カエルたちの産卵ピーク
春の奥入瀬の水辺では、カエルたちの産卵がピークを迎えます。カエルの卵なんて、ぶよぶよして、目玉模様で気持ワルイ。そんなふうに顔をしかめる方もいらっしゃいますけれど、透明なゼラチン質の卵塊は、陽の光があたるときらきらと輝きます。なかなかきれいなものに見えることもあれば、アップで観賞すると少々グロテスクな現代アートっぽくもなります。指先でちょいちょいと触れてみると、想像通り、ぷよぷよと弾力感に富んでいます。春の水辺の風物詩です。
一般にカエルといえば、知名度が高いのは、やはり水田に棲むトノサマガエルやアマガエルでしょうか。かたや森ではアカガエルの仲間がポピュラーです。奥入瀬ではヤマアカガエルとタゴガエルが棲んでいます。また、別科であるヒキガエルもおなじみさんです。樹上に卵塊をこしらえるモリアオガエルの姿も(数は決して多くはないですが)見られます。これらもまた<森のカエル>といえるでしょう。初夏の渓流に美しい歌声を響かせるカジカガエルも、水際に姿を現すのは恋と産卵の季節のみで、秋から春は森で暮らしています。
余談:アマガエルの皮膚には毒がある
春の休日、片手に網を握りしめ、近くの水辺にくりだしては、さて何かいないかナ、と真剣に様子をうかがうコドモたちの姿は、昆虫採集に興ずる少年少女並に、微笑ましいものです(奥入瀬では採っちゃいけませんけれど)。筆者も子供の頃、春の野遊びのメインには、必ずカエル捕りが入っていたように思います。いまでは素手では触れられないコドモも増えていると聞きますが。まア確かに、あの真白な腹部の生々しさをいきなり目にすれば、慣れないうちは、ちょっとどきりとするかもしれませんね。
奥入瀬渓流は流れが速いので、カジカガエル以外の種類の生息には、あまり適していないようにも思いますが、国道からの支線である林道にできた小さな水たまりなどをのぞいてみれば、もこもこしたカエルの卵塊が、きっと見つかることでしょう。また、わずかながら国道沿いにも産卵に適した水たまりがわずかながらあります。そこでうまく成体の姿を見つけたら、ちょっと捕まえてみて、感触を確かめてみるのもいいかも知れません。いかにもぬるぬるしていそうな見た目の印象とはちがって、ひんやりとすべすべしていることがわかるでしょう。ちょっと新鮮かも知れません。
ただし、愛らしいアマガエルの皮膚には、軽度ではありますが、毒成分があるの注意です。(筆者のコドモ時代はそんなこととはつゆ知らず、まったく平気でぺたぺたさわっておりましたが……いやはや)またヤマアカガエルには、時として無数のヒルがくっついていたりすることもあるのだそうで。さすがに、それはちょっと気味が悪いですね。幸か不幸か、私はまだそんなホラーじみたカエルには、めぐりあったことがないのですが。
プールはゆりかご
日陰の残雪が目立つ森を歩いていた時のことです。ササに行く手を阻まれ、それ以上先へ進むのを躊躇しました。地面はいつのまにか融雪水でびしゃびしゃになっています。ふと足もとを見ると、そこにはカエルの卵塊が森の底に敷き詰められていました。まさに卵のカーペットです。鬱蒼としたササ薮の屋根の下、なんだか壮絶な光景でした。早春ならではの「奇観」といってもよいかも知れません。とにかくその量ときたら、とにかく膨大なもの。これらが全て無事に孵化したら、おそらくはそこらじゅうがオタマだらけ、そのまま成長すれば森はカエルだらけになってしまうはず。でも、そうはなりません。なぜでしょうか。
雪どけ水が作ってくれた産卵に適した<にわかプール>も、本格的な暖気を迎えればいずれ日乾しになり、やがてはすっかり干涸らびてしまうことでしょう。それまでに、うまくオタマからカエルになれればよいのですが。じりじりと狭められてゆく水たまりをおって、それこそすがるようにして身をくねらせるオタマジャクシたち。暖かくならねば産卵はおこなわれず、しかし季節が進めば今度は乾燥死が忍び寄る。太陽は味方でありながらも、そのじつ厄介な宿敵でもあるのです。
この春に誕生した無数ともいえる卵塊のうち、いったいどれほどの個体を生かしめるのでしょうか。しかも外敵は、むろん日光の他にも大勢いるのです。うららかな春の陽ざしのその陰で、今日もまた啓蟄の神秘と悲劇とが、たんたんとくりかえされているのです。
奥入瀬渓流の下流域にある、森の際の小さな道端のプールは、森の斜面から滲みだす水で、夏も干上がることがありません。この場所に産み込まれたタマゴたちは、そういう意味では幸運なものたちです。きっと、その多くが無事にカエルになっていることでしょう。それはまさに「ゆりかご」のようでありました。