し、じっくり考えて撮るのもよし、です。構図を変えてみたり、写す角度を変えてみたり、光を変えてみたり。露出を変えてみたり、焦点を変えてみたり、シャッタースピードを変えてみたり。そんなあれこれのひとつひとつが、小さな自然と向き合っている時間を長いものにしてくれます。

<落葉と水流のある氷柱>

そうやってできあがった写真を見て、何らかの感情を覚えるとしたら、ぜひそこからまたあれこれと思いを巡らせてみてください。あなたの写した対象(=被写体)の、その色やかたちのどこに、あなた自身のなにが、どういう化学反応をおこして、その一枚ができあがったのでしょう。あなたはそれを偶然に、ただ感性のおもむくままに、特に何も考えずに撮ったのかもしれませんが、実はそうではなく、あなた自身の過去の経験や知見に起因したものという可能性は、ありませんでしょうか。もしかしたらそこには、あなたがそれを撮る必然のようなものが隠されてはいませんでしょうか。

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