秋の森に響く重々しき木の実の落音 秋の森に響く重々しき木の実の落音 ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

秋の森に響く重々しき木の実の落音

頭上を直撃

初夏、白いアイスクリームを想わせたトチノキの花が、夏を迎える頃には薄茶色のごつごつした円い果実となっていました。今年もトチの実は豊作です。たくさん、たくさん実りました。

それが初秋を迎えて一斉に落下しはじめています。森に分け入らなくても、遊歩道の上にいっぱい転がっています。どっさりと落ちています。

静かな散策のさなかにも、ドサッ、ドサッという音が響いてくるのです。また、渓谷林(渓畔林)を代表する水辺の樹木でもあって、どぶん、どぶんと渓流に落ちる水音も聴こえてきます。

トチの実の落ちる音は、いかにも重そうな音です。量感があります。しばし耳を澄ませば、断続的に、あちこちから聞こえてきます。

いや、これはまさに秋の森の恵みの音色だなあ──などと感じ入っておりましたら、パカン! という小気味良い音と共に、脳天にショック!「いてッ!」

ごろんとした大きな堅い実が、径(こみち)にたたずむ私の頭を直撃しました。いやはや、たまりません。ハゲ頭をさすりさすり、恨めしげに上を見上げると、立派なトチノキが微笑むように私を見おろしていました。

それほどの大木でもありません。中堅どころ、といった感じです。でも、実りは十分です。この一本の樹が、ひと秋に落とす実の量は、いったいどのくらいになるのでしょうか。

ドサッ、ドサッ──あいかわらずあちこちから、森の静けさを破る重力の音色が聴こえてきます。

愛らしいデザイン

かわいらしいトチの実の種子。左上についているのが殻(果皮)

トチの実を手に取って、観察したことがありますでしょうか?
樹上の実は、厚く、硬い殻(から)のような果皮に包まれています。

※硬い殻の部分は「果皮」で、中から出てくるものが「種子」です。でも一般的なイメージでいえば「殻」と「実」という表現になりますよね。なので、ここではイメージ優先で「殻」のままの表記でいきたいと思います。

黄土色の殻の表面は、細かな「いぼ」状の突起にびっしりと並んでいて、ざらざらした手ざわりです。全体に、ちょっと無骨な感じがします。

殻にはあらかじめ三本の溝状の筋(割目といってもよい)が入っていて、落下衝突のショックを受けると、そこから簡単に殻がぱかりと三つに裂開するしくみになっています。

出てきた実(種子)の印象は、殻とは一転します。黒と黄褐色のツートンカラーのデザインが施された、いかにもかわいらしいもの。それが中からひょこりと現れるのです。殻とは対照的に、つるつるしていて光沢があります。とても愛らしいデザインで、見つけるとつい拾いたくなってしまいます。

遊歩道散策に訪れた人をなんとなく見ていると、この季節は多くの人がトチの実拾いに興じています。「わー、カワイー」という女性や子供の声も聞こえてきます。森の案内をしていても、こちらからの御紹介に先がけて、すぐにもお尋ねの声がかかります。「この、たくさん転がっているかわいらしいものはナンでしょう?」と。

初秋から秋の奥入瀬は、それくらいトチの実が目立つのです。いかにも美味しそう、と「食」のイメージで拾う人もあれば、森の素敵なアクセサリーとして拾う人もあり、です。

トチの実の殻の役割

かわいらしいトチの実(種子)の人気にくらべ、それを被っていた、ざらざらした厚ぼったい殻(果皮)を手にとる人はほとんどありません。

そればかりか、トチの実というとツートンカラーのデザインの印象が強過ぎ、殻の存在を御存じない方も。「樹上ではコレに包まれていたんですよ」と、そばに転がっていた殻を拾ってお話すると、びっくりされるかたもいるくらい。

殻(果皮)と実(種子)のカンケイがわからないと、まったく別モノと思ってしまうか、あるいは、時間が経つと表面にブツブツのある硬いものが、やがてつるつるしてくるのかな、などと思ってしまうこともあります。

ゴツイ質感で種子を包んでいた殻は、いわば栗のイガのようなものなので、中の種子を保護するほか、渓谷林の代表種であるトチノキは、その落とした実を遠くへ撒くため、水の流れを利用するという手立てもとっています。

殻から出たトチの実を川に放り込むと、すぐに水底へ没してしまいます。しかし殻付きのトチの実であれば、いったん没してもすぐに浮上し、どんぶらこ、どんぶらこと流れに乗って移動していくのです。

水の流れは複雑です。やがて下流の岸辺に打ち上げられたトチの実は、そこで殻が割れ、種子が根を伸ばしていくのです。殻の役割は、単に「種子を保護する」ためだけのものではなかったのですね。

もちろん、それが幼樹にまで生長できる確率はそれほど高くないでしょう。それゆえに、トチノキは毎秋、実にたくさんの実を落としているのでしょう。

はるか縄文の時代から脈々と受け継がれる森と人の関係史において、欠かすことのできない森の恵みのひとつが、このトチの実です。ただし、これを求めてきたヒトも動物も、すべて目的はその「中身」にあり、そのアクの強い実(種子)をいかに「食糧」へと変換するのか、という部分にのみ重きが置かれてきました。

湿布薬や胃腸薬、眼病、外傷薬など民間薬としての利用もありますが、いずれにしても大切なのはやはり種子の部分なのであって、決して殻ではありませんでした。

森の底にうずたかく積まれた、無数のトチの実の殻の山。種子を守り、水中での浮きとしての役割を果たしたそれは、一見したところ、ただの「用済み」のモノのようです。しかしこれを分解する菌類によって、たいせつな森の糧の一端をになっているにちがいありません。

近年では、この殻をリースの素材にしたり、また、染め物の原料として使う人もいます。こうしたトチの実の殻の利用法は、ニンゲンならではの自慢できる文化であるような気もします。

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