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根びらき—雪国の「啓蟄」をめでる

春を告げる幹回りのくぼみ

森の春は「根びらき」にはじまります。このちょっと聞き慣れない表現は、もともとは秋田マタギの山言葉であるといわれます。少しずつ暖気が高まるにしたがい、樹の幹のまわりの積雪が、ちょうど摺り鉢状のかたちに、だんだんと融けていく様子を表す言葉です。雪の森で、地面がいちばんに顔を出す部分です。

マタギとは、山の狩人でありますから、雪深き森の樹々のまわりに、ぽつりぽつりとこの雪のくぼみが姿を見せるようになると、春も間近のあかしとして、にわかに活気づきます。根びらきは、山に生きる猟師たちに、春熊狩りの適期を報せる「自然の暦」なのです。もちろん山人ならずとも、堅い雪が樹を囲むようにぽっかりと口をあけた様子を目にすれば誰もが心踊らされるというものでしょう。待ち望んだ季節の到来なのです。

春の雪の上はとても歩きやすいので、浮かれ気分でいると、時にちと痛い目にあったりもします。特に、この根びらきがくせものなのです。雪の森の中で、最初にゆるむ場所だけとあって、たいてい軟らかい状態になっています。不用意に近づき、いきなりズボリと雪を踏み抜いてしまい、あわてて幹にしがみつき、なんとか態勢を整える……なんてことは、しばしばあるものです。悪くすると転んでしまったり、ひどいと腰まで埋まってしまい、脱出に苦労したりもするのです。危ないし、雪まみれになるし、なにしろ情けないありさまです。反射神経のすこぶるにぶい私などは特に。

しかしそうやって、心ならずも樹の幹に抱きついた時、うららかな早春の陽を浴びた樹肌から、ほんのりとした「微熱」を感じとれたりすると、これがちょっと幸せなのです。ささやかな悦びです。

ただしこの場合、相手はブナとかホオノキなど、樹皮が白っぽくすべすべした、女性的な樹がよいですね。ミズナラのような、黒くてゴツゴツした男性的な木だと、すりつけた頬が痛いだけ、のような気も。ともあれ、そうした樹のあたたかさに触れると「やっぱり樹も生きている」なんて、自然ものの番組などでよく耳にする、歯の浮くような感想を恥ずかしげもなく呟きたくなってしまうのです。

樹が「体温」を持ってる?

根びらきとは、樹が「体温」を持っている証なのだろうと、そんなふうに思っていたことがありました。樹も生きものなのだから、というのが、どうもその頃の思い込みの根拠だったような気がします。後になって「輻射熱」(ふくしゃねつ)という言葉を知りました。雪面は、太陽の光の反射率が大きく、熱エネルギーの吸収量が少なくなっています。けれども、樹の幹の方は、春の陽を精一杯に取り込んで、かなりあたたかくなっています。

幹は、その熱を周囲へ放射状に放ち、その作用によって、樹を中心としたまんまるい雪のくぼみ、すなわち「根びらき」という、ちょっとミステリアスな自然の造形が作り出されるというわけです。雪どけが進むにつれ、根びらきの穴は大きく、そして浅くなっていきます。やがて押し花のようにぺたんこになったササの葉や、落ち葉の貼りついた大地の一部が登場します。森に居並ぶ樹々のそれぞれが、それぞれに自分の領地を有しているかのような、そんな一種独特の雰囲気を持った風景が森に出現します。この季節ならではの眺めです。

それらパッチ状に点在する土の上には、時にいち早く常緑のフッキソウたちがすっくと立ち上がり、長い冬のあいだ、ずっと雪に圧されていたとは思えない、艶めいた緑を旺盛に誇示していたりもします。濡れていた落ち葉が乾き、ひだまりの樹の根元で、昆虫や両生類、爬虫類たちが動きはじめます。小さな鳥たちが餌を探しに飛んできます。森を徘徊するヤマドリやけものたちが昼寝をしていたりもします。根びらきとは、雪国の啓蟄(けいちつ)の異称でもあるようです。

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