フィールドミュージアム構想実現のために(4の3) フィールドミュージアム構想実現のために(4の3) エコツーリスム講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

自然の中に見いだした美を表現する

前稿「奥入瀬フィールドミュージアムセンターの具体的な機能」の項目4「自然誌博物館&美術館機能」において、「地域の自然を主題としたアート作品の展示およびその製作を通した自然資産活用のサポート」をあげました。「自然界のデザインを観賞する」という視点からは「サイエンスとしての自然」のみならず「アートとしての自然」が見えてきます。これも人と自然とのつきあい方のひとつです。「地域の芸術」の「原点」を「地域の自然」そのものにおくとするならば、その資産=自然観光資源は、より効果的に活用されるべきではないかと思います。奥入瀬(+十和田湖+八甲田)の自然そのものからインスピレーションを得て製作された美術作品が、その地域の美術館に常設展示されているということは、奥入瀬のプロモーション効果としても、非常に意義深いものとなるはずです。

地域における自然の利活用という視点からは「文化としての自然」もまた見えてくるはずです。重ねて述べますが、自然と人とのつきあいは、単に科学(サイエンス)の枠組みにのみ収まってしまうものではなく、ひろく芸術(アート)や民俗(フォークロア)的な広がりも見せるものです。こうした視座は、これからの奥入瀬観光において非常に重要なものとなるでしょう。施設ではなく、真のフィールドミュージアム(野外博物館&美術館)である自然遊歩道を、ゆっくりと、つぶさに観て歩くことで遭遇できる「芸術品」も、そのひとつとなるわけです。しかし、ただあるがままの自然のオブジェを眺めるだけでは、ビジターはその芸術性や民俗性を理解するのが困難な場合も少なからずあるわけですから、そこにインタープリテーション的役割、キュレーター的役割が必要となってくるというわけです。奥入瀬の自然は青森県の宝であり、北日本の宝です。ゆえに、そのお膝元には、それを<表現する>美術館がなければならないし、<解説する>博物館やビジターセンターがなければならないのではないでしょうか。

近年、「アート」は大流行りです。あちこちに美術館が乱立しています。しかし、はたしてアートとは「アーティスト」と呼ばれる方がたが拵える、奇天烈なオブジェだけなのでしょうか。真の偉大なアーティストこそは、自然ではないのでしょうか。著名な建築家であるアントニ・ガウディは、自然について「常に開かれていて、努めて読むのに適切な偉大な書物である」と語っています。彼は建築家でありながら芸術家でもありました。彼の言葉をいくつか引用してみましょう。

◎全ては自然が書いた偉大な書物を学ぶことから生まれる。人間が造る物は、既にその偉大な書物の中に書かれている

◎芸術におけるすべての回答は、偉大なる自然の中にすべて出ている。私たちは、ただその偉大な教科書を紐解いていくだけでよい◎自然が作り上げたものこそが美しい。私たちはそこから発見するだけだ

◎美しい形は構造的に安定している。構造は、自然から学ばなければならない

◎創造的であろうとして、意味の無いものを付け加えてはいけない。 自然の原理をよく観察し、それをよりよくしようと努力するだけでいい。創造的たろうとして、脇道にそれてはならない。 通常なされていることを観察し、それをよりよくしようと努力すればそれでよい

自然の手になる作品が満載の「野外美術館」を尻目に、そのすぐ隣で、ヒトの思惑ばかりが先行する「アート」が並べ立てられていることに、はたしてどれほどの意味があるのでしょう。自然の中に「美」を見い出し、そこに学ぶ姿勢なくして、はたして芸術といえるのでしょうか——森の水の美しさは、それと対峙する私たちに対し、時にこのような問いをも投げかけてくるのです。

地衣類のアートに見る新しい表現の潮流

<Oscar Furbacken>

十和田市には現代美術館があります。ここに招聘されたアーティストたちはたくさんおられますが、すぐそばにある奥入瀬の森へ案内されたことがあるのでしょうか。奥入瀬の美しい森と渓流を生んだのは、火山と洪水に起源を持った岩の谷の上に生えた一抹の隠花植物からであり、その隠花植物を育て、またその隠花植物によって育まれてきたのが、生命の根源である水であり、その水をもたらすのが日本海からの雪と太平洋のヤマセ(海霧)であり、その水を貯め、養い、いまや人びとに感嘆の声を上げさせるまでに美しい景観に育て上げた存在こそが森なのであり、その森が水を生み、水はまた森をはぐくむのだということを、現地(フィールド)で体感・実感されたことがあるのでしょうか。この関係性こそ、奥入瀬における「美」の本質なのではないのでしょうか。であるならば、なぜそれらはいっさい表現されることがないのでしょうか。アートをアピールする地域であるならば、そういう「美」こそをまず表現しなくてはならないのではないでしょうか。奥入瀬という、この第一級の自然、北日本を代表する自然、しかも稀有なアプローチの良さを持った特筆すべき自然を「宝」とする地域にとって、必要にして不可欠なストーリーは、そこにこそあるのではないか思うのです。十和田湖・奥入瀬観光がアピールしなければならない、最も大切なものは、奥入瀬の自然そのものなのです。なのに、それが地域の美術館において全く表現されていないというのは、どこかいびつな気もします。足元の「宝」に目を向けず、どこか遠くばかりを眺めているような気もします。

<Oscar Furbacken>

スウェーデンの首都ストックホルムを拠点に活動するオスカー・ファーバッケン(Oscar Furbacken)というアーティストがいます。オスカー氏は、地衣類(Lichen)をモチーフとした作品を手がけていることで知られています。彼の作品群を眺めていると、自然と芸術の親和性、もとい、あらゆる芸術の原点こそが自然なのだということに、深く思い馳せずにはいられなくなります。地衣類というのは、実にアーティスティックな存在なのです。小さいながらも地衣類の展開する多様なデザインの世界は、まさに芸術そのものです。前衛建築家やアーティストやクリエイターにこそ、いちどルーペ片手に、この微細にして壮大な美の世界に耽溺してみてほしいと思います。

<葉状地衣類を拡大して表現した作品—Oscar Furbacken>

奥入瀬へ一歩足を踏み入れれば、そこはもう地衣類の世界です。奥入瀬のどこに立っていたとしても、そこで地衣類が目に入らない場所は一カ所もありません(これはコケやシダなど隠花植物全般にいえることでもあります)。それもそのはず、ブナの樹幹から路傍の岩や木道の橋の上にいたるまで、ありとあらゆるところに地衣類は存在しているからです。そんな身近にして謎めいた存在である地衣類のアートは、自然の表現における、まさに新しい潮流ではないでしょうか。こういうアーティストこそ、現代美術館にはぜひ招聘していただきたいと思うのです。

http://www.oscarfurbacken.se/oscarfurbacken.html

現代美術館との連携に期待

<Oscar Furbacken>

奥入瀬という自然のなかに身を浸すことによって得られたインスピレーション。それに基づく作品を、アーティストと呼ばれる方がたには、ぜひ作品化してほしいと思うのです。十和田市が現代美術館を抱えるのならば、あまたの参加アーティストたちに、まずそういう作品制作の依頼の仕方をしてほしかったと思います。どんなに珍妙・奇天烈な作品であっても、奥入瀬や蔦の森から「想を得た」作品となれば、そこには地域ならではのストーリー性が生まれます。十和田に自分の作品つくり、そして据え置くに当たり、作家たちは奥入瀬のどこを、どのように、どの程度まで「観て」いったのか。そしてなにゆえの帰結として、このような作品になったのか。そういう「物語」に、私たちは耽溺したいと思うのです。

エコツーリズムとは、その地域の「光」(特長=宝)を質的に味わう旅のスタイルであるはず。それをかたちづくるのはサイエンス(自然科学)とアートそしてフォークロア(地域民俗)の発展的融合です。奥入瀬観光復興のキモは、自然と人がどう関わってきたのか、今後どのように関わっていくのかという考察と表現にあるはずです。全国に類を見ないA級の自然観光資源と正面から向き合うことをあえて避け、全国どこにでもあるような末節的なものばかりにエネルギーを浪費していてはなりません。地域ならではの魅力を主流にすえ、さまざまな支流をゆるやかに合流させ、「一本の大河」を育てていくには「いまなぜ十和田でそれなのか」というストーリー性が不可欠です。そのためには解析と演出と展開が必要となります。解析がなければ演出もできないし、演出がなければその後の展開は期待できません。このような考え方のもとにフィールドミュージアムと美術館とが「連携」すれば、他の地域に類を見ない画期的な表現活動が可能となるはずです。

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