笹の魚が水に落ちれば岩魚となる 笹の魚が水に落ちれば岩魚となる ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

笹の魚が水に落ちれば岩魚となる

雪の森の中で「笹魚」を見つけました。ささうお、と読みます。笹の稈(かん)の節に、タケノコ状の「ふくらみ」が生じたものです。ご覧の通り、とてもユニークな形をしています。けれど、いたって地味な色あいですし、こみいった笹藪の中にあると、あまり目立ちません。すぐ目の前にあっても、なかなか気がつかない、という場合もあります。知らないと注意も向きにくく、さして珍しいものにも思えない、ということもあるでしょう。

「ホラ、ここに笹魚がありますよ!」こういって指し示しますと、初めて目にした人の反応はさまざまです。ナンダコレ? というのが、多くの人の第一声です。面白い、という人もあります。不思議という人もあります。ちょっと気持が悪い、不気味だ、なんだかケムシみたい……という人も。想像力が豊かな人です。笹の病気か何かですか? そう尋ねる人もいます。鋭いです。きっと理科系の人でしょう。確かに、この異様なふくらみ具合を目にすれば、いかにも笹の病気っぽく見えてもきますよね。

笹魚初見の印象は、かように大きく分けると、ちょっとマイナスのイメージが勝っている感じもします。特に女性は、その奇怪な(?)形状からか、ケムシとかイモムシを連想しがちなようで、触れる時にもこわごわです。ところがところが、この笹魚、江戸時代には幸運を呼ぶ「縁起物」でした。飾り物として、結構な人気があったのです。飛騨の平湯(現在の岐阜県高山市奥飛騨温泉郷平湯)が、この笹魚の産地として有名でした。しかしこの地の特産というわけではありません。日本海側に多いともされますが、全国的に見られるのでは?

<奥入瀬の谷の上で見つけた笹魚>

写真の笹魚は、奥入瀬バイパス沿いの森で見つけたものです。探してすぐに見つかるようなものでもないと思いますが、ものすごく珍しいものというわけでもありません。見つかる時には、結構たやすく見つかります。時にはどういうわけかいっぱい見つかる時もあります。いつもいつもあるものではないけれど、ある時にはある。これが「笹魚を見つけると、何かいいことあるかも」という幸運伝承をはぐくんだのでしょうか。

実は笹魚が縁起物としてありがたがられた背景には、もっと別の理由がありました。江戸時代には、ナント「笹魚から岩魚が生まれる」との俗信があったのです。笹魚が水に落ちると魚になる……時の本草研究家(植物学者・博物学者といった学識者)たちが、いま考えれば、そんなまるっきり冗談みたいなことを、本気で信じていたというのですから、面白いですね。まだ稈にくっついたまま、尾ヒレを動かしているところを見た! などという、まことしやかな話まであったほどでした。これは「鰻(うなぎ)が谷川をのぼって山芋になる」というたぐいの話です。蛇(へび)が海に下ると蛸(たこ)になるとか、竹の根が変じて蝉(せみ)になるといったお伽噺のような「学説」が、当時は知識人の間でも疑われることがなかったというのですから、それはおめでたい縁起物にもなるわけです。

もちろん、笹魚が本当の魚になるはずがありません。その正体は、ササウオフシ(笹魚附子)という「虫こぶ」の一種なのです。虫こぶというのは、虫嬰(ちゅうえい)、あるいは英名でゴールとも呼ばれます。昆虫が卵を産み付ける刺激あるいは幼虫の分泌物によって、植物の細胞の一部がコブ状に異常変化してできる、腫瘍(しゅよう)のようなものです。稈からタケノコが生えているように見える笹魚ことササウオフシは、その名もササウオタマバエ(笹魚玉蝿)という、タマバエ科の昆虫(でも成虫はカのように見える)が、笹の新芽に卵を産卵することで発生したものなのです。ひとつの笹魚には、一頭の母親が産んだ卵から産まれた、たくさんの幼虫が暮らしています。保育器もしくは「ゆりかご」のようなものです。春から初夏にかけて羽化し、笹魚の中から外界へと飛び立っていきます。けれども中の幼虫がすべていちどに羽化するわけではありません。ここが、このタマバエの面白い生態です。

ササウオタマバエの幼虫は、数年にわたる「長期休眠」をすることで知られています。眠っている期間は、同じ笹魚の中の同じ幼虫でもそれぞれで、1年で羽化するものから5年もかけるものまで実に大きな幅があるのです。なぜ、ササウオタマバエの幼虫は、みんなで一緒に羽化しないのでしょうか?これには、ササという植物の生態が関係しています。笹は、何年かにいちど一斉に花を開き、そして枯れて死んでしまいます。タマバエは、かよわい生きものです。見るもはかなげで、移動する能力もきわめて弱そうです。そんな虫が、たまたま羽化した年が、その地域のササが一斉に枯れてしまう「笹枯れ」のであったら、どうなるでしょう。成虫は、新たに卵を産みつける笹を見つけられないまま、あえなく死んでしまうかもしれません。彼らはそのような突発的な危険を避けるため、幼虫たちの休眠期間に、わざとバラつきを持たせたのでは?そんなふうに考えられてもいるのです。

このように、幼虫たちは個体ごとに何年かに分けて成虫になるので、その「ゆりかご」である笹魚は、年を経て次第に大きく成長していきます。笹魚自体が、まるで生きもののように大きくなっていくのです。初めのうちは、それこそタケノコのあかちゃん、といった雰囲気です。ちょこん、とした愛らしい印象です。しかし、それがにょきにょきと伸び、大きなものでは、実に30センチ以上にまでなります。笹魚は巨大化するつれ、先端が尾のように細く長く延び、ますますもって奇怪な姿となっていくのですが、やはり少しでも大きなものの方が、縁起物としてはより珍重されたという話を聞いたことがあります。

縁起物の笹魚を手に、ためつすがめつ眺めていましたら、これを「魚変化」すると見てとった、江戸の人びとのことを嗤(わら)えなくなりました。むしろ、そのイマジネーションの豊かさに、なんだか感服させられてしまったのでした。

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