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スプリング・エフェメラル(春の妖精)

早春の森に咲きみだれる可憐な花たち。スプリング・エフェメラル(春の妖精)と呼ばれる、その代表格といえば、やはりカタクリではないでしょうか。野山を薄桃色に彩る、この花の絨毯を目にすると、どうしても心がはずみます。キクザキイチゲの鮮やかな白やフクジュソウのてらてらした黄色、エンゴサクの澄んだ空色……いずれも麗しく、眩しいものです。けれどカタクリの前では、やはり一歩引いてしまう気もします。夏緑林とも呼ばれる落葉広葉樹林が、新しい葉を開く前から、カタクリは大きな葉を伸ばし、気温が17度を越えると、6枚の淡紅色の花びらをピンと後方に反り返らせ、咲き誇ります。

春まだ浅き林床に咲き乱れるさまは、実に壮観です。まるで森の妖精たちが灯す、篝火のよう。可憐で、しかし生き生きとした躍動感に満ちて、しかもどこか幻想的でさえあります。そんな眺めに、多くの野の花ファンが魅了されているのです。春植物の花の多くが、天気が良く、暖かい日中でないと花を開きません。朝夕や雨天などの肌寒き日には、半開きの傘のごとく閉じられたままです。特にカタクリは花弁(花びら)がうんと細長いこともあって、たたまれた様子は「紅い番傘」そのもの。

<雨の日は「休業」して「紅い番傘」となります>

虫を介して花粉を撒いてもらう「虫媒花」であるカタクリは、ハチやチョウなど昆虫によって運ばれる花粉を待っています。でも雨の日や寒い日は、虫の動きも活発ではありません。だから虫の訪問が少ない日にまで、わざわざ経費(=エネルギー)をかけてまで「店開き」をしている必要はない、ということなのでしょう。

道標ならぬ「蜜標」を持つ

<蜜の指標にハチがやってきました>

海老反るように広げた、元気いっぱいの花びら。それを、思いきって地上スレスレの位置から覗き込んでみると、付け根のあたりに、桜の花の形にも似た、濃い紫色の縁取り模様が施されていることがわかります。これは道標ならぬ「蜜標」(みつひょう)と呼ばれるもの。昆虫に花の蜜の在り処を示すためのもの、といわれています。でも虫の目のみならず、人の目もまた十分にひきつける、ちょっと不思議な印象のデザインです。上品ではかなげな、淡い紅色の花びらだけでも、いろいろな虫たちを手招きするには十分なような気もしますが、念には念をということなのか、ちゃんとこうしたサインを用意する。そのあたりは、さすが春植物というべきでしょうか。

春が確実に歩みを進めていくにつれ、ぴんと反りかえっていた初々しい花びらからはみるみるうちにハリが失われていきます。やがて森が若葉で賑わいだす頃、早春の妖精たちは既に翌春への準備へ。十ケ月近くにもおよぶ、長い長い地下生活の再開です。花は地上から消えても、植物自体は生きているのです。地表の花だけを見ていれば、あるいは夭逝とか美人薄命といった言葉も浮かんでくるのですが、実際その寿命は15年ほどもあるといわれます。案外と息の長い野草なのですが、花を咲かせるまでに7年から8年もの歳月をかけ、咲いてからわずか十日足らずで萎びてしまいます。エフェメラルとは「儚きもの」という意味。まさにいいえて妙。頭上の木々がまだ葉を出しきらない、明るい陽ざしのもとでしか、彼女たち春植物は、花をつけることができないのです。まさに命短し恋せよ乙女、なのです。

目的は「エライオソーム」

<果実となったカタクリ。中に種子が収まっています。花時の面影はまったくありません>

花の「春一番」が終わると、その蜜をなめ、花粉を方々に運んでくれたハナバチたちにかわって、今度はぞろぞろとアリたちがやってきます。地面に落ちた、カタクリの種子を求めてやってくるのです。ただし彼らの本当のお目当ては、タネそのものではありません。その目的は「エライオソーム」という名の付属物にあります。それはなんであろう、アリたちを誘引する物質を含む「嗜好品」。これはカタクリのみならず、スミレやエンリソウなど、いろいろな春の花々に見られるものです。なにせ働きもので通っているアリたち。せっせと巣の中に持ち込んだタネの、その「美味しい部分」だけを切り離すと、残りは、また巣の外へさっさと放り出してしまうのであります。この、いささか乱暴ともいえる過程では、あえなく死んでしまう種子も少なくはないようです。けれど結果的にカタクリは、アリたちのそのすぐれた組織的運搬力を利用、より広い範囲へと、自分の子どもたちを拡散させることに成功しているのです。

一見したところでは、いかにもはかなげな春のエフェメラル。しかしさすがは野に咲く花。本当のところはたくましく、そしてなかなかの「したたかもの」なのです。

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