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笑いヤマセミ事件

ヤマセミという渓流の鳥

 奥入瀬を代表する鳥としてあげられるのは、生息環境的な観点からでは①カワガラス②ミソサザイ③オオルリで、この三種には<渓谷>と<蘚類>という共通のキーワードがあります。代表的な夏の渡り鳥を<色彩>という観点から選ぶと①オオルリ②キビタキ③アカショウビンがあがります。<青・黄・赤>の信号機カラーですね。いずれも夏の落葉広葉樹林を代表する鳥たちです。そして、希少性という観点からあげるとすれば①クマタカ②シノリガモ③ヤマセミではないかと思います。

 ヤマセミは<渓流の帝王>とでもいうべき気品のある鳥で、白と黒の鹿の子模様が実に美しく、貴族的な雰囲気をたたえています。独特の存在感を放つ鳥です。残念ながら「お目にかかれれば幸運」というレベルの遭遇率で、激レアというほどもありませんが、個体数が少なく、警戒心が強く、人の姿を認めるや否や、すぐに飛び立ってしまうのです。なかなか近寄らせてくれません。

 この鳥との出逢いのシチュエーションをふりかえってみると、その多くがニアミスに近いものであるような気もします。多くは相手が飛翔中、こちらの目の前か頭上を鳴きながら(時には寡黙に)通過していく、というケースがほとんどなのです。緩慢に翼を打ち羽ばたきつつ、短く、鋭い声で啼きながら去っていく、その後姿を視界にとらえるのがやっと、というのが常なのです。少なくとも奥入瀬においては「なじみぶかい」とは、いいがたい鳥です。でも、それだけに出逢えると嬉しい——そんな鳥です。

 ヤマセミという名を紹介して、すぐにその姿を脳裏に想い描くことのできる人は、きっとそんなに多くはないでしょう。現在はもう販売終了となっていますが、1994(平成6)年発売の80円切手の絵柄にヤマセミが使われたことで、少しは知名度もあがったようです。この話をすると「あー」と思い当たる人は多いでしょう。それでもカワセミの知名度に較べれば、まだまだマイナーな存在です。

 全長は40センチくらい。日本のカワセミ類の中では最大です。全身、黒と白の鹿の子斑なので、古くは「鹿子鳥」もしくは「カノコショウビン」などとも呼ばれていました。遠目に見ると、全身白っぽく見えることが多いです。陽の当たり方によっては、時に銀色に輝いていることもあります。

 ボサボサの頭も特徴でしょう。頭上の逆立った羽毛——冠羽といいます——が目立ちます。ノドから胸、そしておなかにかけては白く、胸に黒色の縦斑からなる幅の広いバンド(横帯)あります。このバンドの密度には若干の個体差があり、まばらなものがいたり、密なものがいたりします。

メスだけが持つオレンジパッチ

 一見すると雌雄差はないようにも見えますが、オスは胸のバンドに橙褐色(オレンジ色味)が混じり、メスはモノクロのまま、という違いがあります。この橙褐色は、時に赤錆色とか肉桂赤色などと表記されることもあります。この色違いがいちばんわかりやすい雌雄の識別ポイントでしょう。

 興味深いのは、メスは胸のバンドは白黒のかわりに、なぜか<翼の裏側>という、静止時には視認不可能な場所に、鮮やかなオレンジ褐色のパッチを持っている、ということです。ふつう、こういった目立つ色あいの部位は、オスの羽衣に見られることが多いのです。目を引く色は、求愛や闘争の際のディスプレイ(誇示活動)に用いられるためで、卵を抱いてじっとしているメスはたいていオスよりも地味であるか、あるいは雌雄同色で、ほとんど色が変わらないのかのどちらかです。
 ヤマセミのメスの翼の裏に隠されたこの「意匠」には、いったいどんな意味があるのでしょう。繁殖行動においては、あるいはメスがこの翼の裏のオレンジ色をオスに誇示して、何らかのアピールをしたりするなんてことが、あったりするのでしょうか。
 求愛の季節には、オスがメスに魚をプレゼントするコートシップ・フィーディング(求愛給餌)が見られます。妄想をたくましくするに、もしかするとメスは、この時に翼下の色を誇示してオスを誘ったり、あるいはプレゼントへの礼を示すとか、そういうことだってあるかもしれません。寡聞にして、このヤマセミのメスの翼裏のデザインの意味について言及された報告や見解は、これまで目にしたことがないのですが、実に興味深い雌雄差だと思います。

 三月から四月、渓流に春が訪れるとヤマセミの繁殖行動がさかんとなり、ペアで連れ立って飛翔するようすや、追いかけっこなど観察されるといいます。しかし奥入瀬では、あまりそういった行動を目にすることがありません。おそらく、本流沿いでは巣作りをしていないのではないかと思っているのですが、実態は不明です。
 ヤマセミの巣作りは、高さのある急傾斜の土の崖に横穴(トンネル)を自力で掘削して行います。奥入瀬流域は岩質の崖地がほとんどで、穴掘りの可能な土の崖は見られません。しかし営巣地は渓流に面した崖に限られているわけではなく、沿岸からなんと1キロ以上離れた場所であっても利用していることが知られています。どこかでひっそりと子育てにいそしんでいるのでしょう。

<翼の裏にオレンジ色のパッチを持つヤマセミのメス 撮影・小林信輔>

 

主食は魚

 同じ仲間のカワセミが、山上の湖から海岸まで、そして街中の水域に至るまで、たいへん幅広い環境に適応していることに対し、ヤマセミは頑なに<渓流の鳥>のポジションを崩しません。河川の上流域や山間のダム湖といった環境以外で目にする機会は、まずないと思います(例外があったらすいません)。奥入瀬では一年を通して渓流で見られますが、冬季には、たとえば蔦沼(蔦の森)などに、まれに姿を見せることもあります。十和田湖でも見かけたことがあります。

 分布は北海道から種子島までと広く、基本的に<渡り>はしません。ただし厳冬期に水域が凍結してしまうところからは、移動することもあるようです。奥入瀬の場合、凍結しない渓流域からわざわざ結氷している蔦沼へ姿を見せるわけですから、ちょっと変わっているような気がします。

 ヤマセミの主食は魚類です。渓流のイワナやヤマメが、その捕食対象となっています。よってヤマセミが生息する渓流は、当然、主食となる魚類が豊かに生息する環境でなくてはなりません。魚類が豊かな環境とは、基本的には<瀬>と<淵>によって構成された天然の河川です。さらに、魚類の糧となる水生昆虫の生息環境を多様化させる流路内の倒木や、陸生昆虫を流路に供給する水際の樹木および草本といったものが必要になります。

 ヤマセミが魚類を捕食するための止まり場とするのは、岸辺の樹上や倒木、流れの中の岩上です。橋の橋脚などを利用することもあります。また、しばしばホバリング (停空飛翔) を行い、水中にダイビングして魚を捕えます。
 森林内の水域環境を利用しているアカショウビンとは異なり、昆虫類や両生類、爬虫類などの捕食はあまり知られていなように思います。よってヤマセミの行動範囲は渓流の沿岸に限られるようです。ただし、水辺に人間の姿を認めた時などには、大きく迂回して移動飛翔し、森の上空を、時には森の中を飛行していくこともあります。森の中を飛んでいるヤマセミの姿は、なかなか新鮮です。

 ペア(つがい)ごとにテリトリー(なわばり)を持ち、一流域に1ペアともいわれ、その行動圏は3キロから7キロとも。仮に行動圏が7キロであった場合、奥入瀬にあてはめると、流域の半分を1ペアが占有することになります。行動領域の広さも、遭遇率の低さにつながっているのかもしれません。
 テリトリー内にはいくつかの決まった<止まり場>を持っていて、そこが採食や休息などに使われます。冬季は雌雄が別行動をとっているとされますが、厳冬期二月の石ケ戸において、ペアで行動しているようすを観察したことがあります。

笑いヤマセミ登場

 ヤマセミはよく鳴く鳥です。その鳴声は、概ね、どの図鑑にも<キャラッ キャラッ>あるいは<ケレッ ケレッ>また飛びながら<ケレケレケレ>という鋭い声で鳴く、などと記載されています。
 音声のとらえ方とその言語表記には個人差があるようで、ワタシなどは、どう聴いてもヤマセミの鳴声が<キャラ>とか<ケレ>には聞こえません。案外と、こういう感想を持つ人は少なくないかもしれません。聴いた音を図鑑に書かれているように脳内変換できてしまえる人は別ですが——いずれにせよヤマセミは〈キョッ〉とか〈ケッ〉などと聞こえる、短く、鋭い、叫ぶような声で鳴きます。

 この声が、実はキツツキ類の出す声にそっくりなのです。そのため、しばしば悩まされるのです。奥入瀬に棲むキツツキで、こういう〈キョッ〉とか〈ケッ〉などと聞こえる、短く、鋭い、叫ぶような声を出すのは、アオゲラ、アカゲラ、オオアカゲラです。ヤマセミは渓流の鳥で、キツツキ類は森の鳥なんだから、生息環境がぜんぜん違うではないか? と思われ方、甘いっす。渓流沿いの森で、キツツキ類がさかんに鳴いているなんてのは、よくあること。ゆえに判断が難しいのです。

※こういう話をすると「そんなの声質がぜんぜん違う。聞き分けられない方がおかしい」とかいうヒト必ずいます。そりゃあどうもすいませんね、あっしにはわからねえんでございますよ。

 つい先日も、流れのほとりの森から〈キョッ、キョッ、キョッ、キョッ〉という例のアノ声が連続して響いてきました。どこにいるのかしばらく探してみましたが、姿は見えません。
 同所で延々と鳴き続けていること、ヤマセミは比較的飛びながら(移動中に)鳴いている印象が強かったことなどから、ウンウン迷った末に、これはアカゲラだ、と判断を下しました。隣には「さっきから聴こえてきてるコレ、何の鳥の声?」と目で尋ねてきている友人のカオがありました。

 彼は昆虫リサーチャーなのですが、鳥にもかなり詳しい人物。ただ、こういう紛らわしい地鳴き(※さえずり以外の地声)系がちょっとニガテなんだそうで、トリヤ(鳥を専門に調査などしている人のことをこう呼ぶ——野鳥調査をなりわいにしていた若い頃にはワタシもそう呼ばれていた)には、ぜひそういうところを学びたい、などと真顔で仰る努力家なのです。
 あいかわらず〈キョッ、キョッ、キョッ、キョッ〉という声は響きまくっています。さあ、これはなんだ。これは、どっちだ。答えろ、さあ答えろ。だんだん、そんなふうにも聞こえてきます。なんだか脅迫されてるみたいです。腕を組んで押し黙り、仁王立ちでもって川向こうの森を見つめるワタシ、なかなか鳥の名を口にしようとしないワタシを、友人は、なにもったいつけてんだよ、早く言えよこのやろう、というマナザシで、じっと見ているのがわかります。

「う~ん、これ、アカゲラの声だね」

 意を決して、おもむろにそう告げた次の瞬間、待ってました!とばかりにヤマセミ登場。目の前を鳴きながら、ひらひら、ふわふわと通過していくではありませんか。なんじゃこりゃー。思わずひっくり返りそうになりました。
 バードリサーチャーの面目、みごとに丸つぶれ。その時のヤマセミの声は、明らかに<ケッ ケッ>ではなく〈ケケケケッ ケケケケッ〉という嗤い声に聴こえました。

(アア、笑っとる。こりゃあ、完全にバカにされとるなあ……)

 なんとも口惜しい思いに地団太を踏むワタシの隣で、友人は腹を抱えて大笑い。この顛末は、以後ワライカワセミならぬ「笑いヤマセミ」事件として語り継がれることになりました。どっとはらい。

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