春が来て赤子の産着がすきまから 春が来て赤子の産着がすきまから ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

春が来て赤子の産着がすきまから

雪上の冬芽

暦も弥生の月を迎え、北国の森もまた日に日に春めいています。厚い雪の下に埋もれていた低木やササたちが、森のそこここで、ひょこひょこ頭を出しています。いきなりがさりと持ち上がったりもするので、驚かされることも少なくありません。ブナの若木の姿もたくさん目に入ります。高木であるブナの冬芽の観察となると、どうしても双眼鏡だよりとなりがちです。しかし雪上に出てきたものならば、近づいて見ることができます。手で触れることもできます。堅雪の季節は、若ブナの冬芽や枝ぶりの様子を、うんと間近に眺めることのできる、とてもよい機会なのです。いまや、どのブナもどのブナも、めいっぱい冬芽をふくらませているのがわかります。ほっそりとして、見るからに尖った印象のもの。それがこれから葉っぱとなる「葉芽」です。かたや花を含んだ「混芽」は、葉芽よりもやさしげで、ふっくらと、まるいかたち。ブナの芽吹きは、おおむね5月の初め。いかに春めいてきたとはいえ、芽鱗がほころび、いっせいに葉が開くのは、まだ先のこと。でも来たるべき時に向かい、どの芽も自らの爆発をいまかいまかと待ち構えているようです。

柔毛はあかちゃんの産着

ところがです。どういうわけか、森の中では2月、3月といった頃から芽吹いてしまうものがいます。ずいぶんと「気のはやい木」であります。いわゆる「狂い咲き」の一種なのでしょうか。長い冬にじりじりして春を待ちきれず、ついにしびれを切らして自爆してしまったのでしょうか。それとも暖冬の陽気に誘われ、つい笑みを浮かべるようにほころんでしまったのでしょうか。そして開かないまでも、硬い芽鱗の隙間から、ふさふさした銀色の毛をのぞかせているものもあります。ぴたりと閉じあわされた間から、それこそあふれ出るような感じで飛び出しているのです。

<硬い芽鱗と芽鱗の合わせ目から「産着」の一部をハミ出させてしまったブナの花芽>

それは、まるで羽毛のような柔毛(にこげ)です。産毛、といったイメージもあります。ブナは葉も花も、芽吹き直後は、こうした見るからに柔らかそうな毛に覆われているのですが、これはブナの葉と花の「えりまき」のようなもの、あるいは赤子の産着といってみてもいいかもしれません。芽吹きの季節、夜にはまだまだぐんと冷え込みます。気温が0度以下になることもままあります。柔毛=産着は、きっと開いたばかりの花や葉を、夜間の寒さから守るために用意された防寒着なのでしょう。この産着を見つけたら、ぜひ指先でそっとつまむようにして、その柔和な感触を楽しんでみてください。冷たい雪の上でも、ほんのりとした春のあたたかさに満ちているのが感じられることでしょう。

弥生を先取り

一般に、ブナは日の平均気温が6度から7度くらいになると冬芽を開き始める、とされています。本格的な芽吹きを前に、まるでフライングさながらに、いち早く芽鱗を開いてしまったものたち。あるいは、その密接した隙間から、ついハミ毛をのぞかせてしまったものたち。あわてもので、おっちょこちょいで、ヤヤこらえしょうのない、そんな冬芽たちだったのかも知れません。でも、それだけになんともいえない愛嬌があります。早春のブナの森ならではの、一風変わった風物詩だともいえそうです。ちょいとばかりせっかちではありますけれど、単なるお調子者、ばかりともいえないような気もします。

「弥生」とは、木草弥や生ひ月(きくさ いやおひづき)から来た言葉だとされています。これは木や草が繁りだす頃、という意味で、花月(かげつ)、花見月(はなみづき)とも呼ばれます。どんな暖冬の年であったとしても、八甲田山麓の森では、とても見合わない季節感ではあるのですが、いたって気の早いブナたちが、ほんの少しだけ、それを先取りしてくれているかのようです。

ナチュラリスト講座

奥入瀬の自然の「しくみ」と「なりたち」を,さまざまなエピソードで解説する『ナチュラリスト講座』

記事一覧

エコツーリズム講座

奥入瀬を「天然の野外博物館」と見る,新しい観光スタイルについて考える『エコツーリズム講座』

記事一覧

リスクマネジメント講座

奥入瀬散策において想定される,さまざまな危険についての対処法を学ぶ『リスクマネジメント講座』

記事一覧

New Columns過去のコラム