樹下のあぶくに秘められた神秘のアート 樹下のあぶくに秘められた神秘のアート ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

樹下のあぶくに秘められた神秘のアート

森のステンドグラス

雨の森を散策していると、ところどころで樹の根元のあたりに白いあぶくが立っているのを目にします。それほどあちこちで見かけるものでもないのですけれど、気をつけているとそう珍しいものでもありません。樹幹流によって黒く染まった樹の根ぎわで、ぶくぶく泡立つ白いかたまり。ぱっと見た感じの印象はあまりよいものではありません。泡、というと、汚れた川や海で多く目につくもの、という印象があるからでしょうか。

ところがまったく人気のない森の中で目にするあぶくは、とても不思議な感じがしました。そんなわけで、以前からこの雨の日だけに現れる奇妙な泡の存在を気にしてはいたのですが、その正体がなんなのか、どのような条件下で発生するものなのか、深く考えてみたことはありませんでした。

ところがある雨の日、そのあぶくに、どういうわけかカメラを向けてみる気になったのです。雨の森では、すべてがきわだっています。幹や葉や草や苔、さまざまな生きものたち、そのすべてが、水を含み生き生きとした輝きを帯びているからです。そんな雨の森のチカラに浮かされていたのでしょうか。コンデジの1センチマクロ機能を用いて、あぶくの表面にぐっと思い切って寄ってみました。その時、デジカメの液晶モニターに映った神秘的な美に、私は思わず息を呑みました。それはまるで、森の底にひっそりと飾られた、小さなステンドグラスのようだったからです。以来、この樹下のあぶくにすっかり魅せられてしまいました。

<樹下のあぶくの中にも宇宙があります>

樹下の泡沫はなぜできる?

このあぶくの正体はいったいなんなのでしょう。どういった条件がそろった場合に、樹の根元に現れるのでしょう。いろいろと調べてみたものの、どうもコレと納得できるような説明にはなかなかあたりません。とある解説には、樹幹流が樹皮の上を流れ落ちていくうちに「高分子」化し、それによって「表面張力」が弱められ、それゆえに樹の根元で泡が立つ──とありました。ネイチャー好きのくせに理科が大のニガテな私には、これだけではハテ何のことだかさっぱり、なんですが、まあ、水だけ振ってできた泡はすぐに消えちゃいますっけれども、界面活性剤を垂らしてできた泡はなかなか消えないってのと、たぶん同じようなリクツなんでしょうなあ—きっと(笑)

樹幹流が流れ落ちる、そのスピードによって、樹の根元に泡の塊りが現れたり現れなかったりする、とか、樹の幹回りの太さ(樹幹流の流れる表面積のちがい)によって発生頻度が異なる、といった説明もあるようです。なるほど、そういわれると、樹幹流が早く流れている樹の根元にはいかにも泡が出やすそうな気もするんですが、実際に森で観察してみると、どうも流れの速さはあんまり関係がなさそうです。たくさん雨が降れば流下速度は上がりますが、それに合わせて泡が多く見られるわけではありません。また、樹の幹の幅や太さ、高さなどの条件にもあまり違いはないようで、巨木であっても細い木であっても、泡の出ているものと、まったく出ていないものがあります。樹に含まれる「脂肪」が樹幹流によって表面に溶け出したもの、とか、樹幹流に含まれる有機物や細菌によって生じる、など、そんな説明もあります。樹下のあぶくの生成には、樹自身が身にまとった付着成分・溶出成分が影響しているということですね。これは確かにありそうです。

泡は、水が撹乱(かくらん)されることによって生じます。それらは連続する撹乱により、たやすく壊れてしまうため、あまり長くは保たれません。しかし水中に有機物や界面活性剤などが含まれていると、泡は壊れずに蓄積されていきます。汚れた水辺に、たくさんの泡が生じているのは、このためです。もしも樹種により、そうした成分なり、有機物なりが樹皮に多く含まれているのであれば、それによって樹下に「あぶく」が生じるという説明には、とりあえず納得させられます。ただ、雨が強すぎれば樹幹流の水量が多くなり過ぎ、溶存物質の濃度が薄まってしまい、泡立ちは抑えられてしまうような気もします。逆に雨が弱すぎれば、樹幹流も少なくなり、今度は泡立つほどの流れにならないでしょう。けれど降雨から時間が経っていれば、それだけ樹木への付着物質や溶出物質も多くなるわけですから、樹幹流がちょろちょろくらいの流量でもあぶくが発生するのかもしれません。

サポニンという成分

泡、といえば石鹸(せっけん)です。その代用品として利用されている植物がサポニン(saponin)という成分を含む樹木です。サポニンのサポ(sapo)とはそのまま石鹸(soap)を意味します。水にも油にも溶けて泡立つ天然の「界面活性剤」としての性質を持つことで知られています。たとえば、お茶が泡立つのは、茶葉に含まれるサポニンのはたらきによるものです。シャボンノキ、という樹もあります。別名キラヤともいい、南米原産のバラ科の高木です。学名はサポナリアで、「石鹸のような」という意味です。その名の通り、起泡性のあるサポニンを含んでいます。樹皮や葉を砕いて水に溶かすと、まるで石鹸のように泡立つそうです。

この成分を含む日本の樹として有名なものには、ムクロジ、サイカチ、エゴノキ、トチノキ、そしてサンショウやタラノキ、シラカンバなどが知られています。特にムクロジは(東北にこそ自生していませんが)その泡立ちぶりは古くから知られており、なんでも平安時代の女性は、その長い黒髪を「シャンプー」するのに、このムクロジの果皮を用い、水に混ぜて泡立てたものを使っていた、と伝えられています。いにしえの人びとは、このように植物に含まれるサポニンの性質を見極め、天然の石鹸として、上手に用いてきたのですね。

先にあげた樹種のうち、ここ奥入瀬・十和田・八甲田でのおなじみといえば、
なんといってもトチノキです。実はトチノキには、その葉・樹皮・実のすべてにサポニンが含まれているのです。トチの実のアクを抜くには、皮を剥いた実を布袋に入れ、川の中に2週間ほど漬け込み、袋から泡が出なくなった時に完了とされるほど、多量のサポニンを含んでいるといわれます。また、エゴノキは地方名で「シャボンノキ」とも呼ばれていました。かつて子供たちは、この樹の果皮を使い泡立たせて遊んだという話はよく耳にします。そしてカバノキの樹皮や葉から抽出されるサポニンは、抜け毛予防のヘアトニックやシャンプー、化粧水、そして入浴剤などにも利用されていることで知られます。

樹下のあぶくの正体は、あるいはこの樹皮に含まれる泡立ち成分であるサポニンが、樹幹流によって洗い流されることによって発生するのかも? と推察したわけですが、雨の森を見ている限り、あぶくが特にトチノキやエゴノキなどに限って生じているということもなく、ブナやその他の樹にも見られますから、どうやら見当ちがいな推察だったようです。しかしウダイカンバの樹下に生じた白い大きなあぶくを目にするたび、「おお、やっぱり」などと納得してしまうのです。

理由はともあれ

樹が泡を吹く、という例もあります。コナラの樹液が、ある条件のもと音を立てて泡を吹く、など、「樹の泡」に関しては興味深い話題がまだまだたくさんあるようです。きっと一概にはまとめられない、いろいろな要因によって生じているものなのでしょう。こうした森のサイエンスは、実に楽しい話題です。しかし理屈はどうあれ、樹下のあぶくが見せてくれるのは、なんとも蠱惑的な美の世界。まさにアート。不思議な、とても不思議な世界です。なぜこうした泡が生まれるのか、という興味関心とはまた別の回路でもって、私たちに森の魅力を伝えてくれています。森が無言のうちに、ただひっそりと表現している神秘の美、といっても過言ではありません。そこに感応できる喜びは、私たちに与えられた幸せというものの、ひとつの確かなかたちでもあるのです。

ナチュラリスト講座

奥入瀬の自然の「しくみ」と「なりたち」を,さまざまなエピソードで解説する『ナチュラリスト講座』

記事一覧

エコツーリズム講座

奥入瀬を「天然の野外博物館」と見る,新しい観光スタイルについて考える『エコツーリズム講座』

記事一覧

リスクマネジメント講座

奥入瀬散策において想定される,さまざまな危険についての対処法を学ぶ『リスクマネジメント講座』

記事一覧

New Columns過去のコラム