カモシカのこと(その二) カモシカのこと(その二) ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

カモシカのこと(その二)

カモシカの語源

カモシカの古名は「カマシシ」で、漢字表記では「氈鹿」あるいは「羚羊」です。後者は「レイヨウ」の読みの方が一般的ですね。「シシ」は「獅子」ではなく、「鹿」の呼称のようです。私は、カモシカの顔のまわりのふさふさした毛を<獅子のたてがみ>になぞらえたものなのではないかというような想像をしていたのですが、はたしてどうなのでしょう。

「氈鹿」の「氈」(かも)とは「毛氈」(もうせん、けむしろ、かも)のこと。モウセンゴケという食虫植物がありますが、それと同じものです。毛の織物です。かつてはカモシカの毛で織物を作ったことからきた名称、という説があります。一方で、険しい山岳(かま—面白い読み方です)に住む獣であるからだとか、その味がカモ(水鳥の鴨)のように美味であるからだとか、谷を走る様子を上から見ると、ゆれる背の毛色がカモの飛翔を想わせるから──というような珍説(?)まで、実にいろいろです。氈鹿は、字は難しいですが、どうもこれが個人的にはいちばん納得させられる語源です。

昭和になって保護獣となり、狩猟が厳禁とされる対象となったわけですが、それまではサル肉と並ぶ「美味な獣」として珍重されてきました。また肉のみならず、その毛皮がマタギや山林労働者たちの尻当てや衣類として、「氈鹿」は長く重宝されてきたのです。それはきっと古代から変わらなかったのではないでしょうか。

コケも地衣も食べる

彼らの採食対象は、低木の葉や芽、小枝、花、実、そしてササ類を食べていると多くの資料に紹介されています。奥入瀬ではツリバナやオオバクロモジ、オオカメノキなどの低木を好み、またアカソやウワバミソウ、ミヤマイラクサなどの草本も大好物です。冬にはハイイヌガヤやヒメアオキ、ヒメモチといった寒冷地適応型の常緑低木がおもなターゲットとなるようです。チシマザサの葉はあまり好まないとの報告もありますが、実際のところはどうなのでしょう。

<樹幹の地衣類を採食する冬のカモシカ>

一方、ブナなどの大木の幹の表面に着生している蘚類や地衣類を好んで食してもいるようです。各個体ごとに約1キロ四方の行動圏をゆっくりと巡回し、一箇所のコケや地衣類を一度で食べ尽くさないよう、場所を少しずつ変えて食していくといわれます。そして積雪量の変動によって、被食される樹皮の高さ(蘚類や地衣類の付着位置)も変化するため、それが結果的に餌資源の維持につながっているのです。

ニホンジカとのせめぎあい

カモシカは、もともと中国南部や台湾などの照葉樹林帯から日本列島に進入してきた南方系の草食動物です。朝鮮半島やサハリン経由で大陸から南下してきたシカ(ニホンジカ)とのせめぎあいの結果、草原性であるシカが不得手とする積雪の深い地域へと追いやられるようなかたちの分布に落ち着いたという生物地理的見解があります。ゆえにカモシカは、ブナ帯に代表される豪雪地帯の森において矮生化した常緑樹を主食とする生態を有しているというわけです。南方の照葉樹林をルーツとしているハイイヌガヤ、ハイイヌツゲ、エゾユズリハ、ツルシキミ、ヒメモチなどを「主食」とし、豪雪期にそれらが雪の下に埋もれてしまい食すのが困難なった場合には、樹皮の地衣類や蘚類を採食しているのでしょう。

秋は繁殖の季節

<春の森で出逢った若いカモシカ>

秋はカモシカの繁殖の季節です。妊娠期間は約7か月。春から初夏に1仔を産みます。仔が生まれるとオスはすぐにメスのそばを離れてしまい、単独生活に戻ります。幼獣は生まれた翌年の春まで母親と行動を共にします。つまり1歳の春まで、母親と一緒に動くのです。秋から冬の森でよく見かける2頭の親仔カモシカは、昨春に生まれた幼獣なのです(トップの写真)。やがて初夏を迎える頃には独立し、3歳くらいから成熟、繁殖に加わるようになります。

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