奥入瀬におけるエコツーリズムの現状 奥入瀬におけるエコツーリズムの現状 エコツーリスム講座 奥入瀬フィールドミュージアム講座

いまだ未成熟

青森県では、平成20年より産業観光・自然環境・行政の各機関で組織する「奥入瀬渓流エコツーリズムプロジェクト実行委員会」を設置し、秋のマイカー交通規制などを実施する『奥入瀬渓流エコツーリズムプロジェクト』を展開してきました。
この活動の目的は以下の3点です。

  • 観光客や青森県民に自然環境保全の理解浸透・啓発を図り、永続的な保全に努めること
  • 自然環境を活かした当該地域の地域振興・観光振興を図ること
  • 奥入瀬渓流の自然価値の向上と、本来の魅力を全国に発信する契機とすること

これは奥入瀬におけるエコツーリズムの環境整備を進めていく上で、すこぶる重要な取り組みであり、全国的にも注目に値する優れた地域活動であるといえるでしょう。これからの奥入瀬が「どういう観光地であるべきか」の方向性は、既にこの動きによって示されているものといってよいのではないかと思います。

しかし実際には、上記の目的に掲げられたような「理念」の浸透した活動がビジョンをもって実施され、期待された成果を得ているとはいいがたい現状があります。
単なる物見遊山的な「景観観光」と「エコツーリズム」とが、ほとんど無意識のうちに混同されているからです。すなわち意識的な差異化が行われていないということです。
これまでに実施されてきたプログラムのほとんどは、いずれもただ単純に「奥入瀬を(ただ車で通過するのではなく)歩いて楽しむ人を増やそう」というだけのものにすぎず、従来の観光誘致の方向性と、その質を異にするまでには至っていません。

2007年から14年まで、この『奥入瀬渓流エコツーリズムプロジェクト』と連動し、毎年十和田市内で開催されていた『奥入瀬渓流エコツーリズムフォーラム』というシンポジウムがありました。
魅力的な名称のフォーラムであり、連続8回(つまり8年間毎年)開催されるという熱心さでした。奥入瀬における新しい旅のスタイルを、市民と行政とで議論しようとする、こうしたフォーラムの企画・開催自体はきわめて優れた取り組みです。高く評価されるべき企画であったと思います。

ところがどういうわけか、最も重要な<主題>であったはずの「奥入瀬におけるエコツーリズムとはどうあるべきなのか」すなわちエコツーリズムという概念は、奥入瀬という地域においては実際どう展開されるべきなのか、といった議論はいっさいなされず、ほとんど形骸化した催し(というかお祭り的なもの)に終始してしまっていたことは、まことにもって惜しまれるところでした。
このようなフォーラムでは、市民へ向けての「問題提起」あるいは「普及啓蒙」こそが求められるところであったはずです。それが肝心要の主催者側の意識からして「エコツーリズム」と「物見遊山」との違いが明確に認識されているとはいいがたいように感じられました。

これは奥入瀬におけるエコツーリズムという概念が、いまだ観光関係者の間においても、まったく成熟した段階に達していないことを示しているのではないかと思うのです。単に「奥入瀬に観光客をもっとたくさん呼び込みたい」という旧態依然の発想を、今風で字面とひびきのよい「エコツーリズム」という横文字で、単に粉飾していただけのことではなかったでしょうか。

先の『奥入瀬渓流エコツーリズムプロジェクト』にしても、掲げられた理念とビジョンは素晴らしいものなのですが、現実にはそこへ行政および地域住民の考え方が追いついていない、というのが実情だったのではないかと思います。
そのため、奥入瀬の魅力と価値のアピール内容にしても、従来の観光誘致でやってきたこととなんら変るものではなく、単なる「景観観光地」としての魅力の範疇でしか発信されていませんでした。
これでは、新緑から黄葉のシーズンに、ただ通過客を誘致するだけの結果となってしまうのも、当然の帰結であるといわざるを得ないでしょう。

奥入瀬におけるエコツーリズムはどうあるべきか。残念ながらこの問いが、奥入瀬における地元ガイドを含めた観光関係者の間で、これまであまり真剣に協議されてきたとはいいがたいというのが現況ではないでしょうか。
エコツーリズムの概念そのものが、実際のところ、関係者間においてもあまり浸透していないのかもしれません。

特に、旅行エージェントを通して団体やグループの案内をすることが中心となっている一般ガイドの立場では、奥入瀬を訪れる観光客のほとんどが「景観見流し型ツーリスト」であるというこれまでの経験から、地域にゆっくり滞在し、その地の自然とじっくり向きあうというエコツーリズムという旅の在り方そのものが理解しがたい、あるいはその受け入れ基盤を疑問視する向きがあっても、なんら不思議ではありません。

現状を肯定するのか、新たなビジョンを持つのか

原生的な森林環境に抱かれながらも、登山に代表されるような体力的負荷を強いられることなく、人為改修をほとんど受けていない自然河川に沿った、勾配緩やかで適度に整備された自然遊歩道を通し、豊かで多様な景観構成物をあたかも博物館や美術館で「作品鑑賞」するような感覚で観賞することのできる奥入瀬は、まさに天然の野外博物館(フィールドミュージアム)そのものです。

体力的負荷の少ない環境で「学びの旅」を楽しめる。そんな奥入瀬において最もふさわしい観光スタイル、奥入瀬の特色を最大限に生かした旅の在り方とは、野外博物館における「学びの旅」にあると判断できないでしょうか。
そして、そういう旅のスタイルこそが本来のエコツーリズムであるはずです。

十年一日の旅行スタイルである団体旅行で満足している層はともかく、個性的な旅のスタイルをもとめる個人旅行者層にとって、既にこうしたエコツーリズムの概念は浸透しつつあります。
人が自然から学ぶべきことがらは、生態学や歴史文化といったことに限りません。
青橅バイパス完成後に想定される「静穏な奥入瀬」のもと、旅行者が「静かなること」を学び、ふだんとは異なる時間の使い方を学ぶ旅の在り方もまた、これからの奥入瀬観光にもとめられる重要な要素です。
奥入瀬は、現代人が失いかけて久しい、対象をじっくりと観て想うテオリア(観想)的観光スタイルの復権にふさわしい場所であるといってよいでしょう。

しかしこうした「奥入瀬ならではの特質・特長」が、これまでの奥入瀬観光PRにおいて積極的にアピールされたことはほとんどありませんでした。
それは旅行市場の認識不足に起因する部分も大きいかもしれませんが、地域から発信力不足がその最たる理由でありましょう。奥入瀬観光とはこれでよいのだ、これまでこうやってきたのだ、という現状肯定もあるのかもしれません。
現状を肯定するのであれば、新たな理念もビジョンも必要ありません。

しかし現状に問題を感じている、あるいはよりよくしていきたい、奥入瀬の真の魅力と価値にふさわしい観光の在り方を希求したいという意識があるのなら、奥入瀬におけるエコツーリズムの在り方について、行政と地域住民が一体となった議論を積み重ね、その理念とビジョンの成熟をはかっていく必要があります。

旅行者・地域住民・観光関係者・研究者・行政の5つの立場の人々によるバランスのよい協力体制が保たれることで、奥入瀬におけるエコツーリズムとは具体的にどういう形をとるべきものなのか。誰に対して何をどう発信し、展開するべきなのかが明確にされ、その理念とビジョンが地域においてしっかりと共有されていなければなりません。

奥入瀬の野外博物館としての魅力と価値の啓発をはかり、全国に発信し、理解とその浸透をもとめ、真の意味での地域観光振興の契機とするためには、景色を流し見するだけの観光地から、自然観賞型の旅行先にふさわしい奥入瀬への「イメージ転換」を、まずは地域がみずから牽引していかなくてはならないと思います。

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