フィールドミュージアム構想実現のために(1の2) フィールドミュージアム構想実現のために(1の2) エコツーリスム講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

ミニマムな規模でのリサーチ

エコツーリズムを推進していくためには、地域の自然情報の不足を補うための「基礎的な調査」の継続が不可欠です。しかし、その調査のレベルを学術調査クラスにまでもっていくには、樹木・野草・シダ類・蘚苔類・地衣類・菌類・野鳥・哺乳類・両生類・爬虫類・魚類・昆虫類・地質と、多分野にまたがる各分野の専門家へ調査を依頼し、かつ、その継続調査(モニタリング)の実施までを依頼しなくてはなりません。実現には、大変な予算と準備期間がかかりますし、各関係機関との合意・調整を要します。経済的側面においても、文化的側面においても、課題は多そうです。きわめて実施困難なプランです。90年代初期に行われた南八甲田の総合調査にしても、いま(2020年現在)となっては夢のような話です。それはわずか30年ほど前のことなのですが。

ならば、学術的価値を明らかにするための大がかりな専門調査ではなく、あくまでも、この地域の「エコツーリズムの基礎構築」を目標にすえた、ミニマムな規模でのモニタリング調査ならばどうでしょう。これならば、たとえば地域のネイチャーガイドや観光関係者を組織することによって、ある程度の実現と継続が可能なのではないでしょうか。専門的に特化した学術調査については、いずれ来るべき機会が到来するまでの課題とし、まずはエコツアーを実施する際の観察(観賞)対象となる「自然観光資源」の概況を、アマチュア・ナチュラリストでも可能な範囲でリサーチするのです。そして、それを継続的にチェックしていくためのモニタリング体制と、その情報や知見を地域で共有して、活用していくためのシステムを構築し、地域のエコツーリズム関係者が、地域の自然観光資源を、の素材(地域の自然を深く理解・掌握し、地域のエコツアーを充実させていくためするために「記録」を継続させるのです。

これくらいの規模であれば、関係者の自主運営意識だけでもなんとかなりそうです。しかしいちばんの課題は、その調査を実際に行う組織なり体制をどうするのかということ。長期的な展望を考えなくてはならないモニタリング調査は、ひとりやふたりの有志だけで継続できることではありません。個々人にそれほどの負荷がかからない範囲で、しかしきちんとした目的意識と方法論でもって、長く続けていかなくては意味がありません。ところがこの組織や体制といったシステムの構築が、なかなか難しいことなのです。

奥入瀬においてガイディング活動をしている人たちはたくさんいますが、ひとつの地域内でいろいろな組織の人たちがそれぞれ活動をしているので、まとまりに欠けます。また、ガイド育成事業も行われていません。かつて「認定ガイド養成講座」が試みられたことがありましたが、2年ほどで終了してしまい、現在は行われておりません。意識の高い人材を、同じの目的意識のもとに集め、知見や技術を共有・教育していくというのは、たやすいことではありません。しかしここが固まらなければ、フィールドミュージアム構想はいつまでたっても絵に描いたモチのままです。

<地元のネイチャーガイドが、できる範囲で自然観光資源をリサーチする>

そこで、奥入瀬自然観光資源研究会では、青森県県土整備部道路課からの委託事業として、ネイチャーガイドが「ガイドの視点」から、奥入瀬の自然観光資源を実際にどの程度まで調べることができるのか、そしてその結果を、どのような形で共有できるのかを、実験的に実施してみることにしました。そのためにまずエコツーリズムの観点から見た、奥入瀬の基本的な自然観光資源について、既存文献やこれまでのフィールドワークを基に整理する必要が出てきました。そしてカテゴリーごとの概要と概況、その代表種を、奥入瀬の自然景観を形作る「基本構成物」として認識することが、実験的モニタリングを試みる上での最初の仕事となりました。このあたりを曖昧にし、ただ調査と称して遊歩道を歩いているだけでは「誰が・なにを・なんのために記録するのか」という全体像を見失ってしまいます。最終目標は、各分野のそれぞれの代表種が、それぞれの関係性のうちにあるであろう、その魅力と価値を掌握することです。

調査対象となるカテゴリーを認識する

樹木について

奥入瀬の森の「御三家」ともいうべき樹種がトチノキ・カツラ・サワグルミ。いずれも流れのほとりで見られる樹木の代表選手です。渓流に沿って発達した林は、特に渓谷林(けいこくりん)または 渓畔林(けいはんりん)と呼ばれますが、上流域に分布するものを渓谷林、中流域が渓畔林、下流域は河畔林(河辺林)と呼び分けられることも。渓谷林は奥入瀬の森のかたちを特徴づけるものですが、下流側はヤナギ類やタニガワハンノキなどが主体の河畔林っぽいイメージです。このあたりのちがいをきちんと掌握できるような見方が必要になっています。奥入瀬の渓谷林は全国でも屈指の規模を誇り、しかも巨木の多いことで知られています。どこに・どれくらいの巨木があるのか、その分布もおさえておくべきです。

<下流域に見られるブナやトチノキの林>

ブナは、日本の冷涼な地域を中心に分布する落葉広葉樹林を代表する樹木です。北海道南部から九州の山地にまで広く生育しています。中でも最も多く見られるのが東北地方で、東北を代表する樹種はブナといってもよいでしょう。世界遺産に指定された白神山地が有名ですが、八甲田山域もまた広くブナの美林に覆われています。奥入瀬においてもブナ林が見られます。渓流沿いにおいては渓谷林の面積には及ばないものの、土壌が適度に湿潤で、土地が比較的安定した場所、水はけのよい谷の斜面、平坦なテラスのように段丘化した場所などで、特にまとまっています。黄瀬川の合流点付近や奥入瀬バイパスの下流付近、雲井林業バス停下流付近などが奥入瀬におけるブナ林の見所といってもよいでしょう。渓流のほとりでも、ところどころでトチノキやサワグルミに混じって立派なブナの姿を見ることができるのは、奥入瀬の水量の安定を示す証左といってよいのかもしれません。奥入瀬におけるこのブナの分布をまずは掌握しなくてはなりません。

野草(草花)について

雪どけ後の春によく目立つ花はキクザキイチゲです。白と紫色の花があり、まだ木の葉の開かない明るい春の林床で群がり咲きます。ニリンソウも場所によって一面を埋め尽くすように咲きます。岩についた苔の上に咲くスミレの仲間も見逃せません。初夏から夏にはエンレイソウ、マイヅルソウ、クルマバソウ、ズダヤクシュ、ヤグルマソウ、オニシモツケなどを各所でたくさん見ることができます。数はそれほど多くありませんが、サイハイラン、コケイランなどラン科の花にも出会えます。馬門橋では流れの中でチトセバイカモの花がゆらいでいます。夏を迎えるとエゾアジサイ、ヤマブキショウマ、オオウバユリなどが目立ち、秋にかけてソバナ、ヤブハギ、ミズヒキ、オクトリカブト、オオアキノキリンソウらが続きます。

<春の林床を飾るキクザキイチゲ。あるところとないところがあります>

渓流沿い遊歩道のどこに、どんな花が、いつ、どのくらい咲くのか。代表種にはどんなものがあるのか。これをまずは調べていかなくてはなりません。各ガイドさんや奥入瀬のリピーターさん、地元の愛好家などは皆さんよく御存知です。けれどそれは各人の頭のなかにだけある記録です。他者と共有するとなると、とたんに曖昧なものになります。昔は花がいっぱいあった、という人はたくさんいます。けれど、昔っていつ頃のことで、たくさんというのはどのくらいの量で、そもそも何という花が「たくさん」あったのでしょう。記録がなければそういうことを後世に伝えることもかないません。花がどの種も足場がないほどびっしり咲くわけではなく、咲く場所と咲かない場所が種類ごとにちがうかもしれません。そういう見方のできる資料は当然ながらありませんので、ごく当たり前のことでも、可能な範囲でなるべく細かく記録しておくことが肝要なのです。

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