アトラスたちの無言の踏ん張り アトラスたちの無言の踏ん張り ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

アトラスたちの無言の踏ん張り

森のアトラスたち

そびえ立つ巨樹に私たちがしばしば圧倒されてしまうのは、仰ぎ見るその高さと、抱えきれぬほど大きな幹まわり、そして威風堂々としたその枝ぶりゆえのことでしょう。しかし、時にそれら以上に目を引かれ、心魅かれてしまうもの。それが樹根です。ゴツゴツと無骨に地上へ隆起した、野太い根の張りようです。オロチのごとき蛇体がほしいまま地面をのたうっているようでもあり、大地を鷲づかむ怪物の触手のようでもあります。

しかしそこからもういちど森の天井へ目を向ける時、そびえたつ巨樹は、両の肩腕と頭とで天界を支える巨神アトラスの雄姿となって映ります。アトラスとは、オリンポスの神々との戦いに敗れ、その罰として天を背負って立つ役を課せられたギリシャ神話の神の名です。大地に根を張る樹根の姿から、巨神たちの無言の「踏ん張り」を想起させられるのです。

地上の樹根

樹根、なるもの。その地下の広がりについて、私たちはふだんあまり気にかけることはありません。樹木の生長について語られる時、それはもっぱら地上の姿のことであり、目にふれる機会がほとんどない樹根にまで関心が持たれることなど、ほとんどないに等しいのではと思います。幹や枝や葉と共に、「根」もまた樹にとって欠かせない重要なパーツであることは、常識としては理解されていても、ふだん「見えない」がゆえにその存在にはあまり現実味を感じることができないのでしょう。もちろん、地上の幹や枝の生長にともない、樹根もまたひそかに地中において大きくなっていることはいうまでもありません。

地上へむき出しになり、うねるように盛り上がった樹根は、そんな私たちに樹根の存在を最も強烈にアピールしてくる存在です。それは幹直下から地中へと突き刺さるように伸び、地上部の大きな体を支える「錨」のような役割を果たす「主根」から水平に分岐した根です。「側根」「平根」「水平根」などと呼ばれるもので、幹の根際から延長し、板根状になったものもよく見られます。いずれも地面と平行に、水平に伸びています。そしてその下には、まるで神経系のように張り巡らされた、水分と養分を吸収する細根が這っています。

地上へ露出した樹根は、本来であれば地中にあるべきものです。それがなんらかの理由によって地上へと露出してしまったのです。奥入瀬の場合、もともと火砕流台地が削られてできた谷底のため土壌が浅く、薄い表土のすぐ下が溶結凝灰岩の岩盤となっているため根が深入りできず、生長に伴って自然と地上に浮き上がってきてしまうというケースが多いのではないでしょうか。

分散型・浅根型のハルニレ,集中型・深根型のカツラ

樹の形を遠望してみると、幹から太枝へ、さらに細い枝へと分かれていきます。同じように、地中の根も細かく枝分かれしながら広がっています。一般に、根張り(幹直下の根株から最も遠くまで伸びた根の先端までの距離)の大きさは「その樹の枝ぶりの面積と同じ程度」といわれ、そのように信じている人は少なくないと思うのですが、実はそうでもないようで、たとえばハルニレなどのように、地上部での枝の広がりよりも、根張りの面積の方がはるかに広いとされるものの方が実際には多いようです。

ハルニレの根は、その水平根が太いことが特徴で、主根はあまり発達していません。このような樹根は「分散型」と呼ばれます。一方、カツラのように根の広がり(水平分布)は樹体の大きさに比べると小さく、樹根の面積をそれほど広げず根株の近くに集まっているタイプもあります。こちらは「集中型」とされています。

樹根の地中への潜り方にも違いがあります。ハルニレは、あまり根を深く張らない「浅根型」です。かたやカツラやトチノキなどは、地中深くにまで根を張る「深根型」とされます。おなじみのブナは「浅根型」です。それで強風時にはひっくりかえりやすくなるのでしょう。しかし同じブナ科であるミズナラは「深根型」です。

深根型の樹は乾燥地に多く分布し、浅根型の樹は水分の豊富なところに多く分布する、との説明もあります。確かにミズナラは乾燥地にも適応しますし、ハルニレは肥沃な土地の指針となる樹種ですから説明と合致していますが、渓谷林の代表種であるカツラやトチノキは深根型とされますので、やはりそれぞれ樹種による個性があるようです。

アトラスたちの森

そのカツラやトチノキは、ご存知の通り奥入瀬の森の代表選手として知られます。渓流沿いという、川の流れによる撹乱(かくらん)のおそれがある環境では、長くその場に鎮座し続けるためには、やはり根を浅く張っているようではだめなのだろうな、との予想がつきます。増水するたびに根が洗われているようでは、大きく生長するのは難しそうです。

奥入瀬渓谷の形成以降、どのくらい規模や頻度で増水が起こっていたのか、そのあたりはよくわかっていませんが、少なくとも保護の対象地となる前後には壊滅的な状況にはなっていません。それゆえに奥入瀬上流部ではカツラやトチノキの巨木化が進んだのでしょうか。岩礫の谷底において、カツラがその細めの樹根を岩と岩の隙間に侵入させながら、徐々に大きくなっていったさまを早回しのフィルムのように観賞できたら、きっと感動ものでしょう。

大きな樹の居並ぶ森の散策では、しばしば見上げがちとなっている私たちのまなざしを、時には樹の足もとに向けてみるのも面白いのではないかと思います。森の天井をささえる巨人アトラスたちの無言の「踏ん張り」を意識するとき、それまで眺めていた森とは、また違った印象が生まれます。地上へむき出しとなった、硬く、いかにも重厚そうな樹根が、しかしじっと見つめていると、やがてどくどくと脈打つ生々しいもののようにも思えてくるのも、あながち的外れな想像でもないかもしれません。

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