冬明けを告げる雪上の昆虫―トビムシ(その2) 冬明けを告げる雪上の昆虫―トビムシ(その2) ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

冬明けを告げる雪上の昆虫―トビムシ(その2)

菌類を食べている?

雪どけの季節が間近になってくると、ごそごそと雪上に出てくる性質を持つトビムシたちは、一見したところ何も餌となるものがなさそうに見える雪の上で、いったい何を食しているのでしょうか。また、写真は氷漬けとなったツルウメモドキの実にボクシヒメトビムシがたかっているようすです。このように、雪上に落ちた木の実や枯葉、樹皮の上に集まっている場合もあります。このちがいはなんなのでしょう。

冷たい雪の上で、彼らが何をしているのか。ボクシヒメトビムシの消化管を観察してみたところ、その中には菌類の菌糸や胞子が詰まっていたという報告があります。トビムシの仲間には、作物の根を加害するものもありますが、雪上に現れる仲間の主食は菌類であるとのこと。雪上には、私たちの目には見えない菌類がたくさんいるのでしょうか。さらに氷上には、やはり私たちの目には見えないバクテリアの仲間がたくさんいるという話があります。トビムシたちは、どうやらそれらも食べているようなのです。

ボクシヒメトビムシの消化内容物が、菌糸や胞子だけだったということは、彼らはツルウメモドキの実を食べているのではなく、その実を分解している菌類やバクテリアを食べているということなのでしょうか。同じように、雪上の樹皮や落葉、コケなどの断片に集まっているのも、植物質を食べているのではなく、それを分解しようとしている菌類を食べているということなのでしょうか。それとも有機物そのものを食すことで、それを分解している菌類も同時に食しているということになるのでしょうか。

土壌生物は腸内に菌類を持ち、それが有機物の分解に一役買っている。そんな話を聞いたことがあります。初夏から夏にかけての森で、トビムシ類がさかんにキノコや粘菌(変形菌)を食している姿をよく見かけますが、それは体内に菌類を養う意味もあるのでしょうか。などなど、雪上の小さな姿を眺めていると、このような疑問が次々と湧いてきます。

<朽倒木に現れた変形菌クダホコリを食べに集まってきたトビムシの1種>

どうして雪の上に出てくるのだろう

そもそもトビムシというのは、土壌生物の代表選手みたいな存在です。ふだんは土壌の中、すなわち腐葉土の隙間や落葉の陰など薄暗いところで生活している昆虫が、なぜわざわざ明るい雪の上に現れるのでしょう。

ボクシヒメトビムシの11月から1月にかけての形態変化をおった報告もあります。12月から1月の森の地中から雪上で採集された個体には、跳躍器の先に鋭い歯が見られましたが、晩秋11月に森林土壌から得られた個体のうち、小さなもの(幼生)にはそれが見られませんでした。「跳躍器の鋭歯」の出現という形態の変化は、雪上活動へ適応であると見られています。つまり、このトビムシは明らかに雪上活動を目的とした「身体の準備」をしていたということになります。ボクシヒメトビムシは、冬の間に冷たい雪の上で、幼虫から成虫へと成長をとげているのです。

春から秋までをどのような暮らし方をしているのかはまだ明らかになっていません。しかし、雪のない季節には森の底に棲み、積雪期となればその上へ飛び出していくことを、あらかじめ想定したライフスタイルを送っているということになります。彼らは、いったいなんのために厚い雪をくぐりぬけて雪面へ出ようとするのでしょう。土壌動物であるというのなら、冬のあいだも雪の下の腐葉層にとどまって、そこで静かに生活していればよいだけのことではありませんか。

ふだん森の落葉の下や腐葉層で暮らしているトビムシが積雪期に雪の上へ姿を見せるのは、いわゆる天敵(捕食者)があまりいないということ、雪上には私たちが思う以上に菌類やバクテリアなどの糧が豊富であることなどに加えて、移動しやすいという側面も、もしかしたらあるのかもしれません。というのは、トビムシ他の小さな節足動物において、風による移動はとても重要な分散方法であるとされているからです。高度3,000メートルを超える空中で、数種類ものトビムシが採取された、という報告もあります。しかもこうした空中での分散は、偶然に起こるものではなく、むしろ彼らが分布を拡げるため積極的に風を利用しているというのです。春先の堅雪の上は、無積雪期よりも、風の影響を受けやすい環境ですから、この時期の出現には、あるいはそうした分散の可能性を期待しての側面があるのかも知れません。

ヒメトビムシの仲間が低温に強いのは、冬に備え体液中の水分を少なくし、体内に「不凍液」を多量に蓄積し、身体の凍結を防いでいるといわれます。また、岩の上に生えているコケ(蘚苔類)の内部は、外気温よりも温度が高く保たれており、そこに潜り込むことで、トビムシたちは低温対策をとっているともいわれています。いわば「コケの温室」を利用しているというわけです。厳寒期には、この「温室」の中で休眠し、そのことで代謝を最低限に抑え、ゆえに餓死も凍死も起こらない。目を凝らしてみなければ、その存在に気づかぬほどの小さな昆虫でありながら、なんともはやすごい生き方をしているのだと、感心せずにはいられません。

<凍り付いたコケの胞子体の上に乗るコシジマルトビムシ>

アリストテレスの時代から、その存在はきちんと認識されていたという生物。にもかかわらず、生活史に関しては、いまだつまびらかになっていないトビムシ。されど森の循環を考える上では絶対に度外視できない、重要な存在です。土壌生物は、一個体だけを見ればごく微小な生きものですが、群れ全体では大きな働きしています。トビムシたちの群れが森の中ではたしている役割には、きっと私たちの想像を越えたものがあるでしょう。

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