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コケのはなし(その10)

元祖コケガールはどのようにしてコケの魅力に目覚めたか

いまから15年ほど前、一般向けのコケの魅力の普及本を上梓して、世間にひそやかなコケ・ブームを巻き起こした元祖・コケガールと呼ばれる人がいます。Fさんといいます。現在も「コケ界の伝道師」としての活動に尽力されておられます。奥入瀬ファンであることも公言してくださっており、「コケの聖地」としての奥入瀬の喧伝にもお力添えを頂いています。そんなFさんご自身がコケの魅力に開眼したキッカケとは、いったいどういうものだったのでしょう。お尋ねしてみると、実は屋久島のネイチャーガイドツアーへ参加したことからすべてが始まった、とのことでした。その時、Fさんを案内されたガイドこそ、エコツアー界の草分けのひとりであるOさんでした。

Fさんは、ガイドのOさんの案内で屋久島の森を散策中、ふと「屋久島の見どころといったら、やっぱり縄文杉ということになるんでしょうか?」と尋ねました。するとOさんは言下にこう言われたのだそうです。「いや、そんなことはないですよ。縄文杉だけが屋久島じゃありません。屋久島っていうのはね、実はコケを見に来るべきところなんですよ」と。Fさんは目をパチクリさせてしまいました。「え? は? こ、コケ、ですか?」

屋久島の原生自然のシンボルといえば、樹齢何千年だとか何百年だとかといわれる、あの巨大な縄文杉の姿を誰もが連想するでしょう。それが、足許にある小さなコケを見に来るべきところだ、なんていわれても……それって、いったいどういうことなのか。Fさんはその時点ではガイドのOさんの言うことがさっぱりわからなかったわけですが、そんなとまどいを見せるFさんを横目に、Oさんは目の前の岩に生えていたミズゴケの塊を鷲掴みにするやいなやワイルドに引き剥がし、Fさんの目の前でギュッと握りつぶしたのです。
(えッ、な、なんてことするんだ! この人、ネイチャーガイドじゃなかったの!?)

ガイドのOさんが握り締めたミズゴケの塊からは、たくさんの水が滴り落ちてきました。想像以上の量でした。Oさん曰く「ね、すごいでしょ。コケっていうのは、なんとこれほどもの水を含んでいる植物なんですよ」。ああ、なるほどOさんは自分にこれを見せたかったのだ、とFさんは理解しました。さらにOさんは握りつぶしてシワシワになったミズゴケを、生えていたところに差し戻すではありませんか。えええっ? 引っこ抜いたものを、そのまま元の場所へ戻す? Fさんが目を見開いていると「実はコケという植物は根を持ってないんですよ。だから<生えている>んじゃなくて<張り付いている>だけなので、この場合、こうしておくだけでOKなんですよ」とOさん。Fさんは(こ、コケってそういうものなの!? いったい、なんちゅう植物なんだ!)とますます驚かされてしまったのでした。

もしこれが他の植物だったら、どうでしょう。根っこから引き抜かれ、茎をバキバキに折られ、葉をぐちゃぐちゃにされてしまったら、いくら元の場所へ差し直されたとしても、ダメに決まってます。なのにコケという植物は、引っこ抜かれ、もみくちゃにされ、水を搾り取られても平気だというのです。しかも植物だというのに、根っこがないというではありませんか。しかもしかも、元あった場所に置かれるだけでOKだなんて。こんな乱暴なことをされても生きていられるコケという生きものって、いったいナニモノなんだろう。保水力、吸水方法、仮根、着生、復元力——専門的な言葉にすればそういったようなコケの生態的特質を、目の前で実際に見せられたというわけです。Fさんは開いた口をしばらく閉じることができませんでした。

少なからぬショックを受けていたFさんに、ガイドのOさんは「では、これでコケを見てみてください」と、そういってルーペを差し出してきました。(ナニコレ?)いぶかしむFさんにOさんは「コケ、じっくり見たことないでしょう?」。(確かにそうだけど……コケって虫メガネで見るものなの???)それまで、コケの存在など特に意識したことすらありません。ましてや、その「見方」など。Oさんの笑顔にうながされ、言われるがままその場に座り込み、うずくまるようにしてOさんが指さすところのコケをルーペを通してのぞいてみたFさん、次の瞬間には思わず息を呑み、その目はまたもや大きく見開かされました。なんという美しさでしょう! その形状はあまりにも繊細で、しかもキラキラと輝いて見えたのです。「うわ、キレイ! これってなんというコケですか?」と、Fさんが思わず発した言葉に対して返ってきた、その答えもまた衝撃でした。「ウツクシハネゴケっていうんですよ」美しい羽のコケ、ウツクシハネゴケですって! なんて麗しい名前なんでしょう。そんな素敵なネーミングのコケがあるだなんて。

ムクムクゴケという、とってもかわいらしい名前のコケも紹介されました。でもいったい何ゆえに<ムクムク>なのか、ちょっとよくわかりませんでした。いったいどこからこういう名前が? するとガイドのOさんから「ルーペで葉の先っぽのカタチをよーく観察してみてください。どうなってますか?」というアドバイス。ふむふむ、なるほど、葉の先端が少し丸くなっているのがわかります。ああ、これが<ムクムク>と呼ばれるゆえんなのか。確かに、見れば見るほどムクムクした感じに見えてきます。ルーペで見ると、姿やカタチがぜんぜん変わって見えてくるのです。すると世界もまた変わって見えてくるではありませんか。Fさんは、コケの奥深さにまたもや衝撃を受けました。

自分から近づいていくことで、初めてその美しさを披露してくれる

屋久島でそんな「コケの洗礼」を受けたFさん。その後はすっかりコケの魅力に開眼します。「屋久島へわざわざコケを見に行く」ということの意味も面白さも理解できるようになりました。そしてコケという存在が、決して屋久島に特有のものなどではなく、実は身近な場所をも含めた、実にいろいろなところにも生えているものなのだ、ということに気づくことができました。自分の家のまわりではどんなコケが見られるんだろう? 自分の住んでいる地域ではどうなんだろう? 屋久島以外にも、コケの豊富な地域にはどんなところがあるんだろうか? 屋久島の旅から戻ったFさんのコケへの関心はつのるばかりです。さっそく自宅の周辺に「コケを意識したまなざし」を向けるようになりました。ルーペと図鑑を購入し、コケに関する本を片っ端から読み込んで楽しい勉強を始めるようになりました。

やがてFさんは、自宅前の排水溝の蓋の上にコケが生えていることにほどなく気が付きました。しかし乾いてカサカサの状態となっていたので、これはもうてっきり死んでしまったコケなのだろうと思いました。ところが雨が降った後にもういちど見てみたら、なんとすっかりモコモコになっているではありませんか。雨の降る前には、あんなにカラカラ、カサカサに縮み上がっていたというのに! しかも排水溝の蓋の部分をすっかり覆い隠すぐらいにまで膨張し、拡張して、実に生き生きとしているではありませんか。雨が降ったくらいで、ここまで変わるものなのか。枯れているものとばかり思っていたコケが、実は「寝ていた」だけなのであったということに、Fさんは新鮮な感動を覚えました。カサカサだったあの姿は、生命活動をいったんお休みし、カンカン照りの日をどうにかやり過ごしていただけの姿だったのです。なので水さえ得られれば、また本領発揮というわけです。

「やっぱりコケって面白いな」とFさんは改めてそう思いました。それまでは、ただなんとなくの先入観で、コケなんて地味で、なんだか汚ならしい感じもする、と思っていたのです。ところがそんなマイナスの印象が劇的に変化したのです。コケという存在は、自分から近づいていくことで、初めてその美しさを披露してくれるのだということに気づいたのでした。やがてFさんはそんな小さな出会いを積み重ねていくうちに、だんだんとコケそれぞれの「性格」というものが次第にわかるようになってきました。種類によって、実にいろいろなタイプがあるということです。コケを観ることの面白さが、さらに増していきました。

「いちどコケの面白さに気が付いちゃうとですね、もうどこに行っても<コケ目線>になってしまうんですね。だんだんコケしか見えなくなってくる。これはもう病気だと思うんですが(笑)、日本には約2千種、世界には約2万種あるといわれてる蘚苔類(コケ植物)ですから、いちどコケ目線になってしまえば、日本中、世界中、どこに行っても出会いの楽しみが生まれる、ということです。コケを通してたくさんの自然との出会いがあり、土地の名物も頂いたり、人の優しさにも触れたりということで、そういうコケ旅というか遠征というのは、とても面白いです」。

世の中にはコケの魅力に気付いていない人がたくさんいる

「ただそうはいっても、コケ好きはやっぱり孤独です(笑)ひとりきりでのコケ観察の継続というのは、かなりアグレッシブな方じゃないと。一緒にコケ観察を楽しむことのできる友だちは、やっぱりいた方がいいですよね。そこでコケ好きが集まる会ってないのかなと思って調べてみたんです。そうしたら『日本蘚苔類学会』という学会がありました。『学会』というと敷居が高く感じるんですけれども、研究者以外の方にも門戸を開いているということでしたので、思い切って問い合わせてみましたら、専門家ではない一般の会員の方もたくさんおられるということで、どうぞ入ってください、という感じで、とってもフレンドリーだったことはさいわいでした」

Fさんは「世の中にはコケの魅力に気付いていない人がたくさんいる。知られていなさ過ぎる、非常にもったいない。コケ好きな人をもっと増やしたい」という強いモチベーションのもと、コケの入門書を刊行します。すると「コケの特集を組みたい」というメディアからのお呼びがかかるようになります。もしかしたら、本当に知られていないだけで、潜在的なコケのファンというのは自分が思っているよりも案外と多いのではないか。そう考えたFさんは、出版記念イベントで「コケナイト」なるものを実験的に開催してみることにしました。一般の「コケ好き」を自認する人たちに集まってもらい、コケの魅力について語り合おうという催しです。すると参加希望者が多過ぎて、すぐに定員となってしまいました。そのため早々に第二回目の企画として「コケナイト・リターンズ」なるものを開催します。

「お祭り的に楽しもうということで、参加者には「できるだけコケっぽい服装で」というドレスコードにしてみましたら、皆さん真面目にコケっぽい服装で来てくれまして、実に面白かったですね。開催会場のカフェの方がコケのケーキを──本物のコケを使うわけにはいかないので──抹茶風味のお菓子を作ってくれたり、お客さんの1人が「わたしコケボーロを作ってきました」と抹茶風味のボーロを差し入れしてくれたり、なんだかコケ愛の強い人たちがこんなにいるんだな、とびっくりしました。こちらも負けずに「コケティッシュ」というポケットテッシュを配ったりとか、イラストレーターさんが自作のコケ紙芝居を作ってきてくれたりとかして、とにかく盛り上がりましたね。でも、集まってくれた人たちがどういう人たちなのか、どういったコケ好きなのかがぜんぜんわからなかったので、初回では自己紹介を兼ねて「あなたとのコケとのエピソード」を30秒から1分くらいで話してみてくださいってお願いしたんですね。そうしたら、なんか皆さん、たまりにたまったものがあったみたいで、ひとりでもう10分も15分も話し出してしまって、夜7時から始まった会なんですけど、延々と終わらない(笑)そのうち、全員の話が終わらないうちに、もう終電の時間だからと、遠くから来た方は帰ってしまうということになってしまいまして、さすがにリターンズの時には、このフリはもう止めようということにしたくらいでした」

アートとしてのコケ展の開催でコケ好きの「増殖」をはかりたい

Fさんは、その後「コケをテーマにしたアート展」も企画・開催します。コケの魅力をアピールするのに、通常の観察会といったものとはまた違った切り口で何かできないか、と考えたのです。「コケの美しさって、本当に唯一無為というか、人間の想像を超えたものなんですね。これは蘚苔類に限らず地衣類などでもそうだと思うんですけど、なんでこんな形なの? なんでこんなにキレイなの? って。これって、やっぱりアートなんじゃないか。それならアートに興味がある人に見せたら、どんな反応をするだろうか、と思ったんです。コケとか地衣類なんかを、これまで特に意識したことのない人、自然や植物などにことさら興味のあるわけでもない人、そういう人であっても、もしかしたらアートとしてのコケを紹介したら、興味を持ってもらえるんじゃないのか、という思いが発端です。それも、よくある写真とか苔玉といったものではなく、もっと違うかたちで何かできないだろうか、と考えました」

そこでFさんは友人(コケ友のYさん)と一緒に企画を練りました。コケTシャツを作ったり、コケカレンダーを作ったり、手芸でコケを表現したり。さらには、コケが休眠状態から戻るのを体験してもらったり(乾いた苔にスプレーで水をかけると葉が開く)、ルーペで見た小さな世界を等身大にしてみたり、生きたコケをひとつまみだけ貼りつけた「生のコケ図鑑」を展示してみたり。特に人気があったのが、顕微鏡の世界を体験してもらうコーナーでした。顕微鏡でコケを観る、というのはアタリマエのことのようですが、実際にその美しさを知っているのは、日頃から顕微鏡を取り扱っている研究者や趣味人だけです。一般の人にはなかなか縁がありません。そもそも顕微鏡自体が実に高価なものです。ならば、その顕微鏡の世界を見せてしまおう。Fさんらは、大学でコケを研究している知り合いの先生に相談を持ち掛け、顕微鏡を借りてくると(貸し出しを快諾された大学の先生も理解がありますね)やってきたゲストにどんどんホンモノのコケを見せ、その美しさ、面白さを体感してもらったのです。

このイベントは大成功でした。一週間で約200人もの観客が足を運んだのです。ゲストの年代もさまざまで、16歳の高校生から70代の高齢者まで。顕微鏡に30分以上も張り付いていた女子高生もいたとのこと。アンケートには「いろんなコケの見方があることがわかって新鮮だった」「ふだん気にもしていなかったコケがすごく可愛いと感じた」「コケに生命力を感じて印象が変わった」「こんなにいろんな種類があるんだということに驚いた」「素敵なものに出会えてよかった」「コケなど景色としてしか見ていなかったが、生きものなんだと実感できた。これからは道を歩くのが違う視点で楽しめそう」といった意見が寄せられました。

こうしたコケの魅力の普及活動に手ごたえを感じたFさんは、美術系の大学からの依頼で、デザイン学部の学生を対象としたコケの観察会および講座も手がけたこともあります。観察の結果を実際のデザインに生かすという授業の一環です。立体作品もあれば写真作品もあり、フェルト(羊毛)を使って表現した学生もいました。

地域活性化の一環として「このコケを見つけてみよう」というオリエンテーリング的なイベントも開催しました。コケの視点で地域の魅力を見直す、というユニークなもので、最後にはそれぞれの参加者が発見したコケの場所を示した自作のマップを制作。地域のビジターセンターなどの職員さんにしても、動物や植物のことには詳しくても、実はコケはノーマークだったという人が少なくありません。「コケマップづくり」は、そういった専門職の方にも楽しんで参加してもらえるという利点がありました。Fさんは、青森県でもそういったイベントをもっと積極的に企画してもいいのではないか、と提言します。例えば「青い森の隠花サミット」と銘打って、コケ好きだけではなく、シダやきのこが好きな人たちを対象とした普及イベントを開催してみてはどうかと。「県内だけではなく、きっと東京からでも参加者はいるはずです。少なくとも私は飛んでいきたいと思います。そういう「えっ!?」と思わせるような画期的なイベントを、奥入瀬エリアだけでもよいので、ぜひやってもらえると嬉しいなと思います」。

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