渓流の倒木は無用の長物ではない 渓流の倒木は無用の長物ではない ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

渓流の倒木は無用の長物ではない

倒木の生態的効果を観察できる貴重なエリア

川に倒れた木は、都市河川ではまず例外なくすぐに撤去されてしまいます。 
治水上の問題です。

しかし奥入瀬渓流は国立公園の特別保護区であるため、歩道や車道に支障を与えない範囲での倒木については基本的にそのままです。 
よって奥入瀬には、渓流のそこかしこに倒木が見られます。 
これはすなわち、川に岸辺の樹木が倒れ込むと、どのような生態的効果が現れるのかということを、間近に観察できる貴重なエリアということでもあります。 
倒木が川に倒れ込み、それまでの水流を妨げると、それまでの流れに変化が生じます。 
倒れた場所が平瀬など、流速が比較的均一な場所であれば、倒伏した樹木が流れてくる土砂や流木を捕捉する障害物となり、浅瀬と中洲が創出されることもあります。 
流れの中に土砂が堆積され、中洲になると、やがてその土壌環境に応じて、さまざまな植物が侵入してきます。 
さらに中洲が大きな島状となると、タニガワハンノキやドロノキ、ヤナギ類などの林となっていきます。 
そうした場所を、奥入瀬ではいくつも見ることができます。

魚たちへの貢献

倒木の水衝部(流れが強く当たり、白波が立っているような箇所)には、流水性のサケ科魚類が生息しています。 
中州の縁辺部に生じたの緩流域(よどみやプール)では、砂底を好むスナヤツメや、止水環境を好むハゼ類やトゲウオ類、そしてまだ遊泳能力がおぼつかないサケ科魚類の稚魚や幼魚が生息します。 
渓流の倒木は、魚類の生息地の多様化に貢献しているのです。

多くのサケ科魚類は、流路内の一地点に留まりながら、流下してくる昆虫などを捕食する「定位採餌」を主に行っています。しかし餌の流下量が多くなる「流れの早い場所」に留まるためには、より多くのエネルギーを消費することになります。流れの速い「瀬」と緩やかな「淵」とを、交互に、効率的に利用していかなければならないのです。 
倒木は水流の抵抗となることで、流れの緩い場所を局所的につくりだしています。

一方で、大きな倒木の下は、魚類に隠れ場所(外敵からの退避場所)を提供しています。 
倒木の下陰に潜り込むことによって、アオサギやヤマセミ、イタチ類など、空や陸からの外敵に捕食されるリスクがぐんと低減します。 
同時に、直射日光を遮断する日陰場所ともなります。冷温な水質が必要なサケ科魚類にとって、これはとても重要な水温上昇の抑制機能です。川岸に居並ぶ渓畔林も、これと同様の効果を供じています。 
倒木それ自体はギャップといって、森林空間に「天窓」を開け、たくさんの光をもたらします。 
大木が倒れることで、それまで薄暗かった森の底が一気に明るくなります。 
光環境の劇的な変化によって、植生に変化が生じます。稚樹や野草がぐんぐん生長していきます。 
その反面、川に架かることで日陰を作り出してもいるわけです。

そればかりではありません。倒木が創出した浅瀬は、サケ科魚類が産卵場所ともなりますし、倒木の下にできた深い淵は、越冬場所としても利用されます。 
さらには水に浸かった無数の細かな枝葉が、流れの中の窒素やリンなどの栄養塩を捕捉・除去し、水質浄化にも役立っている、という指摘もあります。

もはや芸術的存在

倒木の恩恵を受けるのは、魚類や植物だけではありません。 
倒木が流路の中に作り出す多様な地形は、流水中の昆虫である水生昆虫の種類にも多様性を与えます。

渓流内にはカゲロウやトビケラなど、幼虫期を水中で過ごす水生昆虫が生息していますが、平瀬にはマダラカゲロウやニンギョウトビゲラ、早瀬にはチラカゲロウやヒゲナガカワトビケラ、ヒラタカゲロウ類、淵にはモンカゲロウやコカゲロウなど、水流や底質(砂か礫か泥かなど)によって、それぞれの種が棲み分けています。 
それらは魚類の糧となるばかりでなく、カワガラスやキセキレイ、イソシギなどのように水生昆虫を主食とする鳥、またオオルリやキビタキ、センダイムシクイなど森林性の鳥も、水中から羽化してくる水生昆虫を摂食しています。

倒れた樹が、もし対岸にまで達していた場合には、テンやアナグマ、ノネズミ類といった陸上動物にコリドー(回廊)を提供することにもなります。右岸と砂岩とを結ぶ、まさに天然の「橋」となっているのです。 
そうして、この「橋」は、いわずもがな蘚苔類(コケ植物)やシダ植物、地衣類、菌類(キノコ類)などの生育場所ともなります。

もはや渓流への倒木は単に生態的な多様性の付与という位置づけだけではなく、さまざまな生命の「つながりあい」を主題とした芸術作品にようにも思えてきます。

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