ブナの森に潜む高貴なるタカ(その2) ブナの森に潜む高貴なるタカ(その2) ナチュラリスト講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

ブナの森に潜む高貴なるタカ(その2)

クマタカとその幼鳥

奥入瀬のブナの森で、当歳(その年生まれ)のクマタカ幼鳥に出逢いました。この夏に巣立ったばかりで、全体に白っぽく、まだあどけない顔つきをしています。「巣立ち」といっても、巣のある樹の横枝に飛び移るくらいのもの。せいぜい樹頂付近に姿を見せる程度です。秋にもなるとようやく飛びはじめますが、行動する範囲は巣のある森の一帯に限られています。

クマタカ(Nisaetus nipalensis)は森林に棲む大型の猛禽類です。ユーラシア東南部、インド、東南アジア、台湾、日本に分布しています。日本列島と朝鮮半島に分布・繁殖しているのは亜種クマタカ(N. n. orientalis  ※旧学名はSpizaetus nipalensis orientalis)で、千葉と沖縄を除いた、ほぼ全国に生息しています。絶滅危惧種ならびに国内希少野生動物種に指定されていますけれども、ある程度自然の保たれた山間地であれば、たいていどこでもその姿を見ることができます。ただ生息地が山地の渓谷であること、広い行動圏をもつことなどから、生態についてはまだ不明な点が少なくありません。

子どもは1羽のみ、子育ては1年おき

クマタカは一夫一妻の繁殖スタイルです。留鳥として一年を通し、ほぼ同じ地域で暮らしています。繁殖シーズンは概ね晩秋から始まり(求愛期)、巣作りや交尾・産卵は、厳冬期から早春にかけて行われます。巣は大木の樹上にかけられ、産卵数は1個。春から初夏にヒナがかえり、晩夏初秋に巣立ちます。

幼鳥は巣立ちの前後から、カン高い声でさかんに鳴いて、親鳥へ餌の催促をします。これは「餌乞い鳴き」と呼ばれるもので、特徴的です。その年に幼鳥が生まれていれば、この鋭い声が森中に響き渡ります。

巣立った幼鳥は、その後も親鳥から餌をもらい続けます。「巣立ち」といっても、食事はほとんど親まかせ。親の庇護を受けながら、巣のある森で厳冬期を迎えます。巣立ち後ほぼ1年間は、親に養ってもらうわけです。翌秋まで、巣のある樹を中心とした範囲で暮らしています。

やがて親鳥が新しい繁殖に入る場合には、巣のある森から追い出されてしまいます。親鳥が繁殖を行わなければ、そのままずるずると世話になり続けることもあります。また、甘ったれな個体となると、いちど追い出されても、またすぐに戻ってきてしまうことも。自分の弟なり妹なりの育つそのそばで、強引に2年目を過ごしてしまう個体もいます。

クマタカが1回の繁殖で1羽の雛しか育てないこと。1年おきにしか繁殖しないことは、あるいはこの「巣立ち後の養育」を最初から考えに入れてのことなのかもしれません。地域によっては毎年繁殖する事例もあるそうですが、それはどのような条件の違いなのでしょう。その場合の幼鳥の自立は、どのように促されているのでしょう。興味深いところです。そしてそれはたぶん、その地域の「餌の量」の問題と決して無関係ではないと思います。猛禽類の繁殖が成功するかしないか(ヒナを無事に巣立たせることができるかできないか)は、その年の食物の量が最も重要であるからです。

クマタカの棲む森

北海道のミズナラやトドマツなどが混生する針広混交林から東北のブナ林、そして九州のイスノキやアカガシなどから構成される常緑広葉樹林まで、クマタカは多様な森林環境に生息しています。

奥入瀬の植生は、まず渓谷内にカツラ、トチノキ、サワグルミを主とする落葉広葉樹の渓谷林が連続し、その上段(谷の中間部から上部)にブナを中心とする落葉広葉樹の天然林、およびスギ人工林が広がっています。奥入瀬では天然の常緑針葉樹の高木はほとんど見られませんが、渓流の源流部にあたる十和田湖の岩場には、キタゴヨウ、アカマツ、クロベなどが自生しています。

東北地方のクマタカの営巣木は、落葉広葉樹ではまずブナが選好されます。また谷の斜面に生えたカツラやサワグルミの大木を利用することもあります。常緑針葉樹では、スギとキタゴヨウが多く、アカマツやクロベの利用もわずかながら知られています。

こうした森に棲むクマタカの主な餌動物は、主にムササビ、リス、ウサギ、イタチ、テンなどの哺乳類、アオダイショウなどの爬虫類、カケス、アオバト、トラツグミ、ヤマドリなどの鳥類などが知られています。その個体が生息している環境に応じて、いろいろな鳥獣を捕食しています。

ブナの「なり年」には子が育つ

<ブナの殻斗(いが)と果実(種子)>

ブナの森では、数年に一度、実の「なり年」が訪れます。この樹は種子の生産に大きな年変動がある種として知られ、5年から7年の間隔で、豊作の年(種子の生産が極端に大きくなる年)となるのです。ところが「なり年」以外の年は、ほとんどタネができません。結実しないか、結実量の少ない年が続くのです。これは地域的にも同調する変動なので、実のできる年(豊作)・できない年(凶作)は、そこに生息するいろいろな鳥や動物たちに大きな影響を与えることになります。そして、それはクマタカにとってもそうなのです。ブナが豊作になると、その影響で、翌年のクマタカの繁殖成功率が向上するのです。

ブナの実がたくさんなると、どうしてクマタカの子が巣立ちする確率が高まるのでしょう。それは、ブナの実がたくさんできると、その消費者であるネズミ類などがまず増加し、その増えた小動物を餌とする「捕食者」の数もあわせて増えることにつながるからです。テンやイタチ、アオダイショウなど、これらはまさにクマタカの主要な餌動物。また、すぐれたノネズミハンターであるフクロウが、あえなくクマタカに捕食されることもあります。直にネズミを捕食することはしませんが、ブナの実を採食しているであろうヤマドリも、もちろん魅力的なターゲットでしょう。巣に運び込まれる餌の質がよく、量も豊富なら、ヒナの栄養状態も当然よくなりますし、巣立った幼鳥のその後の生存率も高くなるでしょう。

また、メスがその年に産卵するかしないかの重要な要因のひとつに、体重の問題があります。秋から翌春にかけ、どれだけの食物量を摂取できたか、ということです。それが春の産卵の有無に影響するのです。「実なり」がほとんどない年に比較すれば、ブナ豊作年の翌年の食物条件は飛躍的によくなっているはず。しかしながら、豊作の小動物への影響はせいぜい1年くらいしか持たないので、その翌年も続けて子育てするまでには至らないのでしょう。

<ブナの「なり年」には個体数が増えるノネズミ>
<ノネズミや鳥類を主食とするテンはクマタカの重要な餌動物となってます>

鳥を観ること、森を知ること

ブナの結実の状況は、食物連鎖の上位に位置する猛禽類の繁殖にも大きな影響を与えています。ブナの森の静かな胎動が、そこに棲む多様な生きものたちの動向を左右しているのです。クマタカは肉食の猛禽類ですが、ノネズミとそれを食する生きものを通して、間接的にブナの実を食べている(=ブナの実に養われている)といってもよいかもしれません。

「クマタカを観る」ということは「ブナの森を観る」ということ。「クマタカを知る」には、ブナの森のことも知らなければなりません。そしてそこに棲む、さまざまな生きものたちのことを知る、ということにつながっていくのです。

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