春蝉のぬけがら 春蝉のぬけがら ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

春蝉のぬけがら

春の森の蝉

「ミョーキン、ミョーキン、ケケケケケケケ……」

初夏の奥入瀬の森では、こんな奇妙な「鳴き声」が響き渡っています。よほど不思議な声に思われているのでしょう、通りすがりのビジターさんから「あれは何という鳥の声ですか?」という質問を受けることが少なくありません。また「カエルの声でしょうか?」というお尋ねもよくあります。なるほど、確かにそんなふうにも聞こえる響きです。

そこでその正体といいますか、声の主(ぬし)を御紹介いたしますと、たいていは「えッそうなの?」と驚かれます。「本当なんですか?」と、しきりに首をかしげられる方もおられます。怪訝(けげん)そうな表情で、いささかナットクしかねる、という雰囲気の方も。この季節、早朝の鳥のさえずりが一段落する頃から夕方まで、天気が良ければほぼ一日中、精力的に鳴き続けている声の主は、エゾハルゼミというセミの仲間なのです。セミというのは夏に鳴く虫であると思われている方にとって、にわかには信じがたい「答え」だったのかもしれません。

「蝦夷春蝉」と書きます。春に現れて鳴くセミの一種です。「エゾ(蝦夷)」という名前がついているだけに、寒冷地好みの北方系の種類なのですが、実は北海道だけに棲んでいるセミというわけではなく、南限は九州の鹿児島にまで及びます。ただし西日本での分布は、標高の高い、ブナなどの冷涼な落葉広葉樹の森に限られるようです。北海道では平地の林から、そしてここ東北では、丘陵地や低山の森でごく普通に生息しており、5月中下旬から7月下旬にかけ(春というよりは初夏ですね)、あちこちで鳴き声が聞かれます。

もっとも純粋な「森のセミ」であるため、市街地などで声が聞かれることは、あまりありません。東北・北海道では、このエゾハルゼミが他の種類に先がけ、最も早く出現するセミとなります。名前にわざわざ「蝦夷」とついていることから推察されるように、関東以南には、ただの「ハルゼミ」と呼ばれる種類が別に分布しています。こちらは4月下旬頃から鳴き始め、6月なかばまで聞くことができます。「ムゼー、ムゼー、ギー、グェッグェッグェッ」などと、それこそカエルのように聞こえる、濁った声です。エゾハルゼミが落葉広葉樹の森を好むのに対し、ハルゼミはマツ林とその周辺にしか見られません。関東以南でも、標高が千メートルに近い山地のブナ林では、エゾハルゼミが鳴いています。

「蝉しぐれ」か騒音か

それにしても、この時季のエゾハルゼミのエネルギーたるや、なんとも圧倒されてしまいます。最盛期には、朝6時くらいから午後5時頃まで、ほぼ鳴きやむことがありません。とにかくえんえんと鳴いています。初夏のバードウオッチングは、ハルゼミが鳴き出すまでの時間に限られる、そういっても過言ではありません。あまりの勢いに、鳥の方がさえずりを控えてしまうようです。前奏の「ミョーキン」を何回も何回も繰り返し、1頭が鳴きはじめると、まるで連鎖反応のように、あたりのセミがいっせいに鳴き出します。

「蝉しぐれ」という言葉がありますが、エゾハルゼミの合唱は、どうもそういった詩的な言葉から漂う風情には、やや欠ける感じもします。離れた場所から耳にすると、ほとんど「ジャー」という騒音なのです。それに「唱和」というイメージにもほど遠く、どうも「オレがオレが」というような、全員で鳴いていながら実はそれぞれてんでばらばらという印象、なきにしもあらずです。

鳴いているのは、オスだけです。メスは鳴きません。セミが鳴く理由は鳥と同じで、オスがメスを誘うために鳴いているのです。メスが近くに飛来すると、鳴き方を変えます。そして交尾に至ります。

飴色のぬけがら

エゾハルゼミもまた他のセミ類と同様に、樹の上で鳴いています。しかしあれだけの存在感を示している割には、その姿を目にする機会はそんなに多くありません。比較的小型のセミなので、あまり目立たないということもあります。たくさん鳴いている場所で意識して探してみても、なかなか見つけられなかったりもします。そういうところも「アレはいったい何の声?」と知らない人に思わせてしまう要因なのでしょう。

よおく注意していると、力尽きて道端に落ちてきたものや、低木で鳴いているもの、樹の低い位置やササの上などで羽化しているものなどに出逢えます。そうすれば、その端整な模様を愛でることができるでしょう。また面白いことに、どういうわけか夕方になると、彼らは樹の上から地上近くに降りてきて、草やササの上などで休むという生態があります。そういう時も、間近にカンサツすることができます。

早朝は動きもまだ鈍く、幹の上でぼんやりしていては鳥などに食べられてしまうからなのでしょうか。しかしながらエゾハルゼミの最も近しい姿は、その「ぬけがら」にあるといってもよいかも知れません。ブナの森の散策では、気をつけてさえいれば、ところどころに羽化のなごりが見られます。一本の木に何十個も付いていることもあり、びっくりさせられます。

このぬけがらを見つけたら、ぜひゆっくり眺めてみてください。私などは幼少の頃に夢中になっていた怪獣のキャラクターをつい思い出してしまいます。男児の本能をくすぐるデザインなのです。また、それを夕陽などの逆光のもとで透かして見る時の美しさときたら、なんともいえません。飴(あめ)色に輝く、森の小さな宝物を見つけたような、そんな気持になれるのです。

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