八甲田火山史
八甲田火山の活動は、約110万年前から30万年前までのあいだに、南八甲田火山⇒八甲田カルデラ(田代平カルデラ)⇒北八甲田火山の順に火山活動が活発化し、成層火山が形成されていきました。南八甲田火山の活動は、以下の3つのステージに大別されています。
第1ステージ:約110万〜80万年前
第2ステージ:約 80万〜60万年前
第3ステージ:約 50万〜30万年前
南八甲田火山の最後の噴火は駒ヶ峯(約30万年前)で、以後は火山活動が終息します。その後、南八甲田の赤倉岳が山体崩壊を起こし、東部で「蔦(つた)岩屑(がんせつ)なだれ」が発生、それらが山麓の河川を埋め立て、それによって蔦七沼が出現しました。
北八甲田火山群では、約40万年前以降に八甲田カルデラの南縁・西縁付近で火山活動が始まります。
雛岳火山 約40~30万年前
高田大岳火山 約40~20万年前
硫黄岳火山 約30~10万年前
小岳火山 約30~10万年前
これらの火山は約10万年前までに活動を停止します。
赤倉岳火山 約30万年前以降
井戸岳火山 約20万年前以降
大岳火山 約20万年前以降
これら三つの火山は、まだ活動を停止していません(活火山です)。特に大岳は、最近6,000年以内に少なくとも4~5回以上の噴火を起こしています。大岳の噴火の歴史を見てみましょう。
4,800年前 噴火 大岳山頂火口
4,200年前 噴火 大岳山頂火口
3,000年前 噴火 大岳山頂(詳細な火口位置不明)
2,000年前 噴火 大岳山頂?
1,500年前 噴火 大岳山頂(鏡沼?)
700~600年前 噴火(ごく小規模) 地獄沼
600~400年前 噴火(ごく小規模) 地獄沼
蔦七沼は岩崩なだれによって生まれた
岩屑なだれとは、火山などの山体の一部が、地震や噴火などが原因で大規模な崩壊を起こす現象です。火山活動によって火山が成長をするにしたがい、急峻で不安定な地形が生み出されることになります。また、火山の成立から時間が経過する中で、風化作用や火山体内部での熱水作用などの結果、火山そのものがもろく崩れやすくなっていきます。そのため強い地震や噴火などが契機となり、山を形成している岩塊が山麓に向かって一気になだれのように崩れ落ちることがあるのです。山体は崩壊し、山麓部には大量の岩屑が堆積します。南八甲田南麓の蔦沼や赤沼は、この岩屑なだれが谷を埋め、川をせき止めたりしてできたものである、と考えられています。現在の蔦沼や赤沼の起源は、10万年も前に遡るというわけです。そんな大崩落の跡地に、現在のような森がかたちづくられているのかと思うと、なにやら壮大な「時流」を、そして植物の生命力というものを感じずにはいられません。
十和田火山—太古の昔は海の下
青森・秋田県境に位置する、直径8.5キロの巨大カルデラである十和田湖。地質学的には「十和田火山」と呼ばれるこの湖は、1,700万年前以降の長期にわたる火山活動の末に形成されたものです。日本列島が大陸から分かれ、日本海が形成された時期以降、長期間にわたる火山活動の歴史が記録されている、地質学的にも大変重要なエリアです。
当地域に分布する地質構成物は、「中生代の地層」(1億7000万年前頃)と「新生代の地層」(1,700万年前以降)に大別されます。中生代の地層は、十和田湖の西端部にごくわずかに見られます。これは、日本列島がまだいまのような形となる前に、海溝付近で形成されたものとされます。新生代の地層は、日本列島が大陸から分離し、日本海が形成された時期よりも後に堆積したものとされ、いろいろな時代の火山活動によって形成されている地層です。約1,700万年前、十和田湖のあたりは、日本海の形成に伴った沈降運動によって深海へと没していたとされ、そこでは海底火山活動が発生、強弱を繰り返しながらも1,200〜1,100万年前頃まで続きました。
ちなみに、日本海が形成されたのは、約4,000万年前頃から始まった地殻変動によるものであると考えられています(諸説あります)。かつて日本列島はユーラシア大陸の一部でしたが、この地殻変動によって大陸の縁端が東西に引き裂かれ、大陸から分離したのです。その裂け目に水がたまり、それが日本海となりました。日本海の形成は、沈降運動と激しい火山活動を伴いましたが、1,500〜1,200万年前頃にはこれらの地殻変動は終了し、現在の日本列島になったものと考えられています。
活火山、しかも常時観測火山
1,000万年前以降になると、奥羽山脈の隆起に伴い、海底に沈んでいた十和田湖地域は、陸地もしくは浅い水域へと変化します。そして900万年から700万年前になると東部で火山活動が発生、さらに500万年前頃には、今度は南西部で火山活動が発生します。
これ以降、顕著な火山活動は休止期に入ります。そのお休み期間は140万年ほど続くのですが、360万年前以降になると、再び火山活動が始まります。十和田湖地域が現在と同じような陸地および湖沼となったのは、この時代以降のこととされています。
そしてこの時代から200万年ほど経った160万年前になると東部で火山活動が発生、それ以後になると北西部へと移り、成層火山や溶岩ドーム群などが形成されていくことになります。この火山活動は60万年前頃まで続き、76万年前と30万年前には八甲田カルデラを噴出源とする火砕流が流入し、堆積していきます。火砕流とは、火山の噴火によって火口から噴出した高温の火山噴出物が、火山ガスや大気と混じり合って高速で流走する現象です。その堆積物が火砕流堆積物です。
60万年前以降、22万年前まで、火山活動は再び休止します。そして22万年前以降に十和田火山が活動を開始し、その活動はいま現在に至るまで継続しているというわけです。すなわち十和田火山とは、れっきとした活火山(概ね過去1万年以内に噴火した火山および現在活発な噴気活動のある火山のこと)なのであり、気象庁の「常時観測火山」にも指定されている火山です。
なお常時観測火山とは、国内に111ある活火山のうち、「火山防災のために監視・観測体制の充実等が必要な火山」として選定されている50の火山で、気象庁による24時間態勢での常時観測・監視が実施されている火山のことです。十和田火山は2018年、自治体によりハザードマップが整備されています。