
春いちばんの宝石
まだ雪の残る奥入瀬ではありますが、日当たりの良い南向きの斜面を見ていくと、ぽつりぽつり、見るも鮮やかな黄金色がちりばめられていることに気づきます。フクジュソウが咲きはじめているのです。
春に咲く野草たちのうちでも、フクジュソウは格別に足の早い「トップランナー」です。朝晩の冷え込みがいまだ厳しいこの季節、いち早く花を咲かせるのですから、耐寒能力にも優れているのでしょう。きらびやかでありながらもういういしく、そして愛らしさに満ちた、なんとも素晴らしい春告花です。ようやくやってきた春を全身で謳歌している、そんな感じが伝わってきます。「福寿草」という、このおめでたい名前は、それゆえにつけられたものかとも思えます。
陽をいっぱいに浴びて照り輝く花びらは、いかにも春らしい色かたち。この季節に咲く花は、いずれもスプリング・エフェメラル(春の妖精)と呼ばれます。花の咲いている期間が、森の青葉が開くまでという、ごく短いゆえのことなのですが、ことフクジュソウに関しては、むしろ「春の宝石」という方がぴったりではないでしょうか。

太陽を追いかけて動く
陽の光をふんだんに浴びて咲き誇るフクジュソウ。実際この花くらい、太陽を積極的に利用している春の花はないかも知れません。それはフクジュソウの「動き」を見ていると、特にそう感じられることです。え? 花が「動く」の? もしかしたら、そう思われた方もいらっしゃるかもしれません。
実はフクジュソウには、二通りのアクションがあるのです。ひとつには、花の開閉です。通常では、陽が差しているときにだけ、花が開くのです。咲いたら咲きっぱなし、ではありません。陽が出ていないと、たいていは花を閉じています。
夕方もそうですし、もちろん夜の間や、曇りの時にも、多くは花びらを閉ざしています。ところが、ひとたび陽の光を受けると、ほんの十分ほどの時間で、ぱっと花を開かせるのです。そばでじっと見ていると、だんだんに花びらがほころんでいくのがわかるほどのスピードです。
もうひとつのアクションは、陽の光を追って、花がその「向き」を変えること、です。午前のフクジュソウと、午後のフクジュソウでは、同じ花でも「顔」の向きが違っています。太陽の動きにあわせ、光を追いかけるようにして、少しずつ花が「動いて」いるのです。陽を浴びて花開き、陽を追って向きを変え、そして陽が陰ると萎む。太陽と共に生きる、まるで陽の光の申し子のような春の花なのです。
甘味処ではなく、暖かなケアハウスを提供
なぜフクジュソウは太陽の動きを追って、花の向きを変えるのでしょう。いわずもがな、花が陽の光を「集めよう」としているからです。では、なぜフクジュソウは太陽光を集める必要があるのでしょうか。
まずひとつには、身を守るため。本格的な春に先がけ、まだ雪の残る頃から早々に花を開かせるフクジュソウは、時には冬に逆戻りしたような天候にも、しっかりと耐えていかなくてはなりません。気温の低い日も、陽の光を花に集中させることで、雄しべや雌しべを保護できます。また花の温度を高くすることで、花粉やタネの成長を促す効果もあると考えられます。
ふたつめは、虫たちへの「御礼」です。それも、甘味ではなく暖かさを、ということです。フクジュソウの花には、アブやハエの仲間が訪れます。花の蜜を吸いに来るのでしょうか。いいえ、フクジュソウは、実は多くの花が用意している、あの甘い蜜を持たないのです。ならば、虫たちにとって何の魅力もなさそうです。にもかかわらず、訪花昆虫は結構目につきます。見ると静かに日光浴していたり、仲よく交尾(!)していたりするものが多いようです。
それもこれも、フクジュソウの花の中が、外に較べてとっても暖かいからなのです。いわば虫たちの「クアハウス」。甘味処の代わりに、あたたかな休憩所を提供しているのです。フクジュソウは「虫媒花」(ちゅうばいか)です。自分の花粉を虫たちの身にくっつけ、別の花に撒いてもらっています。そのために虫を集め、その体についた花粉でもって受精をはかり、次世代となる種子を作ろうとしているのです。まだ虫の動きの鈍い早春の森。けれど花の中でゆっくりと身を暖めることのできた虫たちは、快適なクアハウスから、また別のクアハウスへと、活発に飛び廻ることができるというわけです。

黄色い花には意味がある
太陽の光を集め、花粉媒介者である虫たちを呼び寄せているフクジュソウ。実際、花の中は外気温に比較して、どのくらい暖かいものなのでしょうか。花の内部は、外気温より5℃から10℃も高かった、という調査報告があります。フクジュソウの花の集光効果が、すこぶる優秀であることがわかりますね。
その秘密は、この花の色とかたちにあります。パラボラアンテナ状の花の形状は、集光効果が抜群です。加えて、ワックスを塗ったような光沢のある黄色の色彩が、陽の光を効果的に反射させ、天からの恵みである太陽熱を、花の中心部にふんだんに集めているのです。
ただ、花が太陽に相対しているときには、花の底まで均等に暖めることができるのですが、太陽が移動して花の向きとズレてしまうと、花びらに当たる光の量にどうしても差が出てきます。すると花の内部に温度差が生じてしまいます。ゆえに、パラボラアンテナは陽の光を追って花の向きを自在に変えていき、常に花の中央部に太陽光を集める働きをしているのです。よく考えています。そして、実によくできた構造です。

さて、こうした花の動きを見ていくと、ともすればフクジュソウは陽の光の有無によって花の開閉を決めているようにも思えます。ところが実際には光の感受による動きではなく、気温の変化に応じています。陽があたることで上昇する、花の温度に伴う開花なのです。
花粉を届け、運んでくれるハナアブなどの虫たちは、外気温が高くなってから動き出します。まるで太陽の申し子のような「春の宝石」も、見すえているのはあくまでも虫たちの動き、かけがえのない自分たちの子孫をつなげてくれる、大事なパートナーの動向なのです。
余談——緑の葉
フクジュソウは、その黄金色の「花」にばかり目がいきがち。しかし出だしの「葉」の部分もまた、実に植物くさいというか、生なましくってよいのです。そして、二株がすぐ隣同士に並んでいても、開花までのスピードには個体差があります。まわりには、花をつけない葉だけの株もあります。フクジュソウは何年で花をつけるのでしょうか。このニンジンみたいな「葉っぱフクジュソウ」も魅力的です。

野草を「お花=キレイ」というだけの見方しかしていないと、ともすると<造花的な美>との違いがわからなくなってきます。「生きもの」としての野草をためつすがめつ観ること。周囲を見渡し、そちらも観察してみること。関係する他の生きものも併せて観てみること——このような時間を意識して楽しんでみると、春植物の生命のリアリティを、よりいっそう身近に感じることができます。