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花ぬすびと

かつてはたくさんあったシラネアオイ

シラネアオイの花は、かつては奥入瀬や蔦の森の遊歩道沿いでごくふつうに見られたそうです。残念ながら、いまではそうではありません。「盗掘」によって、めっきり少なくなってしまったのです。

花の季節、奥入瀬の案内をしていると「白い花が多いですね」といわれることがよくあります。単純に見たままの感想を話しているひともいるのですが、多くが「白い花ばかりで、変化にかける……」というちょっとがっかりした心情が、そこに感じられるのです。

実際、奥入瀬で目につく花は白い花がばかりのような気もします。雪どけ後の春によく目立つ花は、キクザキイチゲです。まだ木の葉の開かない、明るい春の林床で群がり咲きます。実はこの花には白と紫の二色があり、紫の花も少なくないのですがやはり白い方が目立つような気がします。ニリンソウも場所によっては一面を埋め尽くすように咲きます。初夏から夏にかけてはマイヅルソウ、クルマバソウ、ズダヤクシュ、そしてヤグルマソウ、オニシモツケなどを各所で見ることができます。いずれも白い花ばかりです。

もちろん、岩についた苔の上に咲くスミレの仲間をはじめ、オトメエンゴサクの紫、エンレイソウの紫褐色、そしてムラサキヤシオ、ヤマツツジ、ウラジロヨウラクと赤系の花も、それなりに出てくるのですが、やはり群れ咲く花が白中心なためでしょうか、色とりどりというには遠い感じがします。奥入瀬で誰でも目にできる花といえば、もう圧倒的に「白色系」なのです(それでも秋になれば、ソバナ、ヤブハギ、ミズヒキ、オクトリカブト、オオアキノキリンソウらが歩道沿いを飾ってはくれますが)。

サイハイラン、ショウキランなどの美しく可憐なラン科の花は、そういう意味でも人気の花です。目につくと、多くの人が立ち止まり、しばらく鑑賞しています。行き会う花々がこうも白い花ばかりだと、色のついた花にどうしても関心が高まるのも無理はありません。

奥入瀬を歩きはじめたばかりの頃、そんな感想を土地の人になんとはなしに話したことがあります。そこでちょっと驚くべき話を耳にしたのです。かつての奥入瀬には、ランをはじめとする綺麗な花が、もっともっとたくさん咲いていた、ということでした。

春一番のフクジュソウ、カタクリなどを、いま遊歩道沿いで見ることはほとんどありませんが、かつてはかなりの数があった、と聞きました。ヤマシャクヤクやシラネアオイ、サンカヨウなども、さほど珍しくはなかったというのですから、驚きです。私はまだ奥入瀬でヤマシャクヤクの姿を目にしたことはありません。

ランの仲間でいえば、いまではコケイランとサイハイラン、クモキリソウなどをぽつりぽつりと目にする程度。ごくたまにサルメンエビネの姿を見ることができれば幸運、思わず小躍りするほどです。しかし以前はエビネ、ジガバチソウ、スズムシソウなども豊富に見られたというのですから驚きです。

<サルメンエビネ>

ほんの30年か40年前までは、こうした野生ランの姿は全国の渓谷林で普通に見られたといわれます。心貧しい山野草ファンのしわざをはじめとし、山野草ブームに乗じた業者による大規模で計画的な盗掘が、各地で何度も繰り返されたあげく、絶滅に至った場所は枚挙にいとまがありません。奥入瀬も、明らかにそのひとつです。

野生動植物の減少は、一般に、開発による自然破壊が主であり、それに次いで、悪質な個人コレクターや業者による大規模盗掘の影響が大きいといわれますが、こと野生ランについては、開発よりも販売目的の大量盗掘こそが最大の激減要因となっています。ニンゲンという生きものの精神的貧困が招いた、情けない悲劇です。そしてそれは、ここ奥入瀬においても同様なのです。数年前の初夏、歩道沿いで観賞できた希少なモイワランやツチアケビにしても、何度目かに訪ねた時には、無残にも茎ごと毟り取られていました。いくら国立公園だの特別保護区だのといっても、このテのお粗末な顛末は、決して絶えることがないのでしょうか。

こうした、どうしようもない事実の前では、希少種の群れ咲く場所は気軽にインフォメーションできません。奥入瀬にもシラネアオイのまとまって咲く場所がまだ残っていますが、ビジターの方がたをそこへ案内することはできません。情報が拡散されてしまうと、花好きだけでなく、道理をわきまえない者もやってきて荒らされてしまうリスクが高まるからです。特別保護区での採取はご法度ですが、誰が監視しているわけでもありません。ひっそりと咲く希少な花は、頭のおかしな輩に見つからないよう、息を殺しているようでもあります。

絶えないランの盗掘

ヒロハツリシュスランという樹上に着生するランがあります。環境省では絶滅危惧ⅠB類(近い将来における野生での絶滅の危険性が高いもの)に、青森県レッドデータブックではAランク(最重要希少野生生物)の指定種となっている希少な花です。茎が下垂し、花が一方に偏って多数付くのが特徴です。常緑性のため、冬季調査での発見が比較的なされやすいのですが、緑陰期にはなかなか見つかりません。一般に、深山の苔むした古い高木の樹幹や大枝に着生するため、生育環境が限られています。分布域は北海道・本州(中部以北)で、青森県内では津軽半島・下北半島・十和田山系に産します。

奥入瀬渓流での生育数も少なく、弊会では遊歩道全域で7ケ所しか確認できていません。全国的に森林の伐採や採取により減少している花ですが、やはり当地における生存の脅威は盗掘です。昨秋、弊会が見つけた同種は、路傍の倒木の上に着生していました。誰しもが観察しやすい場所で、まさに野外博物館の展示物然としたものでした。翌年の開花を心待ちにしていましたが、春先、開花前にあえなく盗掘の憂き目に遭いました。

<路傍の倒木に咲いていたヒロハツリシュスラン。盗掘されていまはもうありません>

フガクスズムシも同様です。環境省カテゴリーでは絶滅危惧Ⅱ類(絶滅の危険が増大している種)、 青森県レッドデータブックではAランク指定種であるこの野草は、主として苔むした古木の樹幹上に着生します。花期は6月。北海道・本州・四国・九州に分布し、青森県内では奥羽山系・白神山地・津軽半島・下北半島・十和田湖周辺に産します。奥入瀬渓流では中流域から上流域で希少種としては比較的よく目にする着生ランなのですが、まとまった生育箇所はごく少なく、基本的には1ケ所で数株程度しか見られません。

<渓流沿いの倒木に咲いていたフガクスズムシ>

本種もまた奥入瀬における生存の脅威は明らかに盗掘です。倒木上の個体がわずか数日で消失する例が以前より後を絶ちません。昨年は渓流沿いの倒木上に数十株を確認することができましたが、芽出し後わずか数日ですべて根こそぎ盗掘され、あとかたもなく消失してしまいました。こういう暴挙がまかりとおり、しかもそれがほとんど問題視されていない。それが奥入瀬の実情でもあります。

<生えていたコケごと根こそぎ盗掘された痕>

奥入瀬渓流域は特別保護地区に指定され、また国指定天然保護区域(天然記念物)でもありますが、法制度上そうなっていても、関係省庁や地元警察による現地パトロールが行われているわけでもありません。特に、道路巡回の地元警察官の盗掘への意識は非常に低く(というよりほとんどない)のが実情です。森へ入ろうとするきのこ採取者に向かって、その「行為」ではなく、「遭難しないよう気を付けて」などと声がけをしているていたらくですから、法規制下にある保護区であっても実際に盗掘者が逮捕された事例などありません。

これは本当に憂慮すべき課題です。車道の存在をエコツーリズムへ活かそうとするのであれば、それを利用した盗掘問題への対処も同時に進めていかなくてはなりません。しかしながら、美しい花を見ながらそういうことについて考えているとしばしば絶望的な気分になってきます。夕暮れ時の静かな遊歩道から仰ぎ見るブナの太枝。そこに繁る着生シダに混じり、昔日にはここに豊かな樹上着生ランの王国が確かにあったのだと思う時、どうしようもないほどの寂寥感に襲われてしまいます。むしろ、そういう歴史を知らなかった方がどれだけ幸せだったろうか、そんなむなしい思いにすら浸ってしまうのです。

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