清廉な色香を放つ雪の肌 清廉な色香を放つ雪の肌 ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

清廉な色香を放つ雪の肌

雪の降らない地方で生まれ育った人にとって、雪は憧れに近いものかもしれません。雪景色を見たくて北海道や北東北へ旅行に訪れる人も多いことでしょう。私自身、初めて北海道を訪れた時には、一面に広がる雪景色に感動したものです。けれど三十年以上も雪国で生活していると、さすがに思いも違ってきます。豪雪後の大変さ、春先のやっかいさ。車で走る雪道のオッカナさ。いまでは雪イコール「面倒な存在」。すぐに除雪、排雪という言葉を連想してしまうほど。

そんな憂欝な雪も、一歩フィールドに出れば変わります。そこはもう雪の方が主役なのです。むしろ雪が優勢の世界なのであって、ともすれば「排除」されてしかるべきは、ヒトの方なのです。実際なめてかかれば命さえ奪われかねません。しかしそれゆえに「雪の美を愛でる」などという、いささか浮世ばなれしたような、ちょっと特殊な感慨もまた、ここに成立するというわけです。

実際、野外では雪の美しさに魅了されることが、しばしばあります。特に、新雪のもつ処女性、聖性ときたら、言葉には尽くせないほど。日々の除雪や排雪では到底味わうことのない、一種独特のおもむきがあります。雪国に旅した時には、雪のそんな一面を愉しむというのも、また悪くはありません。

冬の森に出かけてみると、個性的な雪に目を瞠(みは)らされます。生まれたばかりの雪。幼い雪。壮年の雪。老いた雪。清潔感あふれる高貴な雪。繊細な芸術家肌の雪。荒々しい山男風の雪。なまめかしい女性の雪。硬質な美少女の雪。いまではあまり耳にすることも少なくなりましたが、日本には雪を表す言葉として、細雪(ささめゆき)・綿雪・牡丹雪・淡雪(あわゆき)・斑雪(はだれゆき)など、実に多彩で、叙情的なものがありました。北国では身近な存在である雪を、昔日には画一的、単一的なものではなく、それぞれ個性あるものとして見ていたのだ、ということがよくわかりますね。

かつて、豊穣な自然のイメージを聖書になぞらえた世界で表現した、先駆的な天才フォトグラファーがいました。エルンスト・ハースといいます。彼の作品に、ある有名な雪の写真があります。雪のうねる造形美を、女性の背面ヌードに見立てて表現した一枚です。これはものすごい作品でした。思わず指でふれたくなるような、なだらかなスロープ。しかしふれることはできない。ふれれば毀(こわ)れて、溶けてしまう。すべてがそこなわれてしまう。そんな雪の持つ聖性、はかなさを、清楚なエロチシズムで描いてみせたのです。清廉な色香を放つ、その「雪の肌」は、これまでたくさんの人々を魅了してきました。その後、多くの写真家が、このハース作品の真似をしました。ハース以降の「雪の裸女」をモチーフとした作品は、すべてこの作品が原点であったといっても、おそらく過言ではないでしょう。

Ernst HAAS 『THE CREATION』(1971)収録Snow Lovers, USA(1964)

道路脇へどさりと積まれた煤けた雪、スキー場の単調な雪ばかり見ていると、森や川の冷たく、あたたかみのある「雪の肌」が恋しくなってきます。その肌のやわらかさを、なんとか表現してみたい、自分のものにしてみたいと、ある種、くるおしい思いにすら、とらわれることがあります。それが「雪をめでる」ということなのだろうと思います。

奥入瀬は平地の森です。雪山へ向かわなくとも、林下のバージンスノーを心ゆくまで味わうことのできる稀有な聖地です。純粋に「雪」を愉しむことだけを目的に、冬の奥入瀬を旅する、というのはいかがでしょう。雪化粧の森は、緑の森とはまったく異なった魅力があります。雪の森を流れゆく渓流も、雪帽子を被った岩や倒木も、みんなみんな素敵です。

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