なぜ奥入瀬で山菜やきのこを採ったらだめなのか (その3) なぜ奥入瀬で山菜やきのこを採ったらだめなのか (その3) エコツーリスム講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

確信犯と無意識タイプ

植物の採取が禁止されているエリアにおいて、それでもあえて山菜やきのこを採取していく人には2つのタイプがあります。ひとつは確信犯(故意)に採取を行うタイプです。禁止行為・法律違反だと分かっていても、意に介さない。実際に捕まることなどまずないし、皆がやっていることなのだから問題ない、という意識の人たち。また、事態を軽んじている人達もここに含まれるでしょう。「これぐらいどうってことないだろう、いちいちうるさいことをいうな」という意識の人たちです。居直り強盗みたいなものでしょう。もうひとつは無知(無意識)により、特に悪気を持たずに採取を行うタイプです。そもそも、ここが保護区であるという認識がない。山菜やキノコを採って良い場所と採ってはいけない場所があるのだということすら、まったく意識(認識)していない人たちです。

<遊歩道のない対岸を、収穫籠を背負って歩くキノコ採りのおやぢさん。悪いことをしている意識くらいはあるようで、カメラを向けるとサスカッチのようにそそくさと逃げていきました>

両タイプとも「自然の価値」をまるで理解していないという点においては同じです。奥入瀬渓流や十和田湖が、国立公園や天然記念物などの文化財に指定されている理由は、それ相応の価値や魅力があるからなのだ、というところへ思いが至らない。あるいはそこに意義を認めようとしない。さまざまな要素の集積によって、この地域の自然がかたちづくられているのだということがわからない。その価値を認められない。路傍の植物や菌類など、そのひとつひとつが景観を生態的に支えている構成要素であり、それぞれに価値を秘めたものなのだという意識・観点が完全に欠落しています。居直り強盗タイプの人間は、このような指摘を説教臭い話と小馬鹿にし、はなから理解する気がない人も少なくありませんが、無意識にやっている人たちの中には、「利己的な利用」以外の自然の価値を学ぶきっかけ(環境教育や啓蒙活動)がこれまで得られなかった、そうしたことを考える機会に、ずっと恵まれてこなかったゆえの人もいるかもしれません。

現在の奥入瀬には、せっかくこの地の自然を楽しもうと遠方からやってきてくれたビジターによって、地元や周辺の地域住民による山菜やキノコ採りへの苦言や疑問を受けるという、まことに恥ずべき実態があります。渓流の対岸を指差し「アレあんなところで何か採ってる人がいる。ここは国立公園の特別保護区ではなかったのですか?」案内しているお客さんからのそんな声に、思わず赤面したガイドも少なくないでしょう。奥入瀬の遊歩道沿い、しかもビジターが最も集中する場所において、悪意にせよ無意識にせよ、行き交う人たちが観賞しているもの、愛でているものを、なんの躊躇なくむしりとる。公序良俗に反する行為です。「公共の秩序を守るための常識的な観念」が完全に欠落しています。それは公共の博物館や美術館から展示物を持ち去ることと、なんら変わりがありません。犯罪です。

昔からここで山菜を採ってきた

「自分たちは昔からずっとここで山菜を採ってきた。後から勝手に保護区とやらに決められただけのこと。公序良俗なんて知ったことか」という反論をよく耳にします。そうかと思えば「古くから続く地元の山菜文化こそ守られるべきだ」といった意見もあります。「ひとりやふたりの個人が採取する程度のインパクトなど微々たるものだ」という考えを示す人もあります。「山菜やキノコというものは国民全員が享受できる森の恵みであり、権利だ。国や県に指定された希少植物ではないのだから、保護区であろうが採取しても構わない」というおかしなリクツで自分の行動を正当化する人もいます。

世の中には「やっていい場所」と「悪い場所」というものがあります。小学生に言い聞かせるようなレベルの説諭です。しかしそんなことすら遵守できない、きわめてチャイルディッシュなオトナが多すぎます。それっぽいことを言っていますが、要は自分が「やりやすい場所」で採っているだけのことです。「やっていい場所」と「悪い場所」が見きわめられないわけではない。わかっていても、ただ安易なほう、容易なほうを選択しているだけのことです。

<遊歩道沿いでのマイタケ盗奪の現場。発生後、わずか1日で消失。地元の人間が目的(悪意)をもって見回っているとしか思えません>

山の恵みを得る行為。それ自体に問題はありません。問われるべきは「採ってよい場所なのか、そうではない場所なのか」の判断を「故意に無視する」あるいは「無思考もしくは無配慮」にあるのであって、「採取すること」自体が問題ではない。自然公園の特別保護地区とは、その地域の自然を訪れる人たちに観賞してもらうための場所です。それは、街の博物館や美術館と、その役割を大きく異にするものではないのです。特別保護地区という「公共の場」において、ひたすら利己的に、ワガママに、好き勝手にふるまうこと。それは極めて思慮の浅い行為といわざるをえません。遊歩道沿いに発生した珍しいキノコの観察を楽しみにしていた人たちの気持を踏みにじっても、保護区であろうとあるまいと、自分がよければそれでよい。想像力の欠如、ともいえます。

法規制の限界

見過ごしてはならないのは、奥入瀬渓流や十和田湖が国立公園・天然記念物の指定を受けたことによって得た恩恵は、地域全体にとって非常に大きなものだということです。大規模なレベルでの自然破壊行為や改変行為に対する法規制の実効性について、その効果を認めないわけにはいきません。現行の法規制があるおかげで、企業や行政による直截的・壊滅的な破壊が回避されているのです。これは保護規制のおかげです(もちろん発電所の取水による河川生態系への影響など問題はありますが)

一方で、そうした見えない恩恵を受けながらも、それをまったく自覚しない個々人のルール違反に関しては、現行の法規制などあってなきがごとしの状態です。小規模な自然破壊行為すなわち個人レベルでの盗掘や採取に対する取り締まりの実効性はまるでありません。現行の法規制では、故意の違法採取や盗掘者に対する罰則はちゃんと定められています。ですが現実にその罰を受ける人はいません。誰が監視巡回しているわけでもありませんし、誰が違法者を逮捕するわけでもありません。ガイドが「注意勧告」をしても、無視されるか逃げられるか、もしくは逆ギレされるのかのいずれかです。現行の法規制は、保護区域に対する遵守意識のある人にしか、抑止効果を期待することができないのです。実際に取り締まられるということがなければ、勝手をやりたい人間はやりたい放題です。日常的に法が犯されている状態が、なし崩し的に黙認されているわけです。法が形骸化してしまっているのです。

こうした現状を改善するためにはどうしたらよいのでしょうか。法規制に実効性を持たせるためには、現行犯逮捕による取り締まりを強化するのがもっとも手っ取り早い方策です。しかし現実には、かかる課題に対し、積極的な予算配分と人員補充を行う緊急性を、国や県が認めるということはまずありえないでしょう。厳しい監視や拘束、罰則の適用。それの実行体制が実現不可能な現状は、今後もおそらく大きく変化することはないでしょう。ですが、法的規制を強化するだけでは、人の行動の根本的な部分、本質についてはなんら変わらないままです。法的に規制されているからやらない・やれないのではなく、地域の観光・生態・文化的資源を保全すべしとの意識が醸成され、気運が高まり、結果として保護エリアでの採取行為は不当であるというロジックが地域に定着し、自制が促されていく。これが理想でしょう。期待したいのはこういう流れです。

シーシュポスの神話的義務

博物館や美術館の展示物を毀損したり持ち出したりする人はいません。もしあったら、それはれっきとした犯罪です。そもそも博物館や美術館という「公共の場」において、そのような行為が許されようはずがない。それが常識です。そういう常識が、特別保護地区においても、まず先に立つべきです。奥入瀬の自然に関わる者たちが、自分たちが守っていかなくてはならない「魅力と価値」とはなんなのか。自分たちがめざすべきはどこなのか。奥入瀬とはどうあるべき場所なのか。それについての議論をもっと深めること。立場や思想をより明確にしていくこと。そこで得られたものを伝える継続的な試行を、あらゆる場面において根気よく、しかも気負いなく継続していくこと。利己的な利活用の範疇にのみとどまらない自然の魅力と価値というものについて、その理解を浸透させていくための活動を、地域的規模で継続していくこと。ばかばかしいと思いながらも、それでもとにかく対話の努力を続けていくこと。問題を解決する糸口は、そういうところにしかないような気がします。地域の民意を高めていくしか、結局のところ、方法はないのです。絶対に改心などしない確信犯タイプには「ここはやりにくい場所だ」と感じさせ、次第に忌避するような雰囲気を強めていくしかありません。もちろん、そんなことが一朝一夕で達成できるはずもなく、浸透するまでにはかなり長い時間がかかるでしょう。

というより、こんなことは性善説に基づいた、ただの絵空事に終わる可能性の方が、むしろ高い。ニンゲンというものは、そもそもがそういう情けない動物なのではないか。そういう気もします。それでも、やっぱり私たちはやり続けなければならない。奥入瀬の自然に何らかのかたちで関わる者たちは、奥入瀬とはどういう場所なのか。どうあるべき場所なのか。どうなっていくべき場所なのか。自分たちは奥入瀬をどういう場所にしていきたいのか。していくべきなのか。そういう議論を、深く重い無力感に苛まれつつも、継続していくしかないのです。奥入瀬には、野外博物館的な魅力と価値がある。それが地域の民意となる。それを最終目標に掲げること。そこへ至るまでの気の遠くなるような道程に対し、しかし決して絶望しないこと。そう、もはやこれは「シーシュポスの神話」的な義務なのかもしれません。

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