雨の森には樹木の数だけ川が生まれる(その2) 雨の森には樹木の数だけ川が生まれる(その2) ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

雨の森には樹木の数だけ川が生まれる(その2)

樹幹流は森の栄養

樹冠を通過していく雨や、それら枝葉を通過して幹に沿って流れ落ちていく樹幹流(雨の森にだけ出現する、タテに流れる細い川筋!)には、降雨そのものの成分に、その樹木からの溶け出した成分や沈着物が含まれることによって性質が変化します。葉や枝や幹に付着している乾いた沈着物が、樹冠通過雨や樹幹流によって洗われていくわけです。樹の本体から溶け出す成分としてはカリウム(kalium=K)やカルシウム(calcium=Ca)、マグネシウム(magnesium=Mg)や有機物などがあり、また洗い流される主な成分として塩素、ナトリウム(Natrium=Na)などがあります。

樹皮の粗いミズナラやクリにおいてはカルシウム(K)の溶出が多く、平滑な樹皮を持つブナではカリウム(Ca)の溶け出す量が多いという報告があります。樹皮の形状も、樹幹流から溶脱する化学成分を樹種ごとに特徴づける要因のひとつとなっているのでしょうか。ただし、樹皮が滑らかなホオノキでは両方の成分が共に多く、ブナとミズナラの中間的な性質であるとされます。また、ブナについても、カリウムのみならず多量のカルシウムが流出しているという報告もあります。カリウムはブナの樹の内部から溶脱してくるもので(滲み出てくるような感じなのでしょうか)、特に落葉の季節に顕著であるといわれます。カルシウムの方は、樹体に付着していた沈着物から溶け出したものと推定されています。その一方で、逆に樹木の側で吸収していく成分もあります。アンモニウムや窒素成分などです。なかなか複雑です。

降雨や大気からの沈着物は、森林生態系における主要な栄養塩の供給源となっています。植物が必要とする養分のうち、降雨のみからでは得られない栄養素が、樹幹流には含まれているからです。樹幹流は森の重要なミネラル源ともなっているのです。樹木そのものの生育にとっても、重要なもの。樹木の幹面を伝って地面に到達する樹幹流が、総降水量に占める割合はそれほど高いものではありません。しかし林内雨に較べ量的には少ないものの、溶け込んだ物質の濃度は高く、しかも樹の根元に集中して流入するため、地上部や地中の根茎に与える影響が大きいわけです。地衣類などの着生生物にとって樹幹流の栄養分が欠かせないのと同じように、着生生物への基物提供者(生育環境の提供者)である樹木にとっても、自身の着生生物および着生物(沈着物)によって質的に変化していく樹幹流の恩恵に預かっているということが、容易に想像できます。雨と樹木と着生生物、そして着生物。これらの関係性は持ちつ持たれつ、まさに共利共生なのです。

樹幹流の成分が森の酸度を中和

樹木本体から溶脱されるカルシウムやカリウムなど塩基成分に富んだ樹幹流や樹冠通過雨は、酸性雨に対して高い中和機能を持っています。樹幹を流下する過程で中和されていく水は、最終的には樹木の根回り部分の土壌の酸性化を抑止し、中性に移行させていく(=酸性化を緩和させる)ことに、ひと役買っているのです。樹幹流に含まれる高濃度の溶存塩基による働きは、森に栄養を与えているだけではなかったのですね。この働きは針葉樹より広葉樹の方が顕著であると見られています。広葉樹は降雨の酸性度を緩和し、中和した水を樹幹流として土壌に供給しているのです。

酸性雨は人為的汚染によって引き起こされますが、大気中にある炭酸ガスが雨水に溶けるため、雨はもともと弱酸性です。pH(水素イオン指数) は 7.0で中性ですが、汚染を受けていない雨でも、その pH は 5.6 です。酸性雨とは、pH が 5.6 より低い雨のことを指します。森の外に降る雨(林外雨)は酸性度の高い酸性雨であることが多いのですが、樹冠通過雨(林内雨)や樹幹流の pH はほとんど 5.6 を超えて、高くなっています。樹冠通過雨(林内雨)や樹幹流が、優秀な水質保全機能を発揮しているのです。そして森の土壌を潜って地上に出てきた湧水のpH は、さらに高くなっています。きっと土壌中での化学作用も手伝っているのでしょう。広葉樹林の流域全体が、酸性雨を中和しているのです。

前項で、樹幹流は樹の内部からの溶脱や表面からの溶出だけでなく、アンモニウムや窒素成分など樹体の方で吸収していく成分もあると述べました。これは樹木が自分の生育のために必要とする栄養成分ですが、樹木がアンモニアイオンや硝酸イオンを吸収し、利用することで、これらの栄養分が川へ過剰に流出することも防いでいることにもなります。酸性雨が森林を通過し、中和されることで、渓流の酸性化と富栄養化も抑えられているというわけです。

「緑のダム」とは森の土壌のこと

樹幹を這うように流れ落ちてきた水は、ブナの根回りで地中に吸い込まれ、視界から消えます。林冠通過雨も、森の底を埋めている低木や草藪などに受け止められています。大きな樹が倒れたあとのギャップと呼ばれる開けた場所でも、林外雨が直撃するようでいて、その実そうした場所には、恵まれた陽光環境によってたくさんの草や稚樹などが旺盛に生えています。そのため土壌そのものが降雨によって受ける衝撃は、やはりそれなりに緩和されているのです。森では雨滴が地面に直撃することがほとんどないので、よほどの豪雨が続かない限り、叩きつけるように降って地表を痛め、荒々しく表土を削り取っていく強い流路の姿を目にすることはまずありません。水は、ゆっくりと土壌へ浸みていきます。ブナの森の土壌は厚く、まるでスポンジに吸い込まれていくかのように雨水が吸い込まれていくのです。

<ブナの森の林床には大量の落葉によって醸成された土壌が広がっています>

ブナ林の発達する地域は「冷温帯」と呼ばれます。「冷」の字が付くものの、夏の間はそれなりに気温が高くなります。よって植物の生長は旺盛で、秋には大量の落葉が出ます。しかし暖温帯に比べると、それら有機物の分解速度は遅いため、有機物の蓄積量がとても多くなります。いっぺんに腐ってしまうのではなく、少しずつ腐っていくわけです。段階を経て、有機物を多量に含んだ土壌が厚く積もり、それが大量の水分を貯め込むのです。豊かな土壌生物たちの活動も、この土の構造をより良好なものにしていきます。よくブナ林(のみならず広葉樹の森)は『緑のダム』とたとえられますが、それは樹木自体が水を貯蔵していることを表したものではなく(もちろん樹木自体もある程度の水分を含んでいるわけですが)圧倒的な貯蔵容量を誇る、森の作り出した豊かな土壌=森の底を表現したものなのです。

「緑のダム」は水の流出量を調整している

森は、水源を涵養するということに加えて、流出する水の量を調整するという役割を担っています。洪水を抑えると同時に、渇水を起きにくくさせる機能です。大量の雪どけ水や少々強い降雨があっても、急激な増水をなるべく起こさないように働いています。増えた水が減っていく時も緩やかです。いきなり上がって、いきなり下がるということを避けているのです。

<湧水起源の伏流・奥入瀬下流域>

森に降る雨は土壌に浸透します。浸透した水の一部はいったんそこに貯留され、土壌の中を流れて川に向かいます。地中での速度は当然緩やかになりますから、森に降った雨が川に到達するまでには時間がかかります。ゆっくりと川へ流れ出していくのです。雨が降り終わっても、すぐ流量が減ることはありません。かたや森のないところでは、どうでしょう。水の浸透率が低い地面に降った雨の大部分は、地表を流れていきます。地表を流れる水の速度は速く、すぐ川に到達し、川はみるみるうちに増水していきます。しかし雨が止むと、川の流量は急に減っていきます。地表を流れる水の供給がなくなるからです。豪雨による災害が多発し、一方で深刻な渇水が起こりがちな日本では、森の持つ水量の調節機能が非常に重要なのです。

森は、雨の勢いをいったん受け止めて緩和させ、ゆるやかに土壌へと届けています。そればかりではなく、その成分をも変化させ、植物を育て、着生生物を育て、流域全体の酸性度を中和させて環境保全に貢献しています。濁流を引き起こす土砂の過剰流出を防ぎ、人間の糧となる湧水を間断なく供給してくれています。雨の日の森を眺めながらそんな想いをはせる時、目の前の樹幹流が綴りあげている壮大なドラマが少しずつ見えてくるような気がするのです。

ナチュラリスト講座

奥入瀬の自然の「しくみ」と「なりたち」を,さまざまなエピソードで解説する『ナチュラリスト講座』

記事一覧

エコツーリズム講座

奥入瀬を「天然の野外博物館」と見る,新しい観光スタイルについて考える『エコツーリズム講座』

記事一覧

リスクマネジメント講座

奥入瀬散策において想定される,さまざまな危険についての対処法を学ぶ『リスクマネジメント講座』

記事一覧

New Columns過去のコラム