初夏の風にゆれる湿原の白き綿毛 初夏の風にゆれる湿原の白き綿毛 ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

初夏の風にゆれる湿原の白き綿毛

遠い昔は湖だった田代平

田代平湿原(たしろたいしつげん)は、いまから数十万年前の遠い遠い昔、八甲田の火山活動によって生まれたカルデラ湖が、長い年月の間に湿地と化したところです。八甲田山系の数ある湿原の中でも、最大の面積を誇っています。

標高は約560メートル。北八甲田山系・赤倉岳の北東部、国立公園の北端に位置しています。ヤチヤナギやヌマガヤ、ワタスゲなどの「中間湿原」(ちゅうかんしつげん)をベースに池塘(ちとう)が点在、そこにミズゴケからなる「高層湿原」(こうそうしつげん)やヨシが主体の浅い水域である「低層湿原」(ていそうしつげん)がセットで見られるという、貴重な湿生植物の生息地です。青森市指定の天然記念物にも指定されています。ヒメシャクナゲ、モウセンゴケなどの湿原植物を筆頭に、両生類ではモリアオガエルやタゴガエル、魚ではドジョウ、昆虫ではマツモムシやゲンゴロウ、各種トンボ類、そして鳥ではのどかなカッコウや、けたたましい声で鳴くオオジシギなどが見られます。初夏にはワタスゲとレンゲツツジの花がさかりを迎え、ニッコウキスゲのつぼみが膨らみだしています。

<ワタスゲのそよぐ中間湿原>
<ヨシが主体の低層湿原>
<ミズゴケ主体の高層湿原>

ちなみに高層湿原というのは、雨や雪など、ほとんど栄養分を含まない水分によってのみ成り立っている湿原のこと。冷涼な気候によって、沼地で枯れた植物が分解されぬまま次第に堆積し、もともとの水位よりも高くなった、いたって特殊な環境です。栄養分に乏しいため、生育できる植物や動物は限られています。「高層」という言葉のひびきからdしょうか、高い山の上にできた湿原のことであると思っている人が少なからずおられますが(確かに冷涼な気候の山上に形成されることが多いのですが)、実態はそうではなく、植物の遺骸が何層にも重なることで、水面よりも高くなっている状態の湿性地を表す言葉です。

白い綿は果実の穂

ワタスゲは「綿菅」と書きます。頭につけた白い綿帽子が、そのまま名前のもとになっています。見た目そのままなので、わかりやすいですし、とても覚えやすい名称です。姿かたちもいたって特徴的。初夏、すらりと細長い茎の先に、まんまるい白い穂をつけます。

まとまって生えるところでは一面が白くなるほどなので、誰の目にもとまります。たくさんの白い綿帽子が、湿原をわたる風にそよぐ光景は、とても涼やかで牧歌的。高原のイメージにもぴったり。そんなわけで、初夏の湿原を代表する存在として世間一般にも広く知られています。

<ワタスゲの綿毛>

そのせいでしょうか、白い穂をつけるようになると、便宜的に「ワタスゲの花が咲きました」と紹介されることも少なくありません。別にそれはそれでいいような気もしますし、いちいち理屈っぽくツマラナイ突っ込みを入れるのもナンなのですが、「ワタスゲの花が白く揺れている」という表現が、厳密にいうと<まちがい>であることは、おそらくはちょっと植物に関心のある人ならばご存知のことでしょう。白い綿帽子は、実は「花」ではなく、花の時期を終えたワタスゲの「実」から伸びてきた綿毛なのです。

果実は綿毛の根元にあります。綿毛は、タネがうまく風に乗って飛ばされるためのしくみという訳です。ちょうど、花の終わったあとのタンポポの様子を思い浮かべて頂ければよいでしょう。タネをより遠くへと飛ばすための工夫という発想では、基本的には共通しています。

花は地味

ワタスゲの白い穂が、果実期のものであるというのなら、その前にちゃんと花の時期があるわけですが、ワタスゲの花といえば、ふつうは白い綿毛を頭に思い浮かべてしまいます。では、ワタスゲの本当の花というのは、どんなものなのでしょう。

スゲの仲間の花は、一見したところ地味なので、しかも春まだ早い頃にひっそりと咲くので、よく気をつけていないと、ついつい見過ごしてしまいがち。でも、雪どけ間もない頃ならば、たとえば奥入瀬渓流沿いの遊歩道の路傍などにも、黄色い雄しべを伸ばした、地味ながらも端整な美しさを持った「スゲの花」が、たくさん咲いています。

見る機会は、決して少なくはないのです。要は、気づくか気づかないか、です。ワタスゲの花も同じ。春先、この花の黄色い雄しべが房状になると、他には咲いている花が見られないことからも、実は結構よく目立ちます。<そういう目>で見さえすれば、ちゃんと見えてくるというわけです。

ワタスゲの別名に「スズメノケヤリ」(雀の毛槍)というのがあります。初めてこの名称を知ったとき、白いふわふわした綿毛が、どうして「スズメの槍」になるのかなあ、と首をかしげたものでした。実はこの名前、果実期のワタスゲではなく、花期の黄色い花の様子が、かつて大名行列の時などにお目見えした、毛槍(先端に鳥の羽や獣毛などの飾りを垂らしたもの)に似ることからつけられた別称だったのです。おどろき。もっとも、イグサの仲間にもスズメノヤリ(雀の槍)という名の別の植物があるので、混乱を避けるためにも、やっぱりワタスゲは、ワタスゲという名のままがよいような気はしますが。

てんさらばさら

まったくの余談となりますが、田代平でワタスゲを見て歩いていたとき、かつて世間をにぎわせたナゾの物体「ケセランパセラン」のことをふと思い出しました。ケセランパセラン(またはケサランパサラン)って、ご存知でしょうか? 江戸時代以降の民間伝承上に現れる謎の物体(生物?)とされています。うーん、なんともアヤシイですねえ。

その外観は、まさにワタスゲの穂のよう。空中を漂っている「白い毛のかたまり」であるといわれています。小さな妖力を持つ妖怪であるとも、あるいは未確認生物などとして扱われることもあるというのですが、さすがにここまでいくと眉唾もの(楽しいですけど)。

ただ、民俗伝承譚としてはちょっとした歴史があり、古来、桐の箱の中で「おしろい」を与えると飼育できるとか、持ち主に幸福を呼ぶものであるとか、けれども人にむやみに見せるとその効果は消えてしまうといった、いわば「座敷わらし」的な存在として伝承されてきたようです。

1970年代後半、このケセランパセランは全国的なブームとなりました。例によってテレビの影響ですが、この時、ケセランパセランとされた物の多くは植物の穂で、UFOブーム同様ただの悪ノリの感がありました。

ただし東北の日本海側では、古くから「てんさらばさら」と呼ばれる、同様の物体と伝承が伝えられており、こちらは「捕食されたノウサギの毛塊」であることを、山形県の文化財専門委員が明らかにしています。寒冷な地域においては、雪上に残った生皮が縮まり、白い毛を外側にして綺麗に丸くなるというのです。不思議ですね。

<かの「てんさらばさら」を想わされました>

さてワタスゲの穂は、一見したところ、どれもすべて同じように見えるのですが、実はそれぞれわずかながら個性(?)のようなものがあるのです。たとえば、小さめだったり大きめだったり、毛が厚めだったり薄めだったりなど、まあその程度なのですが、時折すごく立派な毛玉があったりもします。

そんなものを見つけてしまうと、ちょっと嬉しくなってしまい、つい指先でその柔らかな感触を楽しんでしまうのですが、そんな時に「てんさらばさら」そして「ケセランパセラン」のことも、ついつい思い出してしまうのです。同行していた年若の友人にその話をしてみたところ、「なんすか、それ?」となんとも怪訝なカオをされてしまいました。いやあ、話題がチト古過ぎましたかねー。年齢を感じさせられもした一幕でもありました。

ナチュラリスト講座

奥入瀬の自然の「しくみ」と「なりたち」を,さまざまなエピソードで解説する『ナチュラリスト講座』

記事一覧

エコツーリズム講座

奥入瀬を「天然の野外博物館」と見る,新しい観光スタイルについて考える『エコツーリズム講座』

記事一覧

リスクマネジメント講座

奥入瀬散策において想定される,さまざまな危険についての対処法を学ぶ『リスクマネジメント講座』

記事一覧

New Columns過去のコラム