蜂塚を知っていますか 蜂塚を知っていますか ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

蜂塚を知っていますか

地域を移動しながら蜂蜜を採取していく転飼

栃の花咲き蜜がふく
夢多かりし五十年
山背に吹かれ渓に消ゆ
亡き蜂の霊眠れかし

平成元年 境 他七

これは奥入瀬渓流の終点(散策する場合は基点)である焼山(やけやま)地区にある小さな墓地の、その片隅にひっそりと建っている「蜂塚(はちづか)」に刻まれた碑文です。かつて奥入瀬渓流で転飼(てんし)を行っていたある養蜂家が、ハチたちの霊を弔うために建立したものと聞きました。

<奥入瀬の「蜂塚」>

転飼とは、蜜源となる樹種の開花時期の差を利用して、地域を移動しながら蜂蜜を採取していく方法です。春は温暖な土地で蜜を採取し、夏は遠く冷涼な北海道まで移動します。対して、蜂場を移動させない方法が定飼(ていし)です。なお同じ転飼であっても、2パターンがあります。列島を広い範囲にわたり北上する「大転飼」と、同地域内での標高差を利用した移動を行う「小転飼」です。

五戸(ごのへ)のとある養蜂場は、1月から4月を房総半島南部、5月下旬までを津軽地方で「百花蜜」(野の花)と林檎蜜の採取、それから6月上旬まで十和田湖畔および奥入瀬でトチノキの蜜、6月いっぱいまで秋田県大館でアカシアの蜜、そして7月から9月いっぱいまでを青森においてローヤルゼリーの採取にあてる、といいます。一方で、十和田での採蜜を終えると、シナノキやソバの花をもとめ北海道へと渡る養蜂家も少なくありません。

奥入瀬の蜜源樹はトチノキ

現代の日本の養蜂で使われているハチはセイヨウミツバチです(冒頭写真)。十和田名産として知られるハチミツは、奥入瀬渓流とその周辺の森で採取されたものが主。その蜜源樹は、碑文にもあるようにトチノキです。トチノキが豊富に残る奥入瀬は、養蜂家にとって貴重な場所です。トチノキ自体の存在はさほど珍しいものではないでしょうが、日本広しといえども、トチノキの巨木がかくも豊富に居並び、かつアクセスの容易な場所となると、そうはありません。ある養蜂家によれば、十和田(奥入瀬)のトチ蜜は、全体収入の半分をも占めるといいます。

<トチノキの花>

「栃蜜(とちみつ)」はやや赤みを帯び、独特の酸味を持ちます。5月下旬から6月いっぱいまでのトチノキの花期を迎えると、転飼を行う養蜂家たちが、県内外から集まってくるのです。近年ではトチノキのみならず、いろいろな花の開花期が早まっており、見たところ5月上旬から6月初旬くらいまでが採蜜のシーズンとなっているようすです。

奥入瀬の蜂場

奥入瀬の渓流沿いやその周辺には、蜂の巣箱を置く蜂場(ほうじょう)がひっそりと隠されるように何箇所もあります。たくさんの蜂箱の居並ぶ景観が突然目の前に現れると、ちょっとびっくりさせられますが、散策路からは見えない場所が選ばれていますので、一般のビジターが目にする機会はほとんどないでしょう。牛の放牧に使う電柵で周りを囲まれていることが多く、これは甘露を求めて現れる「クマ対策」です。

<奥入瀬の蜂場>

年季の入った印象のある木箱が何十個と整然と並んでおり、その上空をブンブンという絶え間ない羽音と共に、無数のハチたちが乱舞しています。逆光に浮き上がるそれらは一種荘厳な眺めです。1箱に1匹の女王蜂と、膨大な数の働き蜂がを作っているのです。これらはいずれもセイヨウミツバチですが、奥入瀬には少ないながらも野生のニホンミツバチも生息しています。

<木の割目に作った巣へ戻るニホンミツバチ>

ブナの枯死木にできた割れ目に巣を作っていたニホンミツバチを見つけました。写真は集めた花粉を蜜でまるめた「花粉玉」を後ろ足にくっつけて巣に運び込んでいるところです。広葉樹の森にひっそりと棲んでいるこの日本在来の小さな昆虫には、外来種とは異なった、なんともいえない魅力があります。

知る人ぞ知る奥入瀬の蜂塚

奥入瀬に「蜂塚」が建立されたのは、平成元年(1989)のこと。しかし奥入瀬における養蜂はもっと長い歴史があります。祖父の代から数えてもう100年近くも十和田を訪れている養蜂家もあるとのこと。もともとは、岐阜の養蜂家が転飼のために北海道に渡る途中、「蜂休め」のため偶然に奥入瀬へ立ち寄ったことから始まったと伝えられています。

「奥入瀬のトチ蜜」の創始者は、この土地で一財産を築いたそうです。その恩義の念から、ここに小さな慰霊碑を建てたのです。この碑は観光対象にされているわけでもなく、特に案内されているわけでもない、まさしく知る人ぞ知る存在なのですが、人と自然の歴史の一端を強くを感じさせられるものとなっています。

もちろんトチ蜜の採取地が奥入瀬のみというわけではありません。岩手県の安比高原や二戸市、岩泉町などでも生産されていますし、山形・福島・群馬・長野・静岡などでも知られています。いずれも土地の名産品となっていますが、生産数はそれほど多くないようです。こうした各地域に、それぞれその地域特有の養蜂の歴史があるでしょう。蜜の恵みを人に与えてくれた蜂の存在に対し、「蜂塚」のような形で気持を表した場所が他にもあるのかどうか、ぜひ知りたいところではあります。

もうひとつの蜂塚

以下、余談となりますが、「蜂塚」といえば、大阪は摂津市・金剛院のものが知られています。ただしこちらは養蜂や蜂蜜には関係がなく、戦にまつわる伝説です。金剛院は真言宗の寺院で1200年以上の歴史を誇っています。平安時代の末期・崇徳天皇の時代に賊軍が蜂起、その討伐に向かった官軍は逆に押され、金剛院に立て籠もった際、どこからともなく蜂の大群が現れ、賊軍を追い払ったとの伝説があります。

その後も、蜂の大群が盗賊から村人を救ったとされ、二度までもの不思議な蜂の出現に対する感謝の念と、戦って死んだ蜂を埋葬したもの。それが蜂塚であるとされています。かつては「霊蜂山」と呼ばれていたそうですが、後に「蜂熊山 蜂前寺 金剛院」と改められました。この蜂はどう考えてもミツバチではなく、勇猛なスズメバチを想わせます。「蜂熊山」と呼ばれるそうですから、なんだか猛禽類のハチクマも頻繁に姿を見せそうな感じがしますね。

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