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推理と想像で愉しむ「動物のいた風景」

テンの渡る橋

森の中を流れる奥入瀬渓流。そこに渡された、小さな橋。人が架けた橋ではありません。川岸近くに立っていた樹が倒れてできた、天然の橋です。奥入瀬の森に棲む野生動物たちは、こうした自然の橋を、私たちが思っている以上に活用しています。

幅の狭い川であれば、ひょいと飛び越えていきます。けれど川幅のある流れでは、ちゃんと「橋」を渡っています。動物が橋を渡るなんて・・・と思われるでしょうか。野生動物は橋なんて渡らない。川を泳いで横断するはず、と思っているひとも少なくありません。でも雪の季節に、川沿いの森を歩いてみれば、そんなイメージはすぐに改められるでしょう。足あとです。橋に積もった雪の上には、ちゃんとそれを利用した動物たちの足あとが残されているのです。なによりの証拠物件ですね。

天然の橋である倒木の上を、どのような動物たちが歩いているのか、実際に調べてみたことがあります。動物は種類によって足あとの形状やパターンが異なりますので、おおむね、その種を見きわめることが可能です(雪質や行動のシチュエーションにもよりますが)。奥入瀬の橋の上で最もよく見かける足あとはテンのもの。次いでキツネやタヌキ、イタチ、ノネズミなどの足あとが付いています。テンは、いかにも「通い慣れた道」という感じで、頻繁に橋を使っていました。

本州から九州にかけて生息する、ホンドテンあるいはニホンテンと呼ばれるものが、ここ東北の森に棲んでいるテン(Martes melampus)です。北海道にもいますが、こちらは人の手による移入種で、在来のテンはクロテン(Martes zibellina)という別の種類です。冬の毛が鮮やかな黄色に変わるものを「キテン」、茶褐色や茶灰色のままのものが「スステン」と呼び分けられていますが、遺伝的な違いは認められていないことから、「種」としてはどちらも同じテンとされています。

川に架かる倒木の上を、さっそうと駆けてゆくテンの姿をうまく撮影したいと思っているのですが、偶然に頼っていてもなかなかタイミングがあいません。きちんと撮るには、やはり専門の自動撮影装置をセッティングするしかないように思います。でも目視だけならば、チャンスはそれなりにあります。冬は、昼日中でもうろうろしているテンに時どき出逢うのです。他の野生動物たちと同じように、テンもふつうは薄明時や夜間を中心に活動することが多いのですが、昼間はいっさい出歩かない、というわけでもなさそうで、日中にもそれなりに動きまわってはいるようです。もっとも明るい陽ざしのもとでは、そうそう出逢える相手ではありません。冬は、その滅多にない機会に比較的恵まれやすいようです。

<雪の森を疾る冬毛のテン>

しなやかな体つきをした黄色い獣が、森の奥からいきなりするりと現れたかと思うと、なんのためらいもない身のこなしで、あっという間に「雪の架け橋」の上を走りぬけていく。そんなシーンはいくど目にしてもどきどきします。橋を渡り終えたあと、不意に立ち止まり、くるりと振り向いてこちらをじっと見つめていることがあります。好奇心が旺盛なのでしょう。真白な顔に、黒い目と鼻面が目立ちます。まごうことなき冬毛のキテン。美しい獣だなあ、とほれぼれします。しばらく見つめあっていましたが、「写真を撮ろう」とわずかに身を動かしたとたん、疾風のごとき俊敏さで森の奥へと消えていきました。

毎度毎度このような感じで、どうもテンの撮影には縁がないようです。いちどなど、ずいぶんのんきな個体がふらふらとかなりの近距離まで近づいてきたにもかかわらず、思いがけないことに手がふるえ、しかもどういうわけかカメラのフォーカスもうまく作動せず、結局ブレブレ、ボケボケのいたって情けない写真となってしまったこともありました。がっくりして「橋」の上に目を向けると、そこにはいましがたつけられたばかりの足跡が、まさにテンテンと残されているのでした。

アニマル・トラッキングとは

かように、野生動物との出逢いは稀有にして一瞬のことが多く、いつでもどこでも、たっぷりゆっくり楽しめる、というものではありません。そういう機会に恵まれたなら、それはとても幸運なことです。いっぽう雪の上に残った動物の足跡や痕跡は逃げません。時間の経過でかたちが変わってしまったり、降雪であとかたもなく消えてしまったりはしますが、少なくとも本物と対峙するよりはゆっくりと親しめる対象です。それは「動物のいた風景」を味わうということでもあります。テンの足あとが残された渓流の倒木は、まさに「テンのいた風景」なのです。

動物そのものの姿を見ることなしに、その動物の存在を知る。感じる。野生動物の痕跡(フィールド・サイン)を頼りに「現場検証」よろしく、観察に基づいた推理と想像力で、その「サインの主(ぬし)」を頭に想い描くこと。これをアニマル・トラッキング(Animal tracking)といいます。フィールドにおける推理ごっこみたいなものですが、きわめて知的な野外活動といってもよいかもしれません。ここでいうトラック (track) とは、車などが通った後にできる轍(わだち)とか、軌跡・通り道などの意味です。よってトラッキングは追跡・追尾する、との意味となります。アニマル・トラッキングは「動物の追跡」なのです。

ちなみに、しばしば巷では「アニマル・トレッキング」と表記されるのを目にすることがあります。ですがトレッキング(trekking)では「山歩き」の意となってしまうので、「動物の追跡」とは意味が違ってきます。「動物の痕跡を求める山歩き」ということならば、この表記でも構わないような気もしますけれど。

<なんの足あとで、また、どういうシチュエーションだったのでしょうか?>

野生動物を実際に発見し、目視観察できるチャンスは稀有なものです。そもそも個体数がそんなに多いわけではありませんし、彼らは常に人間の存在を警戒しています。なにより、多くは主に夜行性です。それならば、野外に残された「痕跡」をもとにして、どういう動物が、どのような行動をしていたのかを判断し、そこから、その動物がどんな生活をしているかを、読みとり、推理し、さらには想像をふくらませてみよう。それがアニマル・トラッキングです。

動物の足あとは、じっさい誰にでも見つけることができるもの。スノーシューでの森のハイキングでは、必ずや目につきます。日中しんしんと雪が降り積もり、夜半に降り止んだその翌朝などは大いに期待できるでしょう。ずっと雪に閉じ込められていた動物たちが、夜中にいそいそと狩りに出かけるためです。

これは何のもの? 何のためにここを通ったの? ここで何をしていたの? どの方向に向かっているの? などなど、そういう意識をもって観察してみましょう。そして想像をたくましくしてみてください。動物の行動が、雪の日記帳に「足あと」という「カタチ」として書き込まれているのだ、と、そんなふうに考えてみてください。姿の見えない(しかし確かに<この場>に居た証拠のある)存在の、その気配が、いつしかなんとなく感じられてくる……そんな楽しみ方ができるようになれば、あなたも立派なナチュラリストです。

とはいえ「アニマル・トラッキングなんて、いったいなにが面白いのだ」という人もいます。こんなものは実際に野生生物を観察できないことの「いいわけ」みたいなもの。容易には見ることのできない実物の代替として、すぐに見つけることのできる足跡や糞などを示し、生態などの話題を加えながらその存在の確かさを強調するだけのはぐらかし、ごまかしに過ぎないというわけです。おお、なるほどです。そんなふうに感じる人も、少なからずいそうですね。

例えば海外の「ここに行けば必ず〇〇が見られる」などと謳われたエコツアーに大枚をはたいて参加して、そこでまったくのオケラ。完全に肩透かしを食わされて、でもしょうがないから「痕跡」観察でガマンしてね、といわれたら、確かにそういう気持ちになるかもしれません。でも、日本の森を昼日中にぶらぶらしていて野生動物に遭遇する方がまれなことなので、イイワケ云々というのは、ちょっと「場違い」な感想のような気もします。

動物のいた風景を愉しむ

動物なんてハナから見られないものだと思ってフィールドに出てみれば、乱れた足あとや闘争のあと、ハンティング(狩り)をしたあとや、休息していたあと。さらに排泄あと(糞や尿)などが見つかれば、たとえそのサインの発信者が誰であるかがはっきりとわからなくても、その現場に立ち会っているというだけでも、じんわり興味が湧いてきそうです。もちろん「主」を特定できれば、より推理を楽しむことができます。

動物のいる風景を読むというのは、知的な愉しみ方なので、映像で実物を見ることに慣れてしまった人や、エコツアーというものが迫力ある実物を見せるためのものでしかないと思っている人にとっては、こんなじれったい遊戯はないかもしれません。

でもその日に見つけた「不明な痕跡」をデジカメで撮影し、帰宅してから図鑑やネットなどで正体を探ってみる、なんてのも一興です。足あとならば、後の探求のためにも、できる限り良好な(新鮮な)状態のサインを探して、それを記録しておくにも楽しいです。雪の上の足あとは、時間とともにどんどん形が崩れていってしまうので、ついいましがた通ったばかり、というようなホットな痕跡に「こころ躍らせる」ことができたなら、あなただけの「美しい足あとコレクション」を、どんどん充実させていく、という愉しみ方もあります。

そして単なる「記録」としてだけではなく、それをある種の風情に満ちた、味のある景色としてとらえ、それを表現してみるという愉しみ方もあります。動物そのものが映っている写真とはまた別の魅力をもった風景写真。目の前に残された「なにかが終わったあと」の情景を、臨場感ただよう「絵」として、いったいどのように撮れるのか。その試行は、動物そのものを撮影することとはまた違った回路の面白味が感じられるんじゃないかと思います。

<森の雪原に残された足あとは、まさに「動物のいた風景」です>

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