荘厳な顔つきをして。されど、優しげなまなざしをして。 荘厳な顔つきをして。されど、優しげなまなざしをして。 ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

荘厳な顔つきをして。されど、優しげなまなざしをして。

萌えあがる季節

薫風の薫る、素敵な季節。新緑の展葉は、年々ハイ・スピードに。今年もまたあっという間に、一気に葉が開いてしまいました。奥入瀬渓流ではゴールデンウィークを迎える前。4月下旬のわずか数日間でみるみるうちに森が萌黄色に染まり、早春から春が駆け足で過ぎ去り、そのまま初夏に突入してしまったようでした。もっともっと、ゆっくりと芽吹きの美を味わいたかったなあ、という気持です。毎春、同じように繰り返される季節の饗宴ではあるものの、開葉や雪どけのペースは、やはり年々早くなってきています。温暖化がどうしたという話題につながりがちですが、何万年という歴史的な視野に立てば、あるいはこんなことはほんのわずかな誤差なのかもしれません。どうなのでしょうか。

萌え上がるブナの森>

生命への根源的な賛歌

森全体が萌えあがるこの季節。「木を見て森を見ず」とは逆に、ついつい森の全景ばかりを眺めてしまいがち。しかしもちろん葉の一枚一枚にもハッとするような美しさがあります。ブナには「花の芽」と「葉の芽」があります。まるで零れ落ちるような花の芽吹きも素晴らしく、また、ごくシンプルな、葉っぱの芽吹きにも、なんともいえない麗しさがあります。「葉っぱのあかちゃん」を包み込んでいたカバーである芽鱗(がりん)がぽろりとはずれ、するりと服を脱ぐような感じで生まれでる新緑のすばらしさ。毎年のように愛でていても、なぜか決して見飽くことがありません。毎春、初めて目にするもののごとく、新鮮な感動にうたれます。長かった冬を越えたがゆえ、ということもあるのでしょう。ドラマチックな絵、ということもあるでしょう。人がブナの新葉に心魅かれることには、生命への根源的な賛歌があるようにも思えます。

言葉を越えて

ネイチャーランブリングツアーにて、お客さまを森に御案内するとき、そこでお話する内容には生態的な話題をはじめ、人とのつながりといった歴史や民俗的な話題も中心となります。ただ、生命そのものが放ってやまない、その独特の雰囲気あるいはイメージというのでしょうか、あるいは生命というものが象(かたど)っている、そのデザイン=造形美といったようなものは、森や樹と向かいあった人それぞれが、あくまでも自分の感受性でとらえるものであって、ある意味では、そこによけいな言葉やストーリーは無用です。綺麗ですね、凄いですよね、と促すことはできたとしても、それについて「語り尽くす」ことはできません。むしろ、言葉を重ねれば重ねるぶんだけ、真実から遠ざかるようです。やわらかな産毛をまとったブナの新しい葉を目の前にするとき、ゆえにひとりであればこその喜びの味わいがあります。案内する同行者のいるときには、少しとまどってしまいます。この小さくて静かなおもむきを、いったいどのようにして伝えたらよいのだろう。いつもながら、まるでわからなくなってしまいます。自然とのつきあいというものは、実際のところ、ごく個人的な愉しみなのだろうと思います。それだけに、「美しいもの」を「美しい」と感ずる人と、同所で同時に言葉を越えて気持を共有することのひそやかな悦びにも、また憧れてしまうのです。

<すっかり葉を開ききったブナの森>

「いいえ、これがブナですよ」

広大なブナの森が広がる白神山地が世界遺産に登録された頃からでしょうか、ブナという木は、世間一般にもかなり注目されるようになりました。そのまとまった原生的な森には、世界的な価値がある。いまどき、これくらいのことを「まったく知らない」という人は、かなり少なくなってきたのではないでしょうか(そんなことはない?)。でも、たとえそうであったとしても、それはたぶんに観念的なものであるような気もします。ブナの森を歩いていると、ときどき観光客とおぼしき人から「あの、この木はなんでしょうか。シラカバでしょうか?」などと尋ねられることがあります。幹が白っぽい樹ですから、きっとそう思われたのでしょう。「いいえ、これがブナですよ」そう告げると、「ああ、これがあの有名なブナですか。いや、実はブナの森を見に来たのですけれど、実際にはどれがブナだかわからなくてね」と、そうおっしゃいます。なるほど、東日本の山村暮らしでもない限り、人びとにとっていまやブナという木は、生活レベルにおいてさほどなじみのない樹となっているのでしょう。

<壮齢樹が居並ぶと原生的な雰囲気が増します>

すべての<いのち>の母体

森には、いろいろな「かたち」があります。それぞれにそれぞれの魅力があり、価値があります。なにもブナの森だけがことさら貴重というわけでもないでしょう。たとえば奥入瀬の渓畔林であるトチノキ・カツラ・サワグルミなどの森。たとえば八甲田山の針広混交林であるアオモリトドマツやダケカンバの森。いずれも十分に魅力的です。それを認めた上でなお、ブナの森にはそれらにはない、独特の美しさがあり、面白さがあるということ。それはあるような気がします。森の上層をこんもりとかたちづくり、初夏に淡い黄緑の花をつけ、秋には殻斗に覆われた焦茶色の実をつけるブナは、鳥や動物たちの大切な糧となるほか、いにしえの時代には人もその恩恵にあずかってきました。芽吹−新緑−深緑−紅黄葉−落葉−裸木……季節のうつろいの、そのたとえがたい美しさ。さまざまな生きものの気配に満ちた、たぐいまれな豊饒さ。訪れる人に活力を吹き込んでくれる不思議な清涼感。こうした要素が人を魅了し、不思議な感動や驚きを与え、こころ豊かにさせるのでしょう。苔むし、節くれだち、天空に向かって叫ぶように背を伸ばす大樹の姿は、すべての<いのち>の母体を想わせます。驕(おご)れる私たちに、自然界への敬いの念を思い起させます。その静かな吸引力に絡めとられている人は少なくありません。そういう人たちの脳裏には、きっといつも霧に濡れたブナの森がたたずんでいるのでしょう。苔むした大樹ばかりが居ならび、いかにも荘厳な顔つきをして。されど、優しげな目をして。

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