むずかしやどれが四十雀五十雀 むずかしやどれが四十雀五十雀 ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

むずかしやどれが四十雀五十雀

四十雀と五十雀

小学生の頃、学校の図書室にあった本でシジュウカラの写真を初めて目にしました。小さな姿に凝縮された、気品ある優雅さと愛らしさ。放課後の、とても黴臭い図書室で、大袈裟にいえば、ちょっとした衝撃を受けました。「こんなにカッコよくてかわいい鳥がいるんなら、いちど見てみたいなあ」そう思いました。どこかの遠い山の森に行かなければ、見られない生きものだと思っていたのです。ところが町中の庭や公園の林にもいることを知って、拍子抜けしました。海岸の林から住宅地、そして山のブナ林まで、彼らの棲むエリアはとても広いのです。そのうち、近所の庭木で鳴いている姿を目にする機会がありました。するとなんだか他の仲間も見たくなってきました。ヤマガラ、ヒガラ、コガラは森の鳥でしたが、わざわざ山に行かなくても郊外の森で逢うことができました。やがてゴジュウカラに憧れるようになりました。シジュウカラの親戚みたいな名前ですが、姿かたちはまったく違います。シジュウカラとはまた違ったダンディズムがあるこの鳥は、明らかに山の森の鳥で、郊外の森では見られませんでした。

<樹幹に逆さまにとまることができるゴジュウカラ。他の鳥はマネできません>

はじめは、同じ「カラ」という名前ですし、「四十」と「五十」というくらいなのだから、近しい仲間なんだろうとは思っていました(そして、なんてテキトーな名前のつけかたなんだろうか、とも)。ところが意外にもぜんぜん異なる鳥なのだと知ってびっくり。それでは漢字で書くところの「四十雀」と「五十雀」。こりゃいったいどういう意味なんだろう? そんな根本的なギモンを抱えました。ある日、専門家然とした鳥をよく知るオトナのひとりに、勢い込んで尋ねてみました。すると「そりゃあ、始終カラカラ鳴いているからサ」と駄洒落みたいなことをいわれ、がっかりしました。そのうち実物を探し歩くのに夢中になり、名称のことは気にとめなくなりましたが、奥入瀬に来てからは疑問が再燃してしまいました。かつて東京ずまいだった頃には「憧れの鳥」であったゴジュウカラも、奥入瀬の森ではシジュウカラ以上の顔なじみとなっているからです。

シジュウカラの語源、ゴジュウカラの語源

「四十雀」の名の由来には諸説あります。平安時代には「しじうからめ」、室町時代には「しじうから」と呼ばれていたという古くからの名で、柳田国男は「しじう」を鳴声、「から」を小鳥の総称として解釈しています。蒲谷鶴彦はこの「しじう」を、シジュウカラの地鳴である「チジュクジュク」を「シジュウ」と聞き做したものとしています。「雀」は、スズメのことではなく、小鳥一般を示す言葉でしょう。平安名「しじうからめ」の「め」は、この「すずめ」の「め」に通じる、小鳥一般を表す接尾語とも考えられます。この「しじう」を鳴声以外に解釈したものとしては、たくさん群れるから(四十は多数を表す)とか、取引値が「シジュウカラ一羽はスズメ四十羽分の値段だった」というものまであります。飼い鳥としてスズメより美しく魅力的であったということを意味したものなのでしょう(本当にそういう事実があったのかどうかは未確認ですが)。このようにシジュウカラに関しては、ある程度その名の「語源」「由来」について説明がなされているのですが、かたやゴジュウカラに関しては、不思議なことにほとんど説明らしきものが出てこないのです。

<ゴジュウカラとは似ても似つかないシジュウカラ 撮影・佐藤義則(TOPも)>

ゴジュウカラは「五十雀」と書きますが、まさか「スズメ五十羽分の値段」ということはないでしょうし、そのバリエーションある鳴声は、しかしどれを聴いてみても「ゴジュウ」には聞えません。「四十雀に似てるから」「四十雀より大きいから」などというものもありますが、サイズはほとんど変わりませんし、そもそも分類でも別のグループなので、両者の姿形は誰が見ても明らかに異なっています。似ても似つかない姿です。動き方も、かなり違います。木を逆さまに降りていく行動はゴジュウカラに独自のもので、そこから「木廻(きまわり)」とか「逆鉾(さかほこ)」などの異名もありますけれども、やはりこの鳥の正しい名は、江戸のむかしからあくまでも「五十雀」でした。

安部直哉さんという方の書かれた鳥の名前に関する本に、ゴジュウカラの語源としてちょっと面白い説が紹介されています。むかしは四十歳で初老、五十歳で老人であったので、ゴジュウカラの青みがかったグレーの羽を老人に見立てたゆえ──というものです。要するに「じじむさい」鳥、もとい、落ち着いたダンディズム、とでもいうべきなのでしょう。ちなみにこの方の説によれば、カラ類の「カラ」は「同胞=はらから」に由来するもので、要するに「同じ仲間」を意味する言葉であろう、ということです。

四十雀が老いると五十雀となる

その後、江戸時代の百科事典である寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)にこんな記載があることを知りました。「四十雀は小雀に似ていて大きい。四十加羅(しじゅうから)と囀っているように聞こえる。それでこう名づける。老いると毛が変わり、色もやや異なり形も大きくなる。俗に五十雀という」。うわ、と、これには瞠目しました。なるほど、江戸の人たちはゴジュウカラを老いたシジュウカラの化身だと考えていたわけですね。四十が歳をとればそりゃ五十でしょう(笑)いったいどこをどう見て、どこがどうなれば「シジュウカラ→ゴジュウカラ」という連想が引き出されるのかといった点はともかく、なんだか妙に得心した心もちとなりました。なにせ「笹魚」が落ちて岩魚になると信じられていた時代のことです。江戸人の想像力、そのイマジネーションには脱帽です。(本稿27 「笹の魚が水に落ちれば岩魚となる」参照)

<寺島良安『和漢三才図絵』「四十雀」の項>

 むずかしやどれが四十雀五十雀

これは、一茶が詠んだ句です。初見、まるで意味がつかめませんでした。昔日の俳人の方が自然観察には長けていたはずなのに……とさえ思い、なんだかちょっと訝ってしまったほどです。ところが冬になると、カラの仲間は「種の境」を越えて入り混じるようになり、一緒に仲よく群れを作って森の中を飛びまわります。そんな彼らを眺めるうち、かの「四十雀」「五十雀」の由来も、要するに「なかよしこよし」ということを表したものだったのかなあ、などとふと思いました。すると、鳥たちの群れのなかのどれがどれ、どれがどれ、ということも次第になくなり、だんだんひとつにとけあっていくような、そんな心持ちになっていきました。その時、ふいに思ったのです。得心したような気になったのです。ああ、なるほど、一茶が詠んだのは、表現したかったのは、こういうことだったのかな、と。

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