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雪の上のクモ

冬の森を散策していると、よく雪上を闊歩しているクモを目にします。小さなものなので、気をつけていないと見過ごしてしまいがちですが、ちょっと注意していると、結構な確率で出逢える存在です。昆虫やクモの仲間というと、春から秋の、雪のない季節にのみ現れるもの。そうした印象は、おそらく一般的には多くの人に共通のものではないかと思います。ところが意外なことに、冬になればすべての昆虫やクモ類が休眠しているわけではなく、厳しい冬のさなか、雪氷の上を元気に動き回っている種類がいるのです。その代表選手はカワゲラの仲間であるセッケイカワゲラでしょう。「雪解虫」「雪渓虫」「雪虫」などとも呼ばれる雪上の黒い虫のことは、第31回「メタリックでエネルギッシュな雪解虫」で御紹介しています。

冬のクモ類も、セッケイカワゲラに負けず劣らず、元気いっぱい。実に活発に雪上を歩いています。クモの仲間は種類が多く、種の同定(識別)は容易ではありません。私が奥入瀬や蔦の森でよく目にする冬グモ類には、どうも3〜4種くらいはありそうなのですが、どれがどれとはいえない知識レベル。ちゃんと探せば、当然ながらもっといることでしょう。どんな種が見られるのか、せめて代表的なものだけでも知りたいとは思っているのですが、目下のところは「おっ、またいたゾー!」と、ただひたすら単純に出逢いを楽しむだけにとどまっています。

<頭の前に着いた「こぶとりじいさん」みたいな突起が目立ちます>

このタイプは、おそらくサラグモ科の一種でしょう(と、ひとくちにそういっても、ものすごくたくさんの種類がいるのですが)。ぱっと見て、すぐに目を引かれるのは、頭の先にくっついた二つのコブのような突起ですね。ちょうどカオのあたりに二つあるので、見ようによっては、飛び出した目玉のようにも思えます。もちろんクモの目はこんなふうに外に飛び出したりはしていません。普通、8個の目(4個や6個のものもいます)が頭胸部(とうきょうぶ)と呼ばれる、いわば上半身の先端にあたる部分ついています。写真でもわかる通り、クモはその頭胸部と腹部の2つの部位からなっています。そして脚は体の側面にそれぞれ4ツずつ、8本です(昆虫は6本脚。ここがクモが「昆虫」ではない所以のひとつですね)。

目玉のように見える突起は、昆虫でいうところの触覚のようにも見えるのですが、クモは触覚を持っていません。これは脚(肢)が変化したもので、触肢(しょくし)と呼ばれる部分ます。目玉でないといわれれば、あの「こぶとりじいいさん」のほっぺたにくっついた、大きなコブのようだとでもいいたくなってしまいます。このまるいふくらみ(すなわち触肢の先端にあたる部分)、実はスポイトのような構造になっていて、精子を蓄えることができるのです。いわば袋状の器官です。クモの交尾は、ちょっと変わっていまして、雌雄が直接交接することはありません。成熟したオスは、交尾の前になると小さな網を作り、そこへ生殖孔から放出した精子を垂らします。そしてそれをスポイト状の触肢で吸い上げます。その精子の詰まった触肢の先端を、メスの生殖孔へと挿入するのです。

<毛深くてタランチュラみたいなイメージです>

こちらはおそらくヒメグモ科の一種でしょうか(あまり自信がありません)。先のサラグモ類に較べると、体や脚に独特の模様があり、たくさん毛が生えていて、なんとなくタランチュラを想わせる姿をしています。毛むくじゃらで、まだら模様をしています。このタイプのクモも、雪上でよく見かけるタイプです。先のサラグモ類がすたすたと雪上を歩いていくのに対し、こちらはのそのそといった比較的鈍重なイメージ。でも写真を撮ろうとカメラを近づけると嫌がって、なかなかじっとしていてはくれません。結構なスピードで去っていきます。おっとりしているように見えて、いざ向かいあうとすばしこいのです。こちらも触肢の先がまるくふくらんでいるようです。きっとこれもオスなのでしょう。このほかにも全身薄茶色一色の、おそらくカニグモの一種と思われるものも目にします。

さて、多くのクモは、地中に潜って冬を越すといわれます。ではなにゆえに彼らは雪の上を歩きまわっているのでしょうか。雪氷の上は、一見すると何もない無機質な世界のようにも見えます。寒さ厳しく、小さな生きものなど、とても棲めない場所のように思えます。ところが雪の表面には、実はたくさんの花粉やタネ、胞子などが落ちているのです。そしてバクテリアや藻の一種も繁殖しているといわれます。それらを糧とするカワゲラやトビムシなどの昆虫類が生息し、ゆえにそれを餌とするクモ類もまた生きていけるというわけです。雪上には、想像以上に豊かな世界が広がっているのでしょう。何処へ行こうとしてるのか、何をしようとしているのか、彼らのサイズ的には広大無辺な雪原にも等しい森のなかを、せっせせっせと懸命に歩いている冬のクモたちの姿を目にするたび、思い及ばぬ雪の国の神秘を、ほんの少し垣間見たような心持ちになることがあります。

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