
凍った樹液
ブナの樹に大きな傷ができていました。そこから滲み出した樹液が凍っています。どんな原因で生じた傷なのでしょうか。幹の裂け目、剥がれた樹皮が、なんとも痛々しく目に映ります。黒ずんだ樹液が、その傷口を覆うように広がっています。凍りついた表面を、こんもりと盛り上げていました。
樹の肌に滲んだ樹液は見るからに粘度が高そうで、触れるまでもなくねばねばとした印象でした。しかし凍った部分はただの氷塊のようにも見えます。樹液に含まれる水分のみが氷結したのでしょうか。あるいは、樹上から幹を伝って流れてくる「樹幹流」がそこえ滞留し、凍結したものなのでしょうか。垂れ下がったいくつかの氷柱(つらら)の先端を見てみると、やや濁りを帯びた、薄い琥珀色をしています。
冬ならではの甘味処
子供の頃、カブトムシやクワガタムシ、カミキリムシやカナブンなどのカッコよくて美しい甲虫を求めて、樹液の出ている樹を訪れた人は少なくないでしょう。雑木林の主役であるクヌギやコナラなどの樹液には、多糖類がたっぷり含まれています。それを目あてに虫たちが集まってくるのです。樹の吐き出したどろどろの液体に群がる昆虫たちを見ていると、子供心に(これはきっと彼らにとってうんと甘い液なんだろうな)と思ったものでした。あたりに漂っていたツンと甘酸っぱい匂いもまた、その思いをさらに強めてくれました。
ホットケーキにかけるメープルシロップは、北米原産のサトウカエデの樹液を煮詰め、そこに含まれる高濃度の糖類を濃縮したものです。最近では日本でも自生するカエデの仲間からシロップを採取しているという話を耳にしますし、シラカンバの樹液は商品化されています。
氷柱となった樹液をもとめ、エナガやコガラ、ヒヨドリ、アカゲラといった野鳥たちがやってきます。雪ン子のように白いエナガやコガラが、氷柱の先端から垂れる滴を飲むために、せっせと羽を動かして停空飛翔(ホバリング)している愛らしい姿を見かけるのも、この季節ならではの特典です。リスが熱心に舐めていたり、ガリガリと齧っていたりすることもあり、なるほど天然のアイスキャンディなわけです。カエデの樹液の糖分は、やはり他種に比較して高いのでしょう。まさに冬ならではの甘味処となっています。一方、ブナの「樹液アイス」にも鳥や虫がやってくることがあるのかどうか、残念ながらまだ目にしたことはありません。
樹液の役割
何らかの理由で樹皮が傷つくと、そこから樹液が滲んできます。テルペン類、アルコール、脂肪酸、アミノ酸類、糖類、そしてタンパク質など、樹液は実に複雑な成分からできていて、樹種によってその内容も大きく異なるといわれます。樹液が乾燥したり、成分が重なり合ったりなどして二次的な変化を起こすと、「やに」状の物質である「樹脂」となります。
テルペン類と呼ばれる物質には、抗菌作用のあることが知られており、病気を引き起こす菌類から身を守る役目を果たしています。また、樹脂は傷口をふさいで菌の侵入を防ぎ、治癒しようとしています。傷ついた樹が液体を滲ませるのは、我が身を保護するためであり、何も昆虫のためでも鳥のためでもないのですが、結果的にはいろいろな森の生きものが目ざとくそれを利用し、特に冬の間には大切な糧となっているというわけです。
凍った樹液を撮影しようと目を近づけていましたら、氷の中にいくつもの気泡が閉じ込められているのがわかりました。午後の陽を浴び、鈍く輝いています。それをルーペやマクロレンズなどで観察してみると、思わぬ美しさ。不思議なデザインにハッとさせられることもあります。
寒さの厳しい季節の森は、一見したところ華やかなものが何もなく、どこかうら寂しい雰囲気の漂うこともあります。しかしどうしてどうして、あたりをゆっくり見回しながら歩いてみれば、ちょっと意外な面白さを秘めたあれこれに、きっと出逢えることでしょう。