不思議な名を持つ麗しき渓流のカモ(その二) 不思議な名を持つ麗しき渓流のカモ(その二) ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

不思議な名を持つ麗しき渓流のカモ(その二)

「晨宣」の意味するところ

奈良時代以前からあった日本固有の和語である大和言葉(和詞)には「しのり」に通ずる言葉は見当たりません。古語辞典を引いても出てきません。「しのり」という言葉の響きがいかにもそれっぽいからでしょう、「夜明け」を表す古語であるとか、万葉ことばであるとか、そんな<見解>をたまに見かけたりもするのですが、いずれも根拠がいいかげんなものばかりです。ネット情報は玉石混淆とはよくいわれるところですが、裏付けをとらない(出典を明記しない)安易な孫引きはよろしくないな、と自戒しております(筆者もよくやる)。

さてシノリガモの漢字名である「晨鴨」。字としては「シン(ジン)」としか読めない「晨鴨」の呼称は、いったいどこから来たものなのでしょう。古来「しのりがも」と呼ばれていた海ガモに、中国語名の「晨鴨」を単に当てはめただけのこと、という可能性はおおいにありそうです。ですが「しのり」という言葉が日本語に見当たらないのであれば、転訛の可能性はないでしょうか。

ここですぐに連想したのは「しののめ」という言葉です。夜明けを表す「しののめ」がつづまったものではないかと想像したのです。「しののめがも」→「しのめがも」→「しのりがも」です。うーん、ちょっと無理がありますでしょうか。それに、たぶんこの説であれば、漢字名には素直に「東雲鴨(鳬)」とあてられてしまいそうです。それとも「しののめ」の意として、あえて中国名の「晨」をあてたのでしょうか。

あくまで「シン」という音にこだわるとするならば、もしかしたら「しのりがも」とは「shin-nori-gamo」または「shin-ori-gamo 」が縮まったもの、という可能性はありませんでしょうか。「晨宣鴨」あるいは「晨居鴨」の意です。「のり」は「のる(宣る)」であり、「おり」は「おる(居る)」の連用形。暁を宣言するカモ、もしくは朝に居るカモです。意味はじゅうぶん通りますし、シノリガモの「夜明け」を想わせる色彩(配色)にもぴったりです。もちろん、これは推考です。言語学的にはアウトかもしれません。でも、ちょっと魅力的な解釈ではありませんか?

あるいは「しん」が「晨」ではなく、同音の十二支の「辰(シン、たつ)」であったならどうでしょうか。その可能性もあります。というのも、古方位における「辰」は、冬至の「日の出の方角」を意味するからです。すなわち<冬の日の出を告げるカモ>です。これを「晨」の字に替えてあてられるようになったのは、おそらく「辰」の字では「夜明け」感が伝わりにくかったからとも推察できます。

「のり」という語句からは「祝詞(のりと)」という言葉を連想させられます。暁の空の色を想わせる、ちょっと風変わりな色あいの、冬の海に漂うカモ(東北以南では冬鳥として知られます)を、いにしえびとは、あるいは神がかった存在(あるいは神の使者)として見ていたのかもしれません。そこから褰帳命婦(みょうぶ)への連想にもつながっていき、ゆえに神事に関わる古語が名称に組込まれているのではなかろうか、と。古名「おきのけんてう」(沖の褰帳)とは、もしかしたら「しんのりがも」が「しのりがも」となっていく過程で生まれた異名だったのかもしれません。

※ただしシノリガモの中国名には「晨鴨」の他に、おそらく英名から来たものであろう「丑鴨」というものもあります。そもそもシノリガモは中国領海に分布しないとする情報もあれば、分布するとしているものもあって、同国での本種の位置づけについてはよくわかりません。さらに『堀田禽譜』にはマガモの異名として「晨鴨」の記載があります。シノリガモと「晨」の字には、あまりこだわらない方がよいのかもしれません。

「沖の顕兆」説

<神事>という観点から考えていくと、フト別の解釈もできることに気づきました。「けんちょう」とは、果たして本当に宮中の「褰帳」の意だったのでしょうか。黎明(夜明け)とは、新しい一日の到来です。夜すなわち闇という「死の時間帯」が終わり、朝すなわち明という「生の時間帯」が新たに誕生することを意味します。それは毎日繰り返されている「目出度い」現象であり、夜明け前の空の色は、その兆し(吉兆)そのものであるわけです。すなわち、これ「顕兆」であります(=良き兆しの顕れ、の意)。夜明けの美しさを体現した、この水鳥の姿を「沖の顕兆」と呼び慣わした。そんな可能性もありそうです。もちろん、これはあくまでも想像(というか、ほとんど語呂合わせ)なのですが、そう的外れなものでもないような気もしています。個人的には、宮中の褰帳よりは顕兆の方がありそうな気がしています。はたして「沖の褰帳」であったのか、あるいは「沖の顕兆」であったのか。読者諸賢はどのように考えますか。いずれにせよ、この「けんてう」なる語は(褰帳にせよ顕兆にせよ)それほど一般的ではなかったのではないか、と愚考します。それゆえ、禽譜においても「褰帳」ではなく、あえて「けん鳥」と記載されていたのではないか。あまりなじみのない言葉であったがゆえに、江戸後期になって元来の「しんのりがも」→「しのりがも」が採用されるようになったのではないか。むろん、その一方では朝焼けに通ずる「沖の褰帳」を「~鴨」という名称に改めるにあたり、字義的に同意の「晨」の字をあてた可能性もまた無視できないわけですが。

「舐海苔」説

「しのり」という地名が北海道函館にあります。「志海苔」「志苔」「志濃里」などと書かれるそうです。語源はアイヌ語「シラル」で「岩」を表す言葉。地名由来の名称だったら面白いのですが、残念ながらシノリガモがここで命名されたなどという典拠はどこにもありません。かのカンムリツクシガモが捕獲されたのも函館の海岸でしたから、なんとなく「カモつながり」でもあるんじゃないか、という連想はしてしまいましたけれども。なお、この地名と直接関係はありませんが、海岸の岩に付着した海苔(ノリ)を食する生態から「舐海苔」の意ではないかという見解もあります。生態的な観点からの命名ですね。シノリガモの繁殖地は国内でも限定されているため(奥入瀬はその貴重な繁殖地のひとつです)通常は冬になると荒磯の海岸に姿を見せ、そこで冬を越す海鳥として知られます。荒磯において魚や貝や甲殻類、そして岩に付いた海苔など海藻を食べているのです。その際、嘴でこそぎ落とすようにして採食するようすが、まるで「海苔を舐めている」ように見えます。舐海苔=海で海苔などを刮げとって食べる姿。ほほう、そういわれると、なんだか説得力があるようにも思えてきます。この連想でいけば、あるいは紫色をした海苔を食べるカモの意で「紫海苔鴨」だったのかもしれませんね。いやはや、ここまでいくと、もう単なる言葉遊びに過ぎなくなるわけですが、いろいろと発想を重ねていくのはとても楽しいこころみです。鳥の名前ひとつにも、実にいろいろな見解があり、面白いエピソードが秘められているのだということがよくわかります。

でも結局のところ、本当の「しのり」の意味はわからないままでした。ちょっと整理してみましょう。 

◆転訛説1.しののめがも→しのめがも→しのりがも
◆転訛説2.晨・宣・鴨(しん・のり・がも)
◆転訛説3.晨・居・鴨(しん・おり・がも)
◆転訛説4.晨・海苔・鴨 →朝に海苔を食べている鴨の意(※冗談です)

◆地方名説.志海苔鴨・志苔鴨・志濃里鴨 ※根拠なし
◆生態説.舐海苔鴨 ※根拠なし
◆形態説.紫海苔鴨 ※ジョークに近い

そして「晨鴨」の解釈については以下のように整理することができるでしょう。

◆仮説1.「晨」を「太陽が昇る朝」とし、顔にある丸い白斑を「日の出の太陽」に見立てた
◆仮説2.「晨」を「夜明け前の空」とし、濃紺と紅の配色を黎明(朝焼け)の空に見立てた
◆仮説3.「晨」を「夜空の星」とし、濃紺に浮かぶ白斑模様を房星の星座に見立てた

ロマンスの水鳥

シノリガモの学名 Histrionicus histrionicus は英語の「history(歴史)」の語源であるラテン語のhistorio(役者のような)からきたものです。英名はHarlequin Duck(道化師のカモ)ですから、学名とほぼ同じ語義に基づく名称です。ちなみに中国語名の異名である「丑鴨」の「丑」は京劇における<道化>の意。おそらくは英名の直訳でしょう。韓国では「白い縞のカモ」。やはり模様にちなんだ名称です。

英名ハーレクインダックは、すぐに覚えられそうな名称です。ハーレクインとは「若い魔術師」「若くてカッコよい恋人役」の定型。海外の恋愛小説シリーズ「ハーレクイン・ロマンス」というのもありますね。もともとは、イタリアの若き道化師が原型です。なるほどこのダック、顔の白い紋様は、若く凛々しいピエロを連想させてやみません。どうもこのあたり、鳥への命名のセンスは、英国の方が一枚上手のような気もします(イヤ「おきのけんちょう」の方が文学的でよい、という意見もあります)。

奥入瀬川のほとりで雌雄が肩を寄せあうようにたたずみ、オスは常に外敵を警戒し、また他のオスから自分の相手を守ろうとりりしくふるまうさまを観ていると、やはり「朝陽の鴨」「黎明の鴨」より「ロマンスのカモ」の方が、しっくりくるように感じてしまいます。オスに較べ、メスの方はとても地味な色あいで、全身薄い焦茶色をしているだけです。これから雛を育てるという<大役>があるため、なるべく目立たぬように控えているわけです。それでもシノリガモのトレードマークである、ほっぺたの丸い白斑はちゃんとついています。それがなんとも愛らしい。雄々しきピエロと居並ぶ様子は、実に微笑ましいものです。

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