フィールドミュージアム構想実現のために(1の1) フィールドミュージアム構想実現のために(1の1) エコツーリスム講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

奥入瀬の自然を知るための基礎資料の少なさ

奥入瀬の自然に関する文献を調査してみますと、実は当地の自然環境に関する「総合的な学術調査」がほとんど行われていないことがわかります。現在、一般に入手できる学術調査報告書は1975年から76年に行われた『国道102号自然環境調査報告書』(青森県土木部道路建設課)のみであり、既に45年が経過しています。これについても、その後の追跡調査は実施されていません。

奥入瀬渓流は、十和田八幡平国立公園の特別保護地区となっています。また、国指定天然記念物(天然保護区域)かつ特別名勝でもあります。これら「保護区」に指定されるにあたっての、その根拠となる調査報告があるはずなのですが、その所在は不明です。いずれも指定されたのは、天然記念物(天然保護区域)が1928(昭和3)年、国立公園特別保護地区が1967(昭和42)年のことで、既に92年、53年が過ぎています(2020年現在)。図書館やネットで検索をかけても出てきません。

立派な保護区に指定されたのは喜ばしいことでありましたが、しかし情報の一般公開を前提とした、動植物の分布基礎調査およびモニタリング調査といったことは、この間、ほとんど行われてこなかったわけです。一般開示されることのない(あるいは、ごく少ない)環境アセスメント系の環境調査はいくつか実施されてはいて、例えば東北電力などは、子ノ口水門の管理の関係もあり、過去にかなり詳細な奥入瀬の自然環境調査を実施しており、かなり立派で大部な報告書も作成されているのですが、そうした調査結果を一般の公園利用者が閲覧・活用できる手立ては、現在のところありません。一般公園利用者が、奥入瀬の自然について、観光ガイドブックのレベル以上の知見や情報を総合的に知りたいと希望しても、入手可能な参考資料は大変に少ないのが実情なのです。

近年『奥入瀬自然誌博物館』『奥入瀬フィールドミュージアムガイドブック』(奥入瀬自然観光資源研究会2016,2017)が刊行されるまで、公園の自然環境について紹介した資料といえば、わずかに『十和田湖八幡平国立公園パークガイド十和田湖(奥入瀬・八甲田)』(自然公園財団編2006)および地元ガイドによる『八甲田・十和田フィールドガイド』(久末正明1998)『国立公園八甲田・奥入瀬・十和田湖花づくしマップ』(八甲田十和田を愛する会2002)、環境省東北地方事務所が監修し財団法人自然公園美化財団(現・一般財団法人自然公園財団十和田支部)が作成した冊子(発行年不明)『十和田・奥入瀬・八甲田 自然観察の手引き』くらいしかなかったのが現状でした。なお2011年に青森県立郷土館において、東北新幹線全線開業記念企画特別展として「地域総合展 「十和田湖・八甲田山」が開催され、その解説書として刊行された『十和田湖・八甲田山(第3回地域総合展展示解説書)』(青森県立郷土館編)も良書でしたが、すぐに売り切れとなり、どういうわけか再販もせず、入手不可となっています。

<このシリーズの『パークガイド十和田湖』は2020年1月現在入手不可でした。改訂中なのでしょうか?>

国立公園の特別保護地区および国指定天然記念物(天然保護区域)といった「上質な自然」(クオリティ)を有し、観察・観賞に適した優れた自然散策路(トレイル)が整備され、市街地からのアプローチ(アクセス)も容易であるという、「自然を観察/観賞するフィールド」としてはきわめて好適な条件に恵まれていながら、たとえば、渓谷内には何種類の樹木が生育しているのか、とか、何種類の鳥が生息し、うち何種類が繁殖しているのか、といったような、ごく基礎的な質問に対しても、ここでは誰も「根拠を示したうえでの適確な回答」をなすことができません。きちんと調べられていないからです。

台帳管理―どこに・なにが・どれくらいあるのか

<エコツーリズム隆盛のためには基礎的な調査の継続が重要です>

基礎的なデータすら整っていないということは、そのような知見や情報を、この地域に関わってきた人たちが、これまで重視してこなかったということです。地域の自然に関するごく基礎的なこと。それがどうしてスルーされてきたのでしょう。それは「奥入瀬観光」の関係者のほとんどが、奥入瀬という自然環境の特質に基づいた、観光地としての本質とポテンシャルに着目することなく、その将来性(ビジョン=青写真)を描くことを、これまでずっと怠ってきたからではないでしょうか。単なる「景観観光地」すなわち「通過型観光客の集客」のみに、ただあまんじてきたからではないのでしょうか。

奥入瀬の<本質・特質・優位性>を理解した上でのプロモーションも、サポートシステムも、真剣に構築しようとはしてこなかったのがこれまでの奥入瀬観光でした。「単に景色を流し見していくだけの公園利用者」にしか、誘致する側が着目してこなかったのです。この地域の自然の本質を楽しんでくれるリピーターを増やそう、というような発想とアクションが、残念ながらまったくなかったということです。

しかしながら、日本の観光というものの一般的スタイルをかえりみる限り、これは仕方のないことだったのかもしれません。「特別保護地区かつ天然記念物指定エリアでありながら、そこに生息する生きものリストひとつない」などと力説してみたところで、全国的には、むしろそうした観光地の方がほとんどなのです。観光というものへの思想・哲学が未熟なのです。とはいえ、尾瀬や上高地のようなところもあります。それらがベストとはいえなくとも、少なくとも奥入瀬よりは進んでいます。

どう文句をいってみたところで過去は過去です。既に終わってしまった話ではなく、奥入瀬観光の「これから」の話をしていかなくてはなりません。将来的な提案です。奥入瀬の<本質・特質・優位性>を検証し直せば、そこから導かれるビジョンは、おのずとエコツーリズム&フィールドミュージアム構想以外にはありえないはずです。ならば、その具体的な構想、どういう実践モデルが可能なのか。その検討と共有が、いま求められていることなのです。

「自然観察」を行う遊歩道の、その「どこに・なにが・どれくらいあるのか」といった概況と、それらの経年変化(なにがどう変化しているのか)といった情報は、フィールドミュージアムとして最も基礎的かつ重要な事項となります。現在、それがほとんど欠落しています。個人的には長年データを集積している方もいらっしゃるのではないかと思われますが、発表されなければただの死蔵データです。書籍や報告書あるいはその他の方法での「発信」がなされ、データとして多くの人たちと共有・活用することがかなわないかぎり、それは決して生きた知見とはなりません。

情報や知見を集積し、整理&交換を行い、精査し、それを活用していくためのシステムも、いわずもがな欠如しています。一般に公表されているデータ(=奥入瀬の自然に関する情報)がないということは、フィールドミュージアムとしての「資産管理」「所蔵品管理」が全くなされていない、ということを意味します。管理しているはずの倉庫において、商品の「管理台帳」が作成されていない、あるいはいいかげんなつくりであるために、在庫管理システムが機能してないということと同義なのです。

ゲストに見せるべきもの・伝えるべきものの本質

<ガイドの案内で、大きな自然を構成している小さな自然を観察しています>

自然観賞型のエコツーリズムとは、スタイルはどうあれ、その地域の自然のありさまを、ビジターにつぶさに観て頂くことが基本となります。どのような自然が、どのような状態で現存しているのか。それはどのような変遷をたどってきたものなのか。これはたとえば、どういう生きものが増加していて、どういう生きものが減少しているのかといった動向ですとか、渓流の水の濁りの頻度、崩落の頻度、降雪量の変化などなど、環境全般についてもいえることです。ここに生きたストーリーが生まれるわけです。そのストーリーこそが、訪れた方がたに向けて「本当に伝えられるべきこと」なのです。

この点を、ネイチャーガイドを含む地域観光関係者がほとんど掌握していないということは、ゲストに見せるべきもの・伝えるべきものの本質が何なのかを理解していないに等しいのではないでしょうか。上っ面のカイセツもどきに終始して、まず自ら地域の自然史・自然誌について理解するという「義務」を、ホスト自身が初めから放棄してしまっているような気もします。それではいけません。エコツーリズムを推進していくためには、まずは地域のどこになにがあり、それらがどういう価値や魅力を持つものなのかという知見や情報を、せめてそれぞれのカテゴリーの代表種レベルで、ガイドや観光関係者が掌握しておくことが求められます。さらにそのデータを、希望者が「利用/活用できる状態」に維持管理しておくことが必要でなのです。

そのためには自然情報の不足を補うための基礎的な調査が不可欠です。これには各分野の専門家に、学術調査の実施と、その継続調査(モニタリング)の実施を依頼することが最も理想的となります。かつて(1990年代初期)に南八甲田において総合学術調査が行われ、その報告書が1992-1993年にまとめられていますが、本来であれば奥入瀬渓流―十和田湖にも、そういうものがあるべきなのだろうと思います。しかしながら、樹木・野草・シダ類・蘚苔類・地衣類・菌類・野鳥・哺乳類・両生類・爬虫類・魚類・昆虫類・地質と、多分野にまたがる自然環境の総合学術調査の体制の構築と実施には、大変な予算と準備期間、および各関係機関との合意・調整を要します。ゆえにその実現がきわめて困難なプランであることはいうまでもありません。

(1の2につづく)

<かつて南八甲田の総合学術調査が実施されたことがありました>

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