早春の森の樹幹に耳をあて神秘の音色に心澄まして 早春の森の樹幹に耳をあて神秘の音色に心澄まして ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

早春の森の樹幹に耳をあて神秘の音色に心澄まして

樹の音を聴く

いまはむかし。春まだ浅き森の中で行われた子供向けの自然観察会で、とても印象的なひとコマがありました。案内人が「樹の声を聞いてみよう」と呼びかけ、子供たちにめいめい幹へと耳をあてさせたのです。何人かは、そこで微かな音が聴こえたようです。しばらくして案内人はおもむろにいいました。「それはね、樹液の流れる音だよ」。それはヒトに血が流れているのと同じことだよ。だから樹を大切にしようね。と、そういう結びでありました。へえ、と私は感心しました。

樹の幹に耳をあてると聞こえてくる音。それは、実は「樹液の流れる音」などではなく、梢が受ける風の音、葉ずれ、枝のゆれる音、そして地面からの震動などにすぎず、こんな強引な自然案内はいかがなものか、ちっとも科学的ではないではないか。そういう批判的な文章を、(その後しばらくしてから)何かの本で読んだのか、どこかの雑誌で目にしたものなのか、知る機会がありました。あらま、と私は驚きました。私もまた「樹液が流れる音」というものを、ずっと信じていたからです。

自然を安易に擬人化し、いささか押しつけがましい感動へと持っていく。そういう、かつての自然観察会によくありがちだった手法には、私もいたって懐疑的です。しかし「樹液の流れる音」というのはなんだか神秘的で、どことなくロマンを感じさせるような話でもあるだけに、とても興味がありました。そこへ冷や水をかけられたわけですが、かえってそうした批判の方が現実的に感じたといいましょうか、信憑性があるような気もしました。なので、いささか落胆しつつも、私はなんとなく、その説を特に検証することもせず、不用意に納得してしまっていたのでした。

もちろん、それでも「素敵なイメージ」の方もまた棄てがたかったという面もありました。「樹液が流れる音」といわれる不思議な音を、樹の肌に静かに耳をあてて聴く・聴こうとする行為そのものは、非科学的であれ何であれ、私にはどうしても魅力的なものに思えて仕方がありませんでした。音の正体がなんであったとしても、幹に体を寄せるという感覚そのものが、とても好きだったのです。

樹液は健康飲料

樹液というと、どろっとして、ツンと甘酸っぱい香り、そんな印象があります。おそらくそれは幼少年時代の昆虫採集にはぐくまれた感覚でしょう。どろどろした樹液に、カブトムシやクワガタムシ、カナブンやカミキリムシ。そしてスズメバチやチョウやガの仲間たち。実にいろいろな虫たちが集まってきました。まれには小鳥が訪れ、そしてリスなどの獣たちもそれを舐めにやってきます。特にリスは、頑丈な歯で木の皮を噛りとり、強引に樹液を獲得するつわものです。さぞ甘くて美味しいのでしょう。ヒトにしても、これをもっと食品として利用してきた歴史があってもよさそうなものですが、せいぜい、カエデから採れるメープル・シロップが知られているくらいのものです。

北海道の美深町では、春のシラカンバの樹液を加工して、特産の飲料水をつくっています。十和田湖でも同様のこころみをしている人たちがいます。そんな樹液ドリンクを飲んでみたことがあります。無色透明、ほとんど無臭。さらりとして、ほのかな甘味を持った天然水といったところでしょうか。ごく微妙な味しかしないところが、すこぶる上品でよいのですが、濃厚な甘味に慣れ過ぎた現代人の舌には、あるいはちょっと物足りないかも知れません。嗜好の方は分かれそうです。ただ、シラカンバの樹液の「効用」には、古来、なかなかの薬効があると伝えられています。地下水とは違った組成のミネラル分が豊富で、薬理効果の高い飲料水として、北方圏諸国では愛飲されているのです。韓国では「薬水祭」なる伝統儀式があるほどです。

音源はナゾなれど

樹の幹に耳や聴診器をあてると、いろいろな音が聞こえてくる。これは確かなこと。樹の内部から聞こえてくる音について、森林科学の先生から御意見を頂いたことがあります。葉が風にそよぐ音すれる音、枝の揺れる音、幹のきしみ、地面の振動、近くを車が走る音、川の流れる音……などなど、いろいろな可能性が考えられるものの、樹液の流れる音がまったくの聞こえないのかといえば、実はそういうわけでもない。それが本当のところのようなのです。

樹の内部で音が発生するメカニズムについて、きちんとした科学的な解明はなされておらず、それらの音源がすべて外部からのものであるといいきれる根拠は、実はどこにもない。それを知ったときにはちょっとした感動を覚えました。もちろん、樹液が川のように流れているわけではありません。けれど聴診器をあててみると「ザー」「ドー」「ドクッ、ドクッ……」という、なんとも不思議な音が、ちゃんと聞こえてくることがあるのです。

私たちが樹に向きあい、聴覚を使って接しようとすれば、「不思議な音」を聴くことができる。その音源が何であれ、この事実には、ゆるぎがありません。そんなものは単なる振動音にすぎないのダ。そんなふうに訳知り顔で断定されてしまい、「なあんだ」と急にシラけた気分になってしまって、あのひんやりとした、素敵な感覚を与えてくれる樹の幹肌へ、もう二度と耳をあててみようなどとは思えなくなってしまうなんて、とっても、惜しい。それは自然界の小さなミステリーなのだ、早春の神秘の音色なのだ、そう思えば、さっそく春の森の散歩に出かけてみようという気にもなってきます。そして音源の正体がなんであれ、その方がはるかに素敵なことだと思います。

春の樹の音に心澄まして

樹液の生成が最も活発になるのは早春だといわれます。残雪が横たわる浅き春、まろやかな陽ざしを浴びてくっきりと浮かびあがった巨樹の肌。その中を、私たちの目には見えぬところで、ごく静かに、しかし生き生きと奔(はし)る幽(かす)かな甘露の流れ。見えないものであるならなおさら、聴覚というツールを用いて、ぜひその存在感をとらえ、味わってみてほしいと思うのです。春という生命の胎動の季節ならではの「樹の音色」に、聴覚のみならず、ぜひ心も澄ませてみてほしいと思います。

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