18世紀イギリスの聖職者ギルピンという人が書いた『森林風景論』(1791年)という本があります。ここには森と野原の混在する風景が「美しい地形」であるとして紹介されています──アタリマエじゃないか、と思われましたでしょうか。しかしその当時、森を「役に立つ」ものとしてではなく、「美しい」ものとしてみる視点は、実はたいへん珍しいものだったのです。
自然を「美的な対象」として考察するという思考は、そんなに古くからの考えでもなかったということです。ギルピンは、こう説きます。たとえば廃墟とか、荒れた自然(肥えていない土地)などは、人間の生産活動には、まったく有用性を持たない。しかし見る人に「厳粛さ」や「畏怖」に近い、特殊な感情を与える。このことによって「評価されるべき風景」なのである、と。
風景の「美」こそが、林業や農業にも優先する——このような主張をする「英国ロマン派」と呼ばれる人びとが、ここから現れます。もちろん、ここまで言い切ってしまうと、それは働かないでも暮らしていける、イイ気な御身分の貴族たちの「お戯れ」にすぎなくなってしまいます。しかしニンゲン中心の「役に立つか・立たないか」という二元論、ただそれだけの視点でしか自然を見られなかった、それまでの社会的な風潮に対し、斬新な問題提起をしたという意味では、注目に値する新たな潮流でした。
その後「フンボルト海峡」や「フンボルトペンギン」などで知られるドイツの博物学者フンボルトが『自然の風景』(1807年)を著します。フンボルトは、植物地理学(生物地理学)の始祖と呼ばれる著名な科学者でありながら、さらに「自然科学」をより一歩進め、人間の自然に対する「美意識」にまで思索を発展させていました。植物が作る風景に、人間はなぜ美意識や崇高感を抱くのか? フンボルトは、それを動植物や鉱物、気候が渾然一体となり、有機的につながっているがゆえである、と説明したのです。無機物と有機物との「つながりあい」こそが、自然を美しい、と感じる人間の感覚を支える要因なのである、と。
八甲田や十和田の火山活動の産物である広大な岩礫地の上に成立している渓谷林、ブナ林といった森のひろがりのもとで展開される、さまざまな生態系のストーリーこそ、まさしく無機物と有機物との「つながりあい」が形づくる風景美そのものではないのか、との思いに至ります。
18世紀から19世紀のドイツは、牧場や農地の開発ラッシュによって森林と国土の荒廃が大きな問題となっていた時代でした。自然環境の復旧が、もはや緊急の課題となっていたのです。そういう社会環境を背景に生まれたのが、『フォレスト・エステティーク』(1885年)という書籍です。エステティークとはエステティックすなわち「美学」を意味します。現代においてエステといえば美容といった方が、なじみ深い訳語でしょう。林学者ザリッシュの書いたこの本は「森林美学」という学問領域を創設したものでした。自然との調和を前提とし、環境保全も含むさまざまな森林の役割を認識しようというもので、森林の経済的な利益を追求するということは、美しい施業林を造ることと基本的に調和するはずである——そういう主張でした。彼が目指したのは「美と功利」の調和でした。
ドイツ留学中に、この「森林美学」をリアルタイムで学んだのが、日本において『森林美学』(1918年)を著した新島善直です。彼は、北海道黒松内町にある「北限のブナ林」を国の天然記念物とするために尽力した人物としても知られます。彼はザリッシュの思想を基礎に、さらに「天然林の美」を論じ、「風景の構成要素としての森林美」を重要視しました。森林の「文化的な存在の意義」を明らかにしようとしたのです。この本は、明治時代の風景論の名著として誉れ高かった志賀重昂『日本風景論』(1894)や小島烏水『日本山水論』(1905)などと並ぶ高い評価を受け、版を重ねたとされます。
新島による「森林美学」とは<森林に関する美的活動を研究するもの>と定義されています。森林の変遷、天然美と風景、樹木の美的価値、森林の美的取り扱い方、樹種ごとの美的特質の解明などが主たる講義テーマです。芸術を解するように、森林の美や機能を解明する。「景観」もまた立派な「資源」なのである——という考え方です。しかし、森林の「美」の本質や構造を解明するという学問が、はたして成立するものなのでしょうか。学問的な論証には、普遍性・妥当性が要求されます。「美」の判断は、かなり個人的な範疇に属するものであるはずで、学問的な作業とは、どうにも相容れない気もします。これは美しいものである、と学問的に論証したとしても、見る人が「美しい」と思わなければ、どうにもなりません。世間一般でいうナントカの「美学」というものの多くが、往々にして肥大化した個人の美意識の単なる主張にすぎず、独断的な押しつけに終始しているのもそれゆえのことでしょう。
一方、美学とは、「美」とは何かを決定づけることではなく、「美」をめぐるさまざまな言説を検証することでもあるはずです。すなわち「美」とは何かを、多角的に考えるということ。「美」というものが、一般にはどのように解釈されているもので、概ねどのようなかたちをとっているのか──こうした分析は可能でありましょうし、また必要なことではないかと考えます。それでは「美しい森」とは、いったいどういうものなのでしょうか。人は、森のどこに、どのような「美」を感じるのでしょうか?
八甲田山麓には「十和田樹海」とも呼ばれるブナの森が広がっています。ですがスギの植林地もかなり見られます。スギ林は、人工林です。人の手によって造られた森林です。一般的には「原生林」「天然林」「自然林」と呼ばれる森の方が、景観的には人気があると思います。人の手が入っていないことの方が上質であるという意識が、いまでは人びとのあいだに比較的広く根付いているからでしょう。しかし実際に天然林と人工林とを見較べてみると、しっかりと手入れをされた人工林を「美しい」と感じる人は少なくはありません。見通しのよさに、森林美を感じるのです。逆に、見通しがあまりきかない天然林の内部景観はすっきりとしていないため全体に混沌とした印象を与え、そこに「美」を感じられない人も、また少なくないのです。
私個人にしても、スギの植林地を「美しくない」とは思いません。むしろ、きちんと管理されたスギ林ならば、きれいだな、と思えます。見捨てられ、放置されているスギ林には見苦しさ、息苦しさ、そして悲哀を覚えます。ですが、私が管理されたスギの植林地に感じる「美」的感覚と、ブナの森の景観に感じる「美」とは、まったく別の感覚です。ランダムに木々の生えるブナの森と、整然と居並ぶスギの林——私はブナの天然林には「生命の匂い」を感じますが、スギ人工林には、無機的な印象が強いような気がします(本当はそんなことはないのですが「印象」として)。「美」の方はともかく、あまり面白味を感じられないな、という感想は持っています。
森からの情報(=気づくことがら・気づかされることがら)が多く、質も高い、というのが、おそらく私にとっての「ブナの森」と「スギ植林地」との圧倒的な違いです。たとえば、ブナ林で見かけるさまざまな存在は、じっくりと向きあえば向きあうほど、そこからするすると糸のように造形の「美」や色彩の「美」を発見し、引き出せることができます。むろんスギの植林地にも、当然そうした存在はあるわけですが、ひとつひとつの存在に向けられる視点の数と、それらのつながりあう有機性のスケールのようなものが、ブナの森とスギの植林地とでは、圧倒的な差を見せるのです。人間の営為によって作出された「単一樹種」の景観と、多様な生態系を有した自然林のつくりだす景観は、同じ「森」といっても、全く質の異なるものなのです。
「景観」もまた森の「資源」なのである——この考え方に基づくならば、そこから見出される歴史・民俗・芸術・文化的情緒なども「美的資源」ということになるのではないかと思います。「森」という舞台に興味があり、そこでの体験が深い人は、現場から得られる情報(=気づく事象)が、より具体的であり、また情報量も多くなるでしょう。かたや森への興味が希薄な人や、経験値の乏しい人ほど、自然に対する抽象的なイメージだけが先行しがちとなります。
「子供に自然体験をさせたいから」という理由でネイチャーランブリングツアーに参加された都市在住の家族の方が、足もとの花に蜜を吸いに来ただけのマルハナバチの羽音に異常に反応してしまい、ハチがきた、危険だぞと大騒ぎし、もはやガイドの声がけすら耳に入らないというような、そんな尋常ならぬ様子をたびたび目にしていると、やはりこれはどこかいびつではないのか──そう思わざるをえません。子供に自然体験をさせる=よいこと、ヒトは自然にやさしくすべき=エコは大事──そんな現代的なイメージだけが先行するあまり、現実の森の中で生きているもの、そこへ入れば遭遇するであろう事象に対してあまりにも無知であり、妙に無防備である一方で、逆に虫は危険である、気持悪い、という先入観にとらわれすぎている。そこに疑問を感じることもなく、そうであるがゆえに、必要のないところで過剰に反応してしまうのでしょう。
遠目に、大きなものをただ眺める=自然というもの、森というものを、ただ抽象的に、イメージ的にとらえることだけで「完結」してしまう。ああ、キレイだね、というだけで、それですべて終わってしまうのが、あるいは「森歩きの初心者」であるというのであれば、すぐ近くにある小さなものを観る=具体的な対象をそのつど発見し、認知できるのが、おそらく「森歩き」が上手な人といえるかも知れません。