既に述べてきたように、フィールドミュージアムの「展示物」は、そこに自生する樹木・野草・シダ類・蘚苔類・地衣類・菌類であり、そこに生息する野鳥・哺乳類・両生類・爬虫類・魚類・昆虫類であり、そこにある地質・地形・河川・気象、さらにはその地域の歴史・民俗・人工構造物など、さまざまなものがあります。これらのひとつひとつが「奥入瀬の景観」を形作っているのです。景観の構成物です。そしてそこには関係性というストーリーがあります。こうした「自然の見方」「読み解き方」を学び、楽しむことが、フィールドミュージアムの特徴です。その主題をビジターへ伝える(手ほどきする)ための施設、「フィールド」を「ミュージアム」であると位置づける(知らしめる、あるいは印象付ける)ための「中核」となる施設がミュージアムセンターということになるでしょう。
奥入瀬が「野外博物館」であることを知らしめるエントランス施設
奥入瀬を訪れたビジターは、まずこの野外へのエントランス施設であるセンターにおいて、この地域の自然のエッセンスについて学びます。奥入瀬がどういう場所であるのかを事前に理解した上で、実際のフィールドに出かけていくのです。したがってフィールドミュージアムセンターが設置されるべき場所は、奥入瀬の玄関口である焼山地区ということになります。焼山地区にセンターが設けられることによって、奥入瀬のポータルエリアである焼山地区がフィールドミュージアムへの「入口」なのだというアピールにもなります。同地区の活性化も、併せて期待できることになります。
こうした施設をバイパス分岐点である惣辺地区に置くべきとの意見もあるようですが、奥入瀬渓流の魅力と価値は、決して惣辺(バイパス分岐点)―子ノ口間に限定されるものではありません。たとえば黄瀬地区。下流域の河成段丘上に発達したブナ林。たとえば紫明渓。十和田発電所に代表される人間による自然資源の活用など、きわめて重要なエコツーリズムの話題(資源)なのですから、これらを全て含めた上でのフィールドミュージアムなのです。従来の一般観光的な視点のみで、奥入瀬という環境を限定してしまってはならないと思います。
地域の自然情報を集積するための「場」
NPO法人奥入瀬自然観光資源研究会では、青森県の支援を受け2011年から2014年まで国立極地研究所に所属するコケ植物(蘚類)専門家へ奥入瀬渓流の蘚類相調査を委託し、法人自体もその調査協力を行ってきました。この現地調査によって得られた知見は、当地域において過去に類のない貴重なものとなっていますが、こうした知見を集積し、誰もが解析・利用できるようなシステムを運営できる場が、奥入瀬にはありません。貴重なデータや標本は、どこに保管・管理すればよいのでしょうか。あるいは市民や教育機関が環境教育その他に、こうしたデータや知見を有効活用したいと希望した場合、どこへ問い合わせればよいのでしょう。
この問題は、特に専門性の高い調査結果の集積と解析に限ったことではありません。例えば、奥入瀬に樹木は何種類あるのか、鳥類は何種類生息しているのか。いつ、どこに、どのような花が、どれくらい咲くのかといった、きわめて基本的な自然情報すら、ビジターに対し適切に提供できる公共の「場」が存在しません。十和田湖畔には環境省所管のビジターセンターが設けられていますが、十和田湖の自然の概要を展示解説しているものの、調査データの保存と活用機能は有していません。また、奥入瀬に関する情報にはほとんど触れられていません。
奥入瀬はそもそも「観光地」であるがゆえに、そのような施設は必要ない、とする意見もあるようですが、そもそも論でいけば奥入瀬は「特別名勝」という観光地であると同時に「天然記念物(天然保護区域)」かつ国立公園の「特別保護地区」という自然環境の保全地域であるということを認識しなくてはなりません。その自然が保全されてこその「観光地」なのです。条件的にも優れたエコツーリズム活動の展開が期待できる環境下において、地域の魅力の構成要素を公園利用者に伝達するための「しくみ」を備えていないという現状は、大変憂慮すべき状況ではないでしょうか。奥入瀬を単なる風光明媚な観光地としてしか見られず、保全地域であるということが意識からすっぽりと抜けてしまった「地域おこし」論は、奥入瀬という場が持している本来の価値を損ねるものとなってしまいます。
それゆえに、各分野の調査結果や、その標本を収蔵・管理し、必要に応じて一般にも開示できる自然誌博物館としての役割を持つ施設は、自然資源を基礎とした観光体制(エコツーリズム)を維持・発展させていく上で不可欠なのです。奥入瀬の自然の魅力と価値を、写真や解説パネル、標本やオブジェ等の展示、およびその案内を通してビジターに伝えていくための「場」についても、普及啓発活動の維持・発展において欠かすことはできません。
集積された知見を利活用していくシステム
集積されていく知見は、ガイドのスキルアップの糧とするばかりでなく、それらを新しいエコツアープログラムに生かし、さらに商品開発に活用するなど、一般への還元性を持った大切な資源となります。エコツーリズム・スタイルを基本とした新しい奥入瀬の観光スタイルについての意識を関係者間で共有し、どこへどのようにプロモーションしていくかの展開案を、行政と市民が共に練り上げていく素材ともなります。奥入瀬におけるエコツーリズムを、どのように地域の基幹産業にまで成長させるのか(育てていくのか)という議論を、行政レベル・市民レベルで継続させていく「場」が必要なはずです。ミュージアムセンターはその機能をも果たせるはずです。
ディスカバリー・トレイル(発見するための径)としての自然遊歩道については、現状の整備でも既に十分であり、また専門ガイドによるインタープリテーション活動も、さまざまな課題はあるものの既に実施されて久しいのが現状です。ここに通常の博物館やビジターセンターのように、自然生態系・歴史・文化・民俗などを案内する展示施設が設けられ、また専門ガイドや学術関係者による知見を集積・活用できるスペースが整えば、奥入瀬の自然や文化を理解したいビジターや地域住民の要望に対応できるシステムを始動させることが可能となります。この取り組みは、やがて地域の自然環境の調査研究や保護活動に住民の参加を促していくベースともなるでしょう。住民が自分たちの地域の自然・歴史・民俗などを多角的に理解・認識する「場」としても、このセンターを利活用していくことができるからです。