初冬の森で見つけた蝉の骸 初冬の森で見つけた蝉の骸 ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

初冬の森で見つけた蝉の骸

セミのミイラ

すっかり初冬の様相となったブナの森。葉は残らず散ってしまい、森の底には深い枯葉の海が広がっています。この季節の森歩き、あまり派手な楽しみはありませんけれども、他の魅惑的なものたちに目を奪われにくいため、ふだんあまりじっくり見ることのない地味なものたちへも関心の目を向けることができるようになります。樹皮の地衣類や蘚苔類などと時間をかけてじっくりつきあえるのも、この季節ならではの楽しみ方で、それに乗じて意外な発見に恵まれることもあるのです。

<初冬のブナ林>

その日、樹幹の苔遊覧のさなかに偶然見つけたものは蝉の骸でありました。いえ骸というよりも、むしろミイラといった方が的確でありましょうか。樹皮の割れ目の中で微動だにしない、空蝉(うつせみ)ならぬ枯蝉(←こんな言葉はたぶんありません。私の造語です)を目にした時には、ちょっとドキリとしました。初めは、それが「死んだ蝉」であるとは思えずに、なんでこんな時期に、こんなところにセミは隠れているんだ?と慌ててしまいました。よくよく見れば、即身成仏したセミです。なんともいえない悲哀というか、哀愁を漂わせているその姿に、私はすっかり魅せられてしまいました。

ブナ林のセミたち

奥入瀬のブナ林にも、ひと夏を通じていろいろなセミが出現します。春には、ご存知エゾハルゼミ。うるさいくらいの大合唱です。夏にはアカエゾゼミ、エゾゼミ、コエゾゼミがにぎやか。目撃率の高さからすると、アカエゾゼミの姿を目にする機会が多いようにも思うので、個体数もそれなりにいるのでしょう。エゾゼミとアカエゾの鳴声の違いはわかりませんけれど、両種ともに生息しています。奥入瀬の谷の中では少ないようですが、焼山や十和田湖のまわりではアブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ニイニイゼミなどの声も聞きます。チッチゼミもいるという話を耳にします(私はまだ聞いたことがありません)。ヒグラシの声は焼山でよく耳にします。夕暮れ時に聴こえてくるカナカナカナ……という、あの情緒あふれる音色です。

<エゾハルゼミ>

<アカエゾゼミ>


この即身成仏のヌシはいったい誰なのでしょう?すっかり「枯れて」しまっているので、詳しい特徴はよくわかりません。その細身のスタイルから、おそらくは初夏のブナ林を大いに賑わせていたエゾハルゼミではないかと思われました。ツクツクボウシやヒグラシも体型はスレンダーですけれど、ブナ林のなかではあまり聴くことがないようにも思います。もしこれがエゾハルゼミであるとしたら、初冬を迎えるいままで、よくぞこのようにほぼ完全なかたちのまま残っていたものだと感心してしまいます。

外敵に狙われるなか

エゾハルゼミは5月から7月にかけ非常に多くの個体が発生するわけですが、その死体を目にする機会は案外なほどに少ないのです。たいていは鳥や昆虫に食べられてしまうのではないかと思います。たとえばアリはセミの大敵。羽化の途中にアリにたかられて絶命してしまう無残なシーンも、遊歩道沿いなどではよく目にします。セミが一般に夜から朝にかけて羽化するのも、無防備な自分を外敵から護る意味もあるに違いありません。しかし中には明るいうちから、あるいは力が続かず長時間におよび、結局、敵の目にさらされてしまうということがままあるのです。

そのような背景を想うと、この完璧な骸に出逢えたことは幸運だったのかも知れません。鳥やアリの包囲網にかかることなく、また死後、森の底に落ちることもなく、その最後を樹上で迎え、のみならずその後もずっと樹と共にあったのです。このセミは、きっと自分の死を悟った際(つまり体の衰弱を覚えた時)、樹皮の裂目にそうっと身をしのばせ、命の泉が枯れる瞬間を迎えたのでしょう。まさに即身成仏。日増しに寒々しくなっていく森のなかで、その姿はとても寂しいようでもあり、また尊さに満ちているようでもありました。

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