雪氷の造形を楽しむという感性のレッスン(その一) 雪氷の造形を楽しむという感性のレッスン(その一) ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

雪氷の造形を楽しむという感性のレッスン(その一)

氷の美を愛でる

冬の、それもかなり強く冷え込んだ日には、渓流やそこへ流れ込む支流のほとりで、私はいつも探しものをしています。そこに面白い「氷の造形」ができていないかどうか、それを探しているのです。特に飛沫があがっているようなところには、それが凍りつくことでユニークなオブジェができやすいのです。また地面から滲み出した水が凍りついているようなところでは、それがいくえにも重なって、実に不思議なつららが出現していることもあります。

この小さな「宝探し」には、ちゃんとした目的意識が必要です。面白いものを見つけてみよう、という意識。あるいは面白がる精神といったものかもしれません。そうでなければ、たとえ興味深いものにめぐりあえたとしても、その魅力がわからず「なんだ、どこにだってあるような、ただの氷のかたまりじゃない」ということでおしまいになってしまいます。「見事に凍ってるね」「大きなツララだね」「冷たそうだね」くらいのことは、どなたでも思い、口にもされる言葉でもありましょう。

でも、そんな通りいっぺんのまなざしだけですませてしまってはもったいない。案外と大事なものを、うっかり見過ごしてしまうかもしれません。いや、きっとここには、何か面白いもの、不思議な美しさみたいなもの、そういったタカラモノが隠れているのではなかろうか。そんなふうに、ちょっとうたぐりぶかく、「ここ」と感じた場所では、舐めるように氷や雪の姿に視線を這わせてみるのです。え? 変態みたい? いいのです。もとより美の追求なんて、ある意味、どこか変質的なものなのです。すると思いがけず、ホウと嘆息してしまうようなものが見つかるかもしれません。いいえ、きっとあるはずです。

<凍り付いた滝の飛沫>

撮影は探求心を増す

氷は自然の芸術。その造形美を愛でるということ。それはこの季節ならでは贅沢です。そんな氷の造形観察で重宝するのが「コンデジ」ことコンパクト・デジタルカメラです。今ではすっかりスマホのカメラ機能にその座を奪われてしまったような感もありますが、もちろんどちらだってかまいません。

ちょっとした作品を撮るには、どうしたって一眼レフカメラを使わなければならなかった時代、このコンデジが登場し、世に普及してくれたおかげで、「写真を撮る」という行為が、いったいどれほど楽しさを増したことでしょう。自然散策がどれほど楽しいものとなったでしょう。すべてが凍(しば)れつくような寒い日、家に閉じこもっていたくなるような厳寒日であっても、小さなカメラ片手に雪の森のさんぽ散歩に出かければ、必ずやなにか楽しい収穫があるものです。カメラという機器を手にするだけで「なにかあるだろう」という探求心が自然と増していくからだと思います。

デジタルカメラのよいところは、まずはフィルムを気にせずたくさん撮れること。そしてどのように映ったのかがすぐにその場でわかること。家に戻ればパソコンで即、拡大画像が見られるということ。特に、小さな被写体を対象とするマクロ撮影については、一眼レフよりはるかに有効な場合が多いと思います。

マクロで撮ってみたデザイン

もちろん、ただパチリパチリとやっているだけでは、やっぱりなんの変哲もない写真になりがちです。レンズを被写体に密着させるくらい思いきり近づけてみたり、光の入る加減や角度を微妙に変えてみたりなどすると、思いがけず現代芸術風の絵が浮かびあがってくることがあります。

コンデジなら1センチマクロ機能など、いまではしごくありふれたものですし、近年ではスマホのマクロ機能もかなり進化しています。古い機種であっても、レンズ部分にルーペを当てて接写という裏ワザもありますし、いやそんなものはいまではもうぜんぜん裏でもなんでもなくなっています。それ用のツールもあります。

近接することで対象のイメージが変わるということを、撮影機器を通して体感できさえすれば、撮影機材なんて別になんでもよいわけです。肉眼だけではちょっと味わえない、不思議な氷の造形美を冬空のもと楽しんでみることが目的です。ありふれた、ツマラナイと思われがちな小さな造形も、マクロで撮ってみたデザインには、なんだか妙に引き込まれることがままあります。そしてそれは時に、神秘的な美しさをたたえていることさえあるのです。

不思議な色形をした氷のデザインを目にするたび、なにか哲学的なものすら感じることだってあります。それをじっと見つめていると、いつしか時を忘れ、知らず知らずのうち不思議の森へと迷い込んでいくのです。

<渓流にできていた氷柱のデザイン>

「表現の歓び」はたいせつなレッスン

氷の造形の中に、人の心を魅了する色や形がある、ということを知る。芸術的な自然の見方です。自然散策は、「科学的な視点」と「芸術的な視点」の両方で楽しめるものです。科学的なエピソードにはこと欠かない森ですが、科学にウトい人が森を楽しめないのかと言えば、いわずもがなそんなことは決してないわけです。

森歩きで何か面白いもの・不思議なもの・魅惑的なものを見つける。そして、それを自分なりに表現する。それは大きな歓びです。いたってこどもっぽいことかもしれませんが、それこそがおのれの感受性に磨きをかける、あるいは退化に歯止めをかけるための重要なレッスンなのかもしれません。

目にしてはいながら、実は見えていないもの。目の前にあることさえも気づかずに、ついつい見過ごしてしまっているもの。いまの自分にはわからない、不思議さや美しさ。そして想像を絶する厳しさ。そういうものは、案外とたくさんあるのではないかと思います。いつか、もっとさまざまなものに興味関心のまなざしを注げるようになりたい。そうした微かな希望を持ち続けていると、人生はきっと少しずつ豊かなものになっていくような気がします。

人はごく小さな歓喜であれ、それを人と分かちあうこともできるもの。ふだん気にとめず、見落としていた、そんな小さな美しさを感じとれた時の、素直なこころの喜び。それを誰かに伝えましょう。発見の愉楽に、胸をときめかせましょう。四季を通じた森の散策で、これほど素晴らしいことはありません。

ナチュラリスト講座

奥入瀬の自然の「しくみ」と「なりたち」を,さまざまなエピソードで解説する『ナチュラリスト講座』

記事一覧

エコツーリズム講座

奥入瀬を「天然の野外博物館」と見る,新しい観光スタイルについて考える『エコツーリズム講座』

記事一覧

リスクマネジメント講座

奥入瀬散策において想定される,さまざまな危険についての対処法を学ぶ『リスクマネジメント講座』

記事一覧

New Columns過去のコラム