フィールドミュージアム構想実現のために(1の3) フィールドミュージアム構想実現のために(1の3) エコツーリスム講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

シダについて

渓谷林では高木から亜高木層がよく発達し、低木層はそれほど込み入っていません。そのかわりに林床ではシダが旺盛に繁茂し、独特の景観を形づくっています(地下水位が低い乾き気味の場所ではササが目立ちます)。リョウメンシダ、オシダ、サカゲイノデ、ミヤマベニシダ、ジュウモンジシダ、クジャクシダといった面々は、奥入瀬で特に目にする機会の多い種類です。地上だけではありません。谷の中に転がる苔むした岩の上にはオサシダなどが生育していますし、樹上を見上げてみれば、そこにはシノブ、ホテイシダ、オシャクジデンダ、ミヤマノキシノブなどの着生シダ類が見られます。コケやシダは花をつけない植物として「隠花(いんか)植物」とも呼ばれます。奥入瀬には約60種のシダが自生しているものとみられており、その他、コケ類や菌類も豊かなことから、まさに「隠花帝国」と呼びたくなってしまうような環境です。場所による優占種のちがいはあるのでしょうか。各種の分布にちがいはあるのでしょうか。

<林床に繁茂するシダ類>

コケについて

陽のあまり差し込まない奥入瀬の谷底は、コケやシダといった隠花植物の発達した環境となっています。奥入瀬を散策すれば、岩や倒木の上、石垣や巨樹の幹などをびっしりと覆っているコケの豊富さに、誰しもが目を見張らされることでしょう。奥入瀬の遊歩道は「苔の道」でもあるのです。コケとシダをぬきに奥入瀬の景観は語れません。ただしコケ類は種類数が非常に多く、300種以上が生育しています。よく目にするのは岩場のエビゴケ、コツボゴケ、ジャゴケ、樹幹ではネズミノオゴケ、オオギボウシゴケモドキ、エゾヒラゴケなど。渓流の水ぎわや冠水した岩の上などにはタニゴケ、アオハイゴケ、オオバチョウチンゴケなどが見られます。どこにどんなコケが優占し、ビジターが観察しやすいポイントはどこでしょうか。

<歩道の岩も樹もすべてコケに覆われています>

菌類(キノコ・冬虫夏草)について

八甲田山麓に広がるブナの森は、キノコの宝庫。さまざまな菌類が生息しており、いまだ知られていない種もたくさんあります。奥入瀬においても、いろいろなキノコを観察できますが、食用種は保護区であることが無視され、周辺地域住民の餌食となってしまっています。キノコとは、いわば「菌の花」のようなもので、菌類の子実体(しじつたい)と呼ばれる生殖器官。花粉や種子のかわりに、胞子を散布して繁殖しています。一般に、食べられるのか毒なのか、という点にばかり関心が向けられがちな存在ですが、生物の遺体を分解している腐生性タイプをはじめ、生きた動植物から栄養を奪っている寄生性タイプ、そして樹木の根と共生して栄養のやり取りをしている菌根性タイプなど、その生態はたいへん興味深く、菌類の役割を通して森を見るというのも面白い視点ではないかと思います。専門外の種同定は困難な分野ですので、専門家の指導・協力が必要です。毎年同じ場所に同じ種類が必ず発生するわけではありませんが、リサーチを続けることで代表的な種の発生場所やシーズンなどの傾向はつかめてくるのではないかと思います。

<カメムシタケは比較的観察しやすい冬虫夏草の1種です>

地衣類について

菌類と藻類の共生体であり、ほとんどの岩壁や樹幹、枝上などに着生している地衣類という存在ですが、一般の認知度や関心度は非常に低い生きものです。コケ(蘚苔)類以上に、どこを見渡しても必ず目に入って来る(目に入らない場所はない)くらい「ふつうに見られる」菌類ですが、種の識別にはきわめて専門的な知見と技術が要求されるため、ある程度生きものに詳しい人でも二の足を踏んでしまいます。地衣類は大きく3つのタイプに分かれ、そこから大まかなグループに分けられていきます。まずは全体的な理解と認識を深め、ごくわかりやすいものから種同定をしていき、奥入瀬での分布の実態を根気よく見続けていくべき対象でしょう。

<樹状地衣類のカラタチゴケは樹の枝の上に着生しています>

変形菌(粘菌)について

アメーバ状の状態の時は、森の底を緩慢に移動しつつ、微生物などを摂食するという「動物的性質」を有し、微細な子実体を形成して、胞子によって繁殖するという「菌類的性質」を併せ持った不思議な生物です。巷間には大の変形菌好きもいて、マニアックな趣味として、ある程度認知されています。森林生態系における多様性・複雑性を実感できるという点でも大変有効な観賞対象であると思います。奥入瀬ではどんな変形菌が主に観察できるのでしょうか。

<変形菌は粘菌とも呼ばれます>

鳥について

ビジターが認識しやすく、観察対象としてもよいカテゴリーです。渓流全域で一年を通して目にできる留鳥にカワガラスとミソサザイがいます。別のグループに属する鳥ながら、同じ環境に適応しているためか、姿形がよく似ています。ミソサザイはカワガラスのように水中に潜って水生昆虫を捕食することはありませんが、巣材に大量のコケを使用するなど、生態的には似ているところがあります。初夏に南方から渡ってくる夏鳥の代表選手たちは、ちょうど赤、青、黄色とカラフルです。赤はアカショウビン、青はオオルリ、黄はキビタキ。なかでもキビタキは数も多く、そのポップで明るい囀りは、ミソサザイの大きくて張りのある歌声と共に、春から夏にかけての渓流を賑やかなものにしてくれます。このほかキツツキ類、シジュウカラ類、クマタカやフクロウなどの猛禽類が生息しています。特に大型猛禽類であるクマタカは渓谷内に複数のペアが子育てを行っている可能性があることからも、注目すべき存在です。

<交尾するカワガラス>

下流域は川幅も広く、石の川原もあり、水辺の鳥たちの観察ポイントになっています。なかでも特筆すべきはシノリガモです。その多くが冬鳥として河口や港湾、荒磯などに渡来するため、冬の海ガモ類として知られてきましたが、30年ほど前に東北と北海道南部の「ブナの森の渓流」で少数が繁殖していることが明らかとなりました。一方、下流域のほか十和田湖や蔦沼でもよく見られるオシドリは、ことのほかドングリの好きな水鳥です。冬は平野部の池や川へ移動しますが、子育ては水辺に近い森の樹洞で行います。シノリガモもオシドリも、水鳥でありながら実は豊かな森林環境に依存しているという点では「森の水鳥」であるといってもよく、その存在はまさに奥入瀬渓流を代表する鳥であるといってもよいでしょう。

<シノリガモは奥入瀬渓流を代表する水鳥です>

動物(哺乳類)について

野生動物は概ね夜行性のため、一般には散策中に出逢える機会はあまり多くありません。しかし冬、雪の森を散策すれば、そこにはキツネ、テン、ノウサギ、ネズミ類、カモシカなどの足あとが縦横無尽に残されています。遊歩道沿いで出会える確率の高い動物はカモシカでしょう。森の見通しが良くなる晩秋から春にかけては、特に目にする機会が増えるようです。清流の象徴であるカワネズミもしばしば見かけます。ムササビは他の地域より個体数が多いとされており、これは幹や枝に樹洞の生じやすいトチノキをはじめとする巨木が豊富なためと考えられています。ツキノワグマも生息しており、かつてはほとんど見かけることがありませんでしたが、近年は出没頻度が高まっています。ニホンザルは「離れザル」と呼ばれる単独個体が稀に目撃されることがありますが、群れの存在は確認されていません。哺乳類については、クマなどの出没点をこまめに記録する一方、積雪期の痕跡調査などが主体となるでしょう。

<カモシカはしばしば渓流を渉ります>

両生類・爬虫類について

奥入瀬渓流で最も身近な両生類であったモリアオガエルは、石ケ戸休憩所の道路向いの側溝(路側の滞水帯)が同種の繁殖地となっていて、樹上に見られる特徴的な卵塊は休憩所の利用者やバスを待つ人びとの関心の的となってきました。しかし側溝が暗渠(あんきょ)となってしまったことで、産卵個体数が激減しました。その他、森林性のカエルとしてヤマアカガエル、アズマヒキガエル、タゴガエルなどが生息しています。また俳句の季語などにもなっているカジカガエルは、鳥の囀りのような鳴声が日本古来の風物詩となっています。奥入瀬渓流での生息状況は詳しく調査されていませんが、全国的な希少種で、初夏の頃、特に中流域から下流域にかけて鳴声が聞かれます。

爬虫類ではトカゲ、カナヘビの姿を、自然石を利用した車道や遊歩道の護岸で時どき目にします。人為的な護岸工事であっても、旧来の組み石工法であれば、在来の小動物にハビタット(生息環境)を提供できるというよい事例となっています。ヘビ類ではヤマカガシ、ジムグリの姿を見かける機会が少なくありません。流域の森に生息するカエル類を捕食しているのでしょう。マムシの生息情報についてはほとんど聞きません。最も注意すべき毒蛇はヤマカガシでしょう。

<ヤマカガシはおとなしいヘビですが毒蛇です>

昆虫・その他の小型生物について

奥入瀬はハチミツの産地です。蜜源樹はトチノキ。やや赤みを帯び、独特の酸味があります。6月の花期を迎えると、転飼(てんし:移動しながら蜜を採取する方法)を行う養蜂家たちが、県内外から集まります。奥入瀬には、蜂の巣箱を置く蜂場(ほうじょう)が何箇所もあるのです。トチノキが豊富に残る奥入瀬は、「トチ蜜」をもとめる養蜂家にとって大変に貴重な場所となっていますが、もともとは岐阜の養蜂家が北海道に渡る途中、ハチ休めのため偶然に立ち寄ったことからはじまったもの、といわれています。そのほか奥入瀬の昆虫として特徴的なものには、初夏のエゾハルゼミ、森の蝶であるフジミドリシジミ(食樹はブナ)やスギタニルリシジミ(食樹はトチノキ)、またトワダオオカや水生昆虫トワダカワゲラ、などがあげられます。カワトンボやサナエトンボ類など、トンボ類も観察できます。吸血性のブヨ(ブユ)は晩春から初夏に発生し、うるさくつきまといますが、吸血性のカの仲間は少なく、これは渓谷内に滞水域がほとんどないことと関係しているでしょう。

魚について

奥入瀬を代表する魚類はイワナとヤマメ。今では放流されたものがほとんどで、天然ヤマメは少ないと耳にする一方で、晩夏初秋にはどこから遡上してきたものか、傷だらけのサクラマスが見られます。陸封型のイワナは、遊歩道沿いの岸辺のよどみや、小さな支流の流れ込みなどでしばしば目にすることができ、産卵期となる秋には、メスをガードして他個体を追い払う様子も観察できます。渓流随一の滝である銚子大滝は「魚止めの滝」とも呼ばれ、十和田湖への魚の遡上を妨げてきました。その後、十和田湖へは江戸時代にイワナが、明治時代にはコイ、フナ、ドジョウが放流され、同36年には北海道からヒメマスの移植が成功しました。現在では大雨の後などに、銚子大滝の下流でヒメマスの稚魚が川岸に打ち上げられているのを目にすることがあります。淡水魚類の繁殖行動を観察しやすいポイントはどこでしょうか。

<産卵のために渓流の上流域に現れたサクラマス(ヤマメ)>

生物以外の「自然観光資源」

地形・地質について

奥入瀬渓流の断崖の岩石は溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)です。現在の田代平にあたる八甲田カルデラが、約76万年前に噴出した八甲田第一期火砕流。その火山灰や軽石が、なかば溶けたまま堆積して圧縮、固結したものです。冷え固まる途中で節理(せつり)と呼ばれる一定方向への割れ目が生じ、奥入瀬では特に横への亀裂が入った板状(ばんじょう)節理、四角いブロック状の方状(ほうじょう)節理で、奥入瀬ではそれらの岩壁が目立ちます。六角柱などの柱状に割れるものは柱状(ちゅうじょう)節理と呼ばれます。なお渓谷の中に散在する岩石は、谷の両崖から崩落したもの。奥入瀬の徴的な景観を構成する重要な要素となっています。地史を読み取ることのできる観察ポイントを整理する必要があります。

<方丈節理というべきか板状節理というべきか>

気象について

ヤマセとは、春から秋、特に梅雨時期以降の夏にオホーツク海高気圧より吹く冷涼・湿潤な北東風のこと。海上を進むあいだに霧や雲を発生させるため、太平洋側沿岸部は濃霧や霧雨に見舞われます。晴れ間が少なくなるので、地域住民にも観光客にも歓迎されざる季節となります。日照時間の減少や気温の低下は、しばしば冷害の原因ともなります。しかし奥入瀬の森が湿潤で、シダやコケや地衣類などが豊かな環境となっているのは、ヤマセによるところも少なくはありません。森をはぐくむ雨霧なのです。雪とヤマセが森と渓流に与える影響も、無視できない自然観光資源です。森林美学の観点から見ても、この季節の森はすこぶる幻想的。奥入瀬の真の魅力を語る上では決して無視できない、きわめて重要な気象条件でしょう。霧に濡れた森のうるわしさを知る写真家たちは、わざわざこの時期をねらって訪れるほどです。

<ヤマセの森>

歴史・民俗について

奥入瀬を愛した人びとはたくさんいますが、なかでも大町桂月(おおまち・けいげつ)は、特筆すべき存在でしょう。明治から大正期にかけて活躍した高知県出身の文人です。本名は芳衛で、桂月という名は、土佐の桂浜とその名月に由来するとされます。和文と漢文を混じえた「美文調」で知られ、その時代、広く人気を博しました。全国の景勝地をめぐっては多くの紀行文を著し、十和田湖・奥入瀬を全国に紹介したのです。そしてどの地よりも深く十和田を愛した桂月は、その国立公園化に尽力、晩年はこよなく愛した蔦温泉に本籍を移し、そこで亡くなるほどでした。その桂月と並び、十和田観光の祖として讃えられるのが、青森県知事を務めた武田千代三郎(福岡県出身)です。地元、奥瀬の名村長・小笠原耕一と共に観光開発に力を注ぎました。こうした先人たちの功労が、現在の奥入瀬観光につながっているのです。また、渓谷内に見られる各種の樹木や草本などが、地域住民にとってどのように利用されてきたのか。その民俗学的側面も重要です。

水資源利用

十和田湖の水は、奥入瀬川の流れ出しである子ノ口の北4キロほどの場所にある、東北電力所有の取水口より地下トンネル(導水路)を通じて、渓流最下流の十和田発電所まで運ばれています。この導水路は、灌漑用水路機能を兼ねています。十和田湖の水は発電だけでなく、農業にも利用されているためです。しかし十和田湖には大きな河川の流入がありません。水が奪取されたままでは湖の水位が低下し、奥入瀬渓流の水が減ってしまいます。そこで子ノ口に水門を設け、「渓流の景観維持」を目的に、4月から11月の日中は「観光放流」が行われているのです。夜間と冬季間は、水量が制限されています。さらに奥入瀬渓流の各支流に設けられた複数の取水口と導水路を連結させ、それら支流の水を十和田湖に逆送水することで湖の水位を保っているのです。

<トチノキの実は動物だけでなく、地域住民の糧でもありました>

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奥入瀬の自然の「しくみ」と「なりたち」を,さまざまなエピソードで解説する『ナチュラリスト講座』

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