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七六万年前への時間旅行

八甲田カルデラと溶結凝灰岩

奥入瀬渓流のイメージといえば、森と清流。しかし忘れてはならないのは、渓谷をかたちづくっている断崖の岩石そして転石群です。これらの存在なくして、奥入瀬の自然は語れません。

深いV字型の渓谷である奥入瀬は、長い間にわたる川の浸食や崩落の影響で、底幅がU字状に広くなっています。そびえ立つ岩壁、そしてそこから崩落してきた無数の転石。そこに各種のコケが生え、シダが育ち、樹木が根を張り、奥入瀬の独特の景観をつくっています。岩と岩の隙間では、ミソサザイが子育てをしています。岩棚はオオルリやキビタキの営巣場所となっています。

現在の「田代平湿原」にあたる八甲田カルデラが、約76万年前に噴出したとされるのが「八甲田第一期火砕流」です。その火山灰や軽石が、高温の状態でなかば溶けたまま堆積し、熱と自重によって圧縮され、固結してた生成された岩石。それが奥入瀬の地質の主たるものとなっています。これは「溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)」と呼ばれています。

<奥入瀬渓流の溶結凝灰岩—馬門岩>

溶結凝灰岩が冷えて固まっていく途中で、節理(せつり)と呼ばれる一定方向への割れ目が生じ、横へ亀裂が入った板状(ばんじょう)節理、四角いブロック状の方状(ほうじょう)節理の断崖が、奥入瀬では特に目立ちます。柱状に割れるものは、柱状(ちゅうじょう)節理と呼ばれます。北海道の層雲峡などは、この柱状節理で有名なところです。奥入瀬では、雲井の滝の上部に位置する「双竜の滝」あたりで実に見事な柱状節理の岩壁を見ることができますが、遊歩道沿いで見られる節理の多くが、板状か方状節理です。なお屏風岩や焼山地区の立田の滝付近でも、やや大まかな感じのものではありますが、柱状節理の岩を見ることができます。

渓流のところどころにブロック状や板状の岩石が転がっているのは、谷の両岸から、節理を生じた岩が崩落したものなのです。たとえば「石ケ戸」の地名の由来ともなっている、かの大きな一枚岩も、板状節理を生じた大きな岩が、古い時代の川の浸食作用などによって崖から崩れ落ちてきたものなのでしょう(かってここに古代文明が栄えておりそれが洪水だか噴火だかで破壊された痕ではないか、というトンデモ説もあり、聞いている分には楽しいですが)。

十和田火山の噴出物ではない

それにしても、こうした転岩があちこちに目立つことから、これらが十和田火山の噴火によって飛んできた溶岩であると思っている人も少なくない、といわれます(実際、初めて奥入瀬を訪れた時には筆者もそう思っていましたし、今でも少なからぬ観光バスガイドさんらがそうした案内をしていたりもします!)。奥入瀬川の源はいわずもがな十和田湖であり、十和田湖の形成は十和田火山の噴火活動にあるわけですから、奥入瀬川流域の岩石が十和田火山に由来する溶岩なのでは? と思ってしまうのも無理からぬことではないかと思います。しかし奥入瀬渓流の岩石(溶結凝灰岩)の供給源は、十和田火山ではなく、八甲田の火山活動によるものなのです。

<出典:https://ameblo.jp/shinshu-u-museum/entry-12184625323.html

十和田・八甲田地域の地質は大きく分けて、沖浦カルデラ・八甲田カルデラ・十和田カルデラの3つのカルデラからの火山噴出物および火砕流堆積物から成り立っています。南八甲田火山群の成長途中では、2度の大規模火砕流が発生しています。これによって「八甲田カルデラ」が形成されました。「八甲田カルデラ」とは、現在の田代平湿原(トップ写真)のことです。そのため田代平湿原は「田代平カルデラ」とも呼ばれます。田代平湿原は、かつてここに十和田湖のようなカルデラ湖が存在していたことを物語っているのです。

八甲田カルデラ史

「八甲田カルデラ」の活動期は、約90万年前から40万年前といわれています。この間、少なくとも3回の大規模な火砕流の噴出が起こりました。まず99万年前から78万年前には「八甲田黄瀬火砕流」の噴出が起こりました。これは、奥入瀬川支流の黄瀬川付近に堆積されました。その後、約76万年前に「八甲田第1期火砕流」が発生、火口が陥没してカルデラが形成されます。そして約40万年前に「八甲田第2期火砕流」が発生します。これは第1期火砕流と同等の規模であったとされています。カルデラの陥没がさらに進行し、八甲田カルデラが形成されました。そして八甲田カルデラの活動は、この「第2期火砕流」の噴出をもって終了したのです。やがてカルデラ内に水が湛えられ、十和田湖同様に湖が出現します。そして火山活動の終了した40万年前から10万年前の間に、湖底に土砂が堆積し、湖成層(田代平湖成層)が発達していきます。たがて湖は次第に水域が湿原化していき、現在のような高層湿原(ミズゴケ主体)・中間湿原(スゲ類主体)・低層湿原(ヨシ主体)そして沼地の点在する現在のような湿原環境となっていったのです。

76万年前って、どんな時代?

奥入瀬渓流の断崖に見られる岩石のほとんどが、この「八甲田第1期火砕流」の堆積物です。つまり、私たちは渓流散策をしながら、ナント76万年も前の火砕流の名残を見物しているわけです。でも76万年前って、いったいどんな世界だったのでしょうか? 地質年代としては、新生代/第四紀/更新世中期にあたります。約79万年前から76万年前は間氷期(温暖期)とされるも、約78万年前には最新の「地磁気の逆転」現象が起こり、その時に増えた宇宙線が寒冷化をもたらした、といわれています。そして77万年前から76万年前の間に、急激な温暖化と寒冷化がいくども繰り返された、といいます。

国立極地研究所の研究グループは、千葉県海域を対象として、その地層に含まれる有孔虫の化石の分析を行い、約80万年前から75万年前の海洋環境の変化を調べた結果を発表しています。それによると、約79万年前から約78万年前にかけては、氷期(寒冷期)から間氷期(温暖期)への気候変遷があったとのこと。そして約77万年前から約75万年前にかけては、間氷期から氷期への気候変遷があったことを明らかにしています。

また、人類の共通祖先からネアンデルタール人が分岐したのは、約76万年から約55万年前の時期であったと考えられています。76万年前とは、そういう時代だったのです。

奥入瀬の特徴的な景観を構成する重要な要素である溶結凝灰岩。見上げる断崖のもとではうんと想像力を働かせ、76万年前へと自由にタイムスリップしてみることも一興です。地質学的な「時間旅行」も、奥入瀬の楽しみ方のひとつでしょう。

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