冬明けを告げる雪上の昆虫―トビムシ(その1) 冬明けを告げる雪上の昆虫―トビムシ(その1) ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

冬明けを告げる雪上の昆虫―トビムシ(その1)

跳躍器を持った雪虫

小さな昆虫を見つけました。雪の上です。たくさん群れています。どうやらトビムシのようです。ゴマ粒くらいの虫が、まさに「湧いている」という感じで大発生しているのです。虫ギライな人から見たら、きっと気持ち悪いと敬遠されてしまうでしょう。一見したところは、雪上のゴミのよう。じっと見ていると結構活発です。飛んだり跳ねたり、まさに名の通り「跳び虫」。そこらじゅうでピンピン飛び跳ねています。キツネやカモシカなど動物たちが残していった足跡(雪の窪み)の中に、どういうわけなのか、たくさん集まっています。

彼らはユキムシとも呼ばれます。ちょっと昆虫に明るい人ならハテと思われるかもしれません。いわゆる「雪虫」と呼ばれる昆虫には、ワタムシ(綿虫)に代表されるアブラムシの仲間がよく知られているからです。ところが「雪虫」のカテゴリーには、実は雪上を闊歩するカワゲラ類やユスリカ、ガガンボの類、そしてトビムシも含まれているのです。

ワタムシの仲間は、晩秋から初冬に現れます。彼らが現れると、もうすぐ雪という風物詩でもあります。いわば「冬を運んでくる虫」という位置づけです。かたやトビムシやカワゲラの仲間は「春をもたらす虫」です。春、というか冬明けの訪れを告げる使者として見られているのです。それはアイヌ語名にもよく表されていて、彼らは「雪を減らすもの」とか「雪を融かすもの」などとされているのです。この虫が出てくるがゆえに、雪が消えて春がやってくる、という俗信もあったといいます。雪国の季節感をしみじみと感じます。

くりかえしになりますが、トビムシはその名の通り、実によく跳ねます。体の大きさの10倍以上もジャンプします。昆虫ですが、翅(はね)はありません。腹部に「跳躍器」と呼ばれるバネ状の器官を持ち、それを使って大きくジャンプするのです。飛び跳ねながら移動していくので、和名では「跳虫」と呼ばれるようになりましたが、ぴょんぴょん飛び跳ねる姿はノミを連想させることから、英名ではスノー・フリー(雪ノミ)です。※日本でも「雪蚤」と称される地方があるようです。

跳ぶための器官である「跳躍器」を持つことがトビムシ類の最大の形態的特徴ですが、彼らはなぜ頻繁に地上を「跳ぶ」必要があるのでしょう。それは捕食者から逃げるために他なりません。土の中をはじめ、雪の上や水ぎわにも棲んでいるトビムシ類は、生活圏のとても広い昆虫です。それだけに個体数も多く「陸のプランクトン」とも呼ばれますが、それゆえに捕食者も多いのです。地上を這徊するアリや甲虫(特にオサムシなど)ほか、いろいろな昆虫類、クモ類、そしてトカゲなどの爬虫類、また鳥など、いろいろな生きものたちの餌動物となっています。トビムシの跳躍器は、そうした捕食者たちから逃避し、身を守るための大切な器官なのです。

牧之姫跳虫

トビムシは、たいへん原始的な無翅昆虫であるといわれます。古生代の中頃にあたるデボン紀(おおまかにいえば約4億年前から3億年前くらい)までの時期には、既に誕生していたことが知られており、ゴキブリよりもさらに起源が古く、昆虫では最も古くから土壌に棲んでいたグループとされています。

それだけに、苛酷な環境にも対応できる強さを持っているのでしょう。冬の気温がマイナス70度にも達する南極大陸に棲んでいる昆虫はトビムシだけといいます。驚異的な環境適応力です。種類数もやたらと多く、日本には約400種ほど、世界には3500種から5000種いるとも(この差は学者によって分類が異なるからなのでしょうか)。

節足動物トビムシ目という分類群の中に、ツチトビムシ科、ムラサキトビムシ科などいくつかの科があります。奥入瀬で目にする種類は、いったいなんというトビムシなのでしょう。専門外にはとても敷居が高いのが種同定というものですが、雪上のトビムシということでネット検索をかけてみますと、特徴の似た種類が見つかることがあります。見た目が似ているというだけで、とんだ見当違いというのはよくあることですが、まあいいでしょう。調べてみよう、という愉しみ方のほうが優先です。

Hypogastrura(ヒメトビムシ)属の1種で学名を Hypogastrura bokusi (ハイポガスツルーラ・ボクシ)和名ボクシヒメトビムシという種類があります。これはどうもそれらしい。※なお、他に「ボクシトビムシ」という表記もありましたが、Hypogastrura属は「ヒメトビムシ属」なのでボクシヒメトビムシでよいのではないかと思います。

<氷上のボクシヒメトビムシと思わる種類>

さて、この「ボクシ」という名は、字の響きだけだと、つい「牧師」を連想してしまい、「牧師のようなトビムシ」って、いったいどんなトビムシなのだろう、敬虔な祈りを捧げているようなポーズでもとるのかしら、などと、いろいろへんてこな想像してしまったりするのですが、実は「牧師」ではなく「牧之」なのです。

これは江戸時代に『北越雪譜』を編纂した鈴木牧之(すずき・ぼくし)にちなんだもの(でも御存知ない方は「牧之」を「ぼくし」とは、なかなか読めません。「まきゆき」と読んでしまいますよね、ふつう)。この『北越雪譜』とは江戸後期(18世紀末/文化文政時代)のベストセラーです。越後塩沢(魚沼)の著者が、雪国の風俗・暮らし・方言・産業・奇譚などなど豊富な挿絵を交えて活写した民俗誌で、江戸という当時の「都市生活者」には想像もつかぬ、いわば雪国という「異国」を初めて紹介したガイドブックとして江戸の人々を魅了し、天下の奇書として圧倒的な人気を博したといわれています。

< 鈴木牧之 の『北越雪譜』表紙>

ボクシヒメトビムシ=牧之姫跳虫=という、このヒメトビムシ科の1種に、どうして『北越雪譜』を編纂した人物の名が付けられているのか。その命名に関する詳しい背景はよくわかりません。『北越雪譜」には「雪蛆」(せつじょ)と呼ばれたセッケイカワゲラおよびクロカワゲラ類(あるいはユスリカ類?)について「雪中の虫」という項において言及されていますが、トビムシ類については書かれていないようなのです。

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